第75話:月下戦火①
空に半円の月が静々と輝く夜。全てのものが眠りについたような静寂が、世界を覆う。
月光に照らされた道は街灯も疎らで、行き交う者の姿はない。車の走行音や、人々の話し声、虫の音さえも聞こえてこない。閑散とした世界は酷く空虚で、痛いほどに凪いでいた。
深く沈んだ闇の中を、片側一射線の道路が真っ直ぐに突っ切っている。周囲に住宅や店舗は何もなく、人の気配からして感じられない。繁華街であれば深夜でも真昼のように光が溢れ、眠らぬ人々による喧騒が絶える事はないというのに。
アスファルト作りの一本道は遥か先まで続き、月明かりの届かない闇へと進んでいた。所々に煙草の吸殻や潰れた空き缶が落ちている。白い射線は剥げかけており、道のあちこちに窪みが見えた。それでも道路は遠く伸び、闇に隠れて終着点は窺えない。
途中には道路を横切る線路と踏み切りが設置されていた。通る者など居ないのに、黄と黒の色に巻かれた遮断機が下り、律儀に道路を塞いでいる。点滅灯が赤い警告信号を上下へと交互に灯し出し、独特の音色が電車の接近を告げていた。
程無くして電車がやってくる。白い色で染め抜かれた、八両編成の長い車両だ。敷かれたレールの上を勢いよく駆け抜けていく。踏み切りの中を抜ける際、均一に並んだ車窓の形に道路は照らされた。
走行音が一時的に周囲へ賑わいを与える。規則的な電車の音に静寂は掻き消され、音と色とで世界は改められていた。
遮断機の点滅灯とレールを滑る電車の影が、闇の中に複数の色彩を生み出す。そこから少し離れた道路の只中に、ソレは在った。
人間より大きい異形の姿を、通過する電車の窓明かりが暗黒に浮かばせる。
二本の脚で立つ様は人型をしているが、漆黒の外殻に覆われた全身は人と似ても似つかぬ醜悪な怪物。太い脚と長い腕、そして大きく裂けた口内に爪牙を具え、獰猛な呼気を吐き出し低く唸る。
長い首の先に位置付く頭部は耳と鼻へ類する器官がない。一方でビー玉程のサイズをした真紅の眼球が八つ、蜘蛛の目のように散らばり並ぶ。
闇夜に立つ醜い姿は2m以上の背丈を誇り、不気味さと忌避感と怖気を招く。体の随所からは純粋な悪意が溢れ出し、周辺気温を数度は落としているようだった。
踏み切りの手前に在る異形の怪物は、夢や幻などでない。確かな存在感を持って、道路に足を付けている。
規則性なく都市各所に現れ暴れ回る、群発性異形襲撃事件の新たな下手人だ。邪悪な何者かにより攫われた人々が、強制変異させられ尖兵とされたモノ。
生前の記憶はなく、理性も知性も消え果て、ただ内包するエネルギーが尽きるまで破壊と殺戮を撒き散らす。
それまで走っていた電車の最終車両が、遂に踏み切りを抜けていった。絶え間なく続いていた信号音が止まり、遮断機が上がり始める。
合わせて獣めいた咆哮が異形より発せられた。空気が激しく振動し、堪え難い害悪の想念が、大気を急速に蝕んでいく。
深い闇を掻いて大声が響く中、対面の路上に男女のコンビが走り来て、異形を見据える形で立ち止まった。
警戒と監視網に掛かった標的の出現情報を受け、急行してきたマカベ・マフユとヤマトネ・サユキだ。
異形の黒い全容とは対照的に、マフユの装いは白衣と緋袴からなる巫女装束。光の白と緋炎の二色で、真逆の相手へ対峙する。
普段のブレザースタイルとは違うものの、少女の動きは軽快で煩わしさを抱いていない。挙動の細部へ下手な硬さも含んでおらず、既に着慣れた風の柔らかさ。
「前の怪物よりも大きい! 個体差があるのかな」
「どうあれ、やることは変わらない。下がっていて」
「気を付けてね」
マフユの言葉に頷いて、サユキは少しずつ後退していった。
霊子力供給役として連れて来られたことは彼自身よく分かっている。直接的な戦闘力ではマフユに遠く及ばず、肩を並べては足手まといにしかならないことも。
異形は轟然と咆え終えた後、認識範囲に侵入してきた生命体を複眼へ見た。
引き裂けた口腔から長い舌を伸ばし、夜気を舐めてまた戻す。
その様子から視線を逸らさず、マフユは左手を正面に向けた。
「精霊の力を一つに」
少女の呟きへ応じ、人差し指に嵌められた碧緑の指輪が、淡い光を明滅させた。
契約している精霊達の力を等しく呼び起こし、導いて捩じり束ねるイメージを描く。
「さぁさ、シュウカちゃん、セイギちゃん、ポメちゃん、合わせていくわよ」
「オレに遅れるんじゃねぇぞ、テメェら!」
「死者の魂ならお任せなんですが、精霊同士の扱いというのはどうにもしっくりきません」
「ぽめめめめ!」
微風が吹き、火の粉が生まれ、陰が揺らめき、土煙が舞い始めた。
四つの現象が左手の中に流れ込み、金と赤、黒と茶の粒子へ変じ渦巻いて、光輝を伴い結集する。
誘い練られたエネルギーが急激に融けて交じり合い、互いに結びついて強靭に密接していった。過程が鮮やかな瞬きを発し、粒子の螺旋による膨張と収縮が入れ替わり、物体へ置換される。
四色の明光が華々しく散り、巨大な刃を湛える一振りの剣が、彼女の手中に現出を果たした。
マフユの身の丈近くもあろうかという、長大な剛剣である。
分厚く長い両刃の刀身には刃毀れ一つなく、丹念に磨き上げられたが如く。月の光を反射して鋭く光る大刃は、洗練された造形美と優秀な機能美を感じさせる業物だ。鏡めいて景色を映し、角度によって金赤黒茶の四色を覗かせた。
柄の構造は一般的な剣とは異なり、鍔が上下に二分されている。握り側へはナックルガードとして伸び、剣身側には四対の爪状に展開された。燃え盛る炎を意匠化したような形状。
「皆の力を貸してもらう」
美しくも厳つい剛剣を左手に握り、マフユは空中で一薙ぎを奔らせた。
少女の細腕には不釣合いな大得物を持ちながら、所作は舞を踊るに等しい。
重さなど感じさせない腕振りと体動で半弧を描き、深く息を吸い込む。




