第76話:月下戦火②
夜の冷めた風が浅く吹き抜け、桃色の髪が首筋でなびいた。
マフユは右手も柄に添え、両手で巨剣を強く握る。そのまま正眼に構えを取り、刃越しに異形を睨んだ。
一拍の後、天の月に雲が掛かる。柔らかな降光が遮られた時、少女と異形が同時に動いた。
互いに相手へ向かい直進し、いち早く黒い腕が力任せに振り下ろされる。鋭利な鉤爪を光らせた単純な打ち落とし。
その一撃が路面へ叩き込まれ、敷かれるアスファルトが砕けた。小規模ながら爆ぜたように躍る破片、そして煙。
これは精霊使いの排除を狙ったもの。だが腕の落着ポイントに標的の姿はない。
頭上から迫ってきた怪腕へ対し、マフユは即座に反応する。道を蹴り真横へ飛び避け、走る一打を横目に流した。
そこへ直ちに咬み合わせ、両腕を振るい、大刃を一息で斬り下ろす。
黒腕が盛大に道路を叩いた半瞬後、巨剣が異形の首筋を擦った。精霊の力が集った肉厚の刀身、その切っ先が外殻を裂き、分断された下より黒い体液が霧状に噴き出る。
「浅い」
「おまけに硬いわね。前のブサイクちゃんより強化されてるわよ」
刃を通し伝わる手応えに舌打ちし、マフユは剣を引いた。
そのまま足を一歩踏み込み、太刀を寝かせて横へ薙ぐ。
首の裂傷に怯むことなく、異形は八つの複眼へ少女を捉え、左腕を下方から掬い上げるように繰り出す。敵の体を抉るべく放った一撃は、鈍く光る五爪で路面を掻いた。進路上の障害物を削り裂き、獲物の下顎目掛けて異腕が走る。
マフユの斬撃と異形の腕撃は、互いを狙うまま両者の中間点へ差し掛かり、同じタイミングで衝突した。分厚い剣と硬い爪殻がぶつかり合い、備えた威力は相手を破らんと炸裂する。
二つの力が瞬間的に鬩ぎ押し、剣と腕の間で火花が散った。硬い物のぶつかる音が重々しく響き、空気を揺する。
「くッ」
「ヤロー、なんて馬鹿力してやがる!」
衝撃と圧力が生まれ、散火に視界を焼かれつつ、マフユは小さく呻いた。
不満気に眉間へ皺が寄る中、異形の咆声が耳を刺す。
両勢の打ち合いは時間にして一秒もない。瞬きの合間にすら見合わぬ僅かな時を経て、互いの得物が弾かれた。
剛剣と怪腕は同等の力で反発し、どちらかが押し切る事無く外側へ軌道を逸らす。
巫女姿の少女と漆黒の異形が反動で捻り、鏡映しに半歩分退いた。
「まだ」
「ワタシ達の力を束ねて尚押し切れないとは。いやはや、とんだ怪物ですね」
左腕を襲う痺れにマフユは顔を歪め、それでも即座に息を整える。
抜け切らない衝撃は意志の力で捩じ伏せ、右腕からの軋音を黙殺。すぐに剣を握り直し、弾かれた刃を攻路へ乗せるべく、上体を正面へ向け直した。
それへ正対する黒い異形は、上顎と下顎を押し開く。口部が限界まで開いていく最中、薄汚い唾液が口の端から大量に溢れ路面へ落ちた。粘度の高い液体が不快な音を立てて飛び散り、強烈な腐敗臭を夜闇に這わせる。
大きく裂けた口が動きを止めると、その内奥が赤く光った。喉から迫り上がる赤光は明度を跳ね上げ、濃い闇の中で異様なほど輝く。紅の照り返しを受けて口内の牙が浮き彫りとなり、止まる事の無い唾液もまた鈍く照り返した。
膨れ上がる光は赤い火気を口角から散らせ、紅蓮の焔へ変化を遂げる。燃え滾る炎が震え動き、異形の口で火力は急成長。周囲の大気が焦げ、見えざる熱量が闇を炙った。
零れ出る火の粉が群がり舞うのを、マフユは真っ直ぐに睨み据える。
次の一間、異形は前のめりに半身を押し出し、蓄えた炎の塊を吐き出した。暗い顎の内から飛ぶ火球は赤々と燃え、大気に尾引いて空を滑る。狙う場所は正面、刃を構え立つ少女へ一直線に向かっていく。
「想定内」
「ぽめ!」
しかしマフユは動じない。異形の吐き付けた火球が瞳に映った途端、路面を力強く蹴り上げて、駆ける形で高らかに跳躍する。
白衣の袂と緋袴の裾をはためかせ、剣を握ったまま宙へと浮かび、炎の一弾と異形の頭頂すらも飛び越えた。
少女が上方を過ぎってから入れ替わり、炎塊は彼女の立っていた箇所へ達して砕け散る。複数の小炎となって撒かれ落ち、なにかに触れるやそれぞれが勢い良く燃え上がる。
引いた油の上に点火マッチを放り投げた時のような、間髪入れぬ炎上だった。
道路の上は局所的に炎へ包まれ、紅弾の落下点を中心として疎らな円形に燃え盛る。激しく立ち踊る深い赤が光源となって、一帯の闇を散らした。
炎上範囲には真昼のような明るさが生まれ、満月の光を圧して霞ませる。
「そこ!」
「後ろがぁ~」
「ガラ空きだぜ!」
盛大に燃える大炎に全身を照らされながら、マフユは鋭く呼気を吐く。
炎を避けて異形の背方へ至り、重力に引かれて落下していく途上だ。少女はそこで上体を前へと押し、脚で空を蹴るように重心を移動させた。
降下中の動きは支えの無い空間で大きく働き、若い体は素早く一回転する。
外殻に覆われた怪物の背中を目端に捉え、マフユは回った。桃髪と緋袴が閃いて、彼女の動きに合わせて揺れる。
剛剣握り締めた腕を突き出し、刃を立てて異形の背後を落ちる。マフユの回転運動に合わせて剣も等しく回り、立ち塞がる異形の背殻を斬り付けた。
厚い刃が煌々とした炎光を返しつつ、黒い外殻を縦一筋に断つ。
精霊剣を通じて確かな手応えが伝わった。敵の体を裂き、手傷を負わせ、活動力を削る実感が、刃越しに意識へ届く。
確かな一撃をみまい、少女は道路へ降り立つ。空中で高速一転したというのに目も回さず、乱れない動作で垂直に着地。重さを感じさせない華麗な所作であった。
対して異形の背面は大きく裂け割れ、一本の溝が刻まれている。分け開いた外殻の奥からは、泥のような黒い体液が溢れ出し漏れ落ちた。強烈な腐敗臭が共に放たれ、外気に触れた体液は墨色の霧化して、立ちどころに消えていく。




