第78話:月下戦火④
片腕の喪失へ陥りながらも、異形はこれといった反応を示さず反撃に移った。
痛覚を持たず、闘争心と破壊衝動のみを礎とする故に可能なこと。
無事な右腕を真横から囲み打ち、マフユへと五指を繰り出す。標的を掻き抱くよう振るわれた怪腕は、狙う相手の背後を回って、反対側の側面より一気に迫った。
「この程度」
「跳ぶわよ」
「上ぇッ!」
横目で凶腕の進路を確認し、マフユは藍瞳を眇める。
奥歯を噛み、少女は路面を蹴って軽やかに跳んだ。圧迫してくる腕の囲みを事も無げに抜け、全身のバネを使って直上へと逃れる。
眼下ではまたしても獲物を捕らえ損なった腕が、やむなく折り曲げられていた。
今一度、敵の視線よりも上方へ浮かび往ったマフユは、そこで剣を上段に構える。両腕でしっかりと柄を握り、異形の姿を見下ろしながら力を込めた。
続け様に落下が始まる。浮力が費えて体が地表へ引かれる中、マフユは剛剣を全力で振り下ろした。
徐々に近付いていく異形の姿。怪物の頭部が持ち上がり、八つの紅眼は巫女服の少女を射る。
年齢にそぐわない実直な戦士の面差し。生来の可愛らしさに被さる、精悍且つ尖った刃同然の表情。これが見る間に迫り来て、両勢の間合いは零に近付く。
落ちていく勢いに体重を乗せ、強化された膂力と剛剣の切れ味を合わせた渾身の一撃が繰り出された。
大刃の生み出す淀みない斬撃が今、黒き魔性の肉体を打つ。
「ハッ!」
「いただきましょうか」
「ぽめめ!」
裂帛の気迫を短声に込め、マフユは鋭く吐き出した。
重く速い斬り落としは異形の左肩に減り込み、止まる事無く一気に落ちていく。漆黒の外殻を断ち切り、胸郭を裂き、鳩尾を砕いて、腹部を壊し、股下まで強剣は駆け抜けた。
少女の一太刀は完全に決まる。彼女の足が路面を踏んだ時、怪物の体へ走った刃の軌跡から大量の黒霧が迸った。
叩き込まれた衝撃に圧され、異形は盛大に踏鞴を踏んだ。足取り覚束なぬ様子で後退り、目に見えて上体を傾げさす。
だがそこから急遽に腿を押し上げ、長い右脚をよろめくついでとばかりに蹴り出してきた。当てずっぽうに放った悪足掻きではない。
マフユの位置を正確に捉え、攻撃直後の僅かな硬直を逃さず狙った蹴撃だ。しかも損傷へ比すかのように速度が激増している。
着地と斬攻の影響で筋肉が強張る少女は、反応が鈍り咄嗟の回避運動へ移れない。その間隙を突いた異形の烈脚は、腕以上の太さと硬さ、凶悪さと威力を伴い真正面から襲い掛かる。
加減なしの全力攻撃は恐るべき速度で接近し、これを見る少女の目を驚愕に見開かせた。
「ッ!」
「ここにきて高速化ですって?」
「まじぃぞ!」
咄嗟に噛み締められる歯列。マフユの顔は厳しさを増し、全身を包む緊張の度合いが瞬時に跳ね上がる。
固まる体は本人の意識を受け入れず、思うようには動かない。敵の加速は異常。
異形の狙い通り、硬直時間は僅差で敵に味方した。
「こ、のォッ!」
直面する危機にマフユは腹を据え、思考の外で四肢張るよう強く力む。
義手の駆動音が高まり、闘争本能と生存欲求が体機能を凌駕して、肉体の再活をゼロコンマ秒の早さで促した。
自由を得る最中に少女は寸前で腕を引き、剛剣を胸前へ翳す。分厚い刃が盾の如く据え置かれたのとほぼ同時、異形の脚は標的を蹴り飛ばした。
硬い足裏と巨刃が激突し、強大な衝撃が炸裂する。
尋常でない力は余波だけで路上を吹き散らし、表盤を幾らか剥がして礫と煙を生む。風圧に乗った衝突音は鈍く高く、空の彼方へと尾を引いた。
凄絶に奔騰する威力を殺し切れず、マフユは路面を擦りながらに滑っていく。通過箇所に罅割れを生み、道の浅層を削りつつ、大剣を胸前に掲げた姿勢で、本人の意思とは無関係に後退させられた。
「くぅぅッ!」
「あの速度に対応するとは、流石です我が主君」
「ぽめぽめ!」
マフユは刀身へ映る自分の顔を睨み、苦しげな呻き声を噛み潰す。
精霊の声を受ける中、四肢を踏ん張り堪えようとするが、思い通りにはいかない。それだけ与えられた蹴撃の威力が大きかったということ。
少女の通った後では、両足の二本分に抉れた溝が路面へ残る。それもかなりの距離だ。
一気に10数メートルを渡って、ようやくマフユは止まる事が出来た。それと共に腕がだらしなく垂れ、剛剣の切っ先が足元を突く。
両脚には鈍痛が生じ、肩も強烈に痺れて脱力状態。全身が小刻みに震えるのは、抜けきらない衝撃が神経と細胞を伝播して反復しているためか。
「はぁ、はぁ、くっ」
「マフユちゃん、よく耐えたわね。偉いわよ」
「あのヤロー、ナメた真似しやがって」
疲れと痛みの滲んだ息を、マフユは重苦しく吐き出した。一呼吸ごとの荒さから、体力の消耗を容易に感じ取れる。
突如として加速された反撃は少女の肉体に大きな負荷を齎し、無理矢理の反応が影響して抵抗力を削ぎ落としていた。
直接的なダメージはない。インパクトの瞬間、辛うじて精霊剣による防御が成功したからだ。それでも叩き付けられた衝撃は圧倒的で、僅か一撃ながら疲労の響きが肉体の芯までを蝕んでいる。
もし直撃を受けていれば圧力に負けて内臓は粉砕し、脊髄その他骨格も破壊されていただろう。マフユの体は見るも無残に破れ散り、間違いなく最悪の結末を迎えていた。




