第73話:兄弟子に習う③
「そのような意識の奔流に耐え、自らを保ったまま精霊の意思を従える必要がある。よしんば耐え切れたとしても、魂に掛かる負荷は凄まじいものだ。精神障害や記憶の混濁、自意識の錯乱や消失の危機が付いて回る。反動に負けて自分を失い廃人と化す可能性も否定できない。魂が砕け散り、体だけ生きた人形の様になってしまうのだ。得られる力も大きいが、同様にリスクも高い。これがどれだけ大変な離れ業であるかは、言わずもがな」
「けれど強い力を求めるなら、複数の精霊を抱え込む必要がある。その度に負荷も重ねられていく、というわけね」
マフユは顎に左手を当て、思案顔を作った。
目指す先の難易度を改めて考え、成功の道筋をシュミレートしようとする。
荒れ狂う大渦潮の中に身一つで飛び込むイメージ。
しかし激流に翻弄され、大いに揉まれ飲まれ、精魂尽き果て沈んでいく姿しか思い描けない。
「いきなり精霊を身体の中に入れるのではなく、まずは外側で精霊同士を掛け合わせることから始めてみろ。精霊の力を同時に複数展開しながら、それを束ねて一つにする。異なる力同士を重ねて融和させつつ、制御する感覚を掴むことだ」
「それも母様の教え?」
「そうだ。降眞化身は容易いものではない。完全に御しきれた者など数える程もいなかったという」
「母様は可能だったの?」
「ミハル師匠か。体得し、過不足なく扱えていたな。ただしおいそれと使えない大技だ。最後の切り札としてのみで、普段使いは選択肢に入っていない。俺も直接見たのは一度きりだった」
「どれだけの精霊と融合を?」
「8体だ」
「8……」
「師匠は最大で8体の精霊と自身を合一化させ、降眞化身を完成させていた。口にしてしまえば簡単そうに聞こえるかもしれんがな。俺の調べた限りでは少なくとも直近の2世紀余り、3体以上の精霊と同時融合を果たせた精霊使いはいない。師匠を除いては。彼女は伝説級な才覚の持ち主だったと言える」
「それが母様の実力」
実際的な数字を教えられ、マフユは数度目を瞬かせた。
現在自分の契約している精霊は、風の精霊チアキ、炎の精霊シュウカ、死の精霊セイギ、地礫の精霊ポメの4体。母が複数融合を成功させていた丁度半分である。届くか否か以前に契約精霊の数からして違う。
もっとも他の精霊使いは3体までが限度だったことを考えると、母こそが異例であり、比較対象とするのが間違っているのかもしれない。
ポメが以前契約していた精霊使いも、ポメ以外に精霊を連れてはいなかったとのこと。チアキも一人の精霊使いが多数の精霊と同時並行契約できる精霊使いは稀だと話していた。
だがそれでもマフユが目指すべきもの、超えるべき目標として定めるのはマカベ・ミハルの領域だ。その意志に一切の揺らぎはない。
「母様はどうやって多くの精霊を見付け出したのかしら」
「別段、師匠が探したことはない。あちこちで怪異討滅を行っていると、精霊の方から近付いてきたのだ。基本的に他者や世俗に関心を示さない精霊が、師匠には興味を抱いて自分から集まってくる。精霊を引き寄せる、それもまた稀有な才能だったのだろう」
「私には無い力ね。やっぱり母様は特別な人」
「悲観することもあるまい。お前とて既に4体もの精霊と契約を結んでいるではないか。充分に快挙と言っていい。師匠のように精霊を惹き付ける才はなくとも、お前にはお前だけの力がある」
「なに? 慰めてくれてるの?」
「思ったことを告げたにすぎん。そもそもお前に精霊使いの力が宿っていなければ、復讐に駆けようとも考えず、悲しみを飲み込んで平穏に暮らせていたかもしれないのだ。俺個人としては、要らぬ才だと感じているほどだがな」
「精霊使いじゃなくても、きっと私は母様の敵討ちを決めてる。……でも全盛期の母様なら、はじめから負ける事はなかった筈よ」
マフユは口惜しそうに唇を噛んだ。
両手を強く握り合わせ、昏い目で足下を睨む。
今の彼女は知っている。母ミハルが幼い自分と過ごすために精霊との契約解除を進め、少しずつ戦う力を手放していったことを。
それまで守護の戦士として在った生き方を、母親としてのものに変えた。その結果、忌むべき邪悪につけ入る隙を与えてしまったのではないか。そんな考えが時として脳裏によぎる。
かつて最高位の精霊使いであり、最も優れた現役時代のマカベ・ミハルならば、惨たらしい最期を辿る事もなかったと。
今更思い悩んでも詮のない話である。そうは分かっていても、マフユは奥歯が砕けるかというほどに軋ませて、怒りと嘆きに肩を震わせずはいられない。
「自分の所為などと思っているなら、つまらんことだ。どこまでいこうと元凶は襲撃者そのものだぞ。それ以外の誰にも非などあろうはずがない」
「言われなくても、それぐらい……」
「だったら顔を上げろ、マフユ。お前に最も重要な品を渡す」
フオウの言が聴覚を刺激して、マフユはゆっくりと顔を上げた。複雑な感情が顔に満ち、痛ましやかに歪んで見える。
だがそこにはもう口を挟まず、神父は妹分へと近付いていった。
彼女を見下ろす傍まで来ると、懐から取り出した小さな品を少女の手にそっと乗せる。
「これは、指輪」
手中へ置かれた物を見て、マフユは淡く声を跳ねさせた。
碧緑の宝石を頂いて、落ち着いた輝きを放つ指輪。宝石は見ていると吸い込まれそうになる、不思議な奥深さを秘めている。
見覚えがあった。母ミハルが嵌めていた指輪だ。それが今、自身の手の中で昔と変わらぬ光を返す。
「俺が師匠とお前を探していた時、唯一の手掛かりとして見付けたものだ。森の中で打ち捨てられていたのを拾い、今日まで保管してきた。俺が師匠に出会った当時から、既に身に着けておられた品だ」
「母様の形見」
「ああ。そこに光っている宝石は精霊石。大きな力を持つ精霊が十全に生を全うし、存在を閉じて消滅する際、自然界へ還らず結晶化した至高の逸品だ。基本的に寿命を持たない精霊が外的要因以外で個の形を終えることが稀で、自然に溶け込まず石となる事は更に稀だ。滅多に手に入らない稀少品でもある」
瞬きも忘れ、マフユは清澄な碧光を凝視していた。
幼い頃、よく母にねだってそうしていたように。
神秘的な煌きを見ていると、先刻まで胸中で燻っていた暗意が消えていく。
「年経た精霊の加護が働き、精霊使いと契約精霊の繋がりを強め、交感能力も大きく高めてくれる。それを身に着けていれば、融け合う精神の反発を抑え、精霊との同調を促してくれるだろう。降眞化身の負担を減らしつつ成功しやすくなる」
「今になってこれを渡してきたのは、前よりは認めてくれたということかしら」
母の遺した指輪を握り、マフユはフオウを見上げた。
確かな充足感と、新たな決意が双眸に宿っている。
妹分の藍瞳を逸らさず見て、大柄な神父は控えめに顎を引いた。
「戦闘経験の蓄積が目的としても数多くの怪魔を祓い、結果として常世の安寧を護ってきたのは紛れもない事実。この短期間で4体目の精霊をも傘下とし、多人数で囲い討つべき異形をサユキとのコンビで撃滅してみせた。お前はもう立派な精霊使いだ。その成長速度たるや凄まじい。自分では実感できんかもしれんが、ミハル師匠に迫る勢いがある。ここまでの実績を前にすれば、俺も正当にお前を評価せねばなるまい」
「そう――なら、有難く受け取らせてもらう。今日は助かった」
「かまわん。俺への感謝が少しでもあるなら、元気な姿をまた見せてくれればいい。無理せず、息災でな」
母とよく似た凛々しい面差しで、マフユは椅子から立ち上がった。
対面のフオウに軽く頭を下げてから振り返り、堂々とした足取りで礼拝堂の出口へと歩き出す。
少しずつ遠ざかる少女の颯爽とした後ろ姿を、兄弟子は巣立つ雛鳥へ向けるような目で見送った。




