第66話:狂える黒牙③
「シュウカ」
「おっしゃァァァッ!」
マフユの呼び声に激烈な豪声が応え、左手に紅蓮の炎が巻き起こる。
夜闇を照らす赤い波は流れ集まり、燃え盛る一本の槍を形作った。
マフユは紅槍を握り込み、狙いを定めて一気に投げ放つ。投擲された猛火は充分な速度に乗って、長く伸びたままの異形の右腕へ到達。前腕に食い込むや易々と貫通し、爆炎を拡散させて弾け飛んだ。
瞬きのうちに業火は広がり、これに飲まれた異形の片腕は、肘から先が跡形もなく掻き消える結果となる。
しかし怪物は、右腕の喪失にこれといった反応を示さない。咆えるでも唸るでもなく、代わりに路上を踏み込み急制動を掛け、全身の捻転で強引にマフユへと向き直った。
両瞳がギラつき、危険な害意ばかりが猛り狂う。痛めつけられた事より、生者を潰す事にのみ関心と高揚を注いでいる様子。
「まるで堪えていない?」
マフユは華麗に着地をきめながら、依然揺るがぬ敵の闘争心を見て、眉間に浅く皺を寄せた。
見た限り損傷はかなりのものだが、ダメージが通っているかどうかは判然としない。
どれだけ体液が漏れても、肉体の部位を奪われても、苦しみを覗かせない為に程度が把握出来ないのだ。
話には聞いていたが、実際に目の当たりにすると敵の異常性がよく分かる。壊して殺す以外には徹底的に無頓着で、例え自身の体がどうなろうと顧みず、延々と本能欲求に従い暴れ続ける。
それは生存を第一義とする生命の定義から外れた、文字通りの異形だ。人間だった頃の面影は、何処にも残っていない。
少女が嫌悪感を強めている折、漆黒の怪物は新たな動きに出た。その背中が蠢動し、内側から外皮が破れ散る。そうかと思えば破裂箇所から蜘蛛の脚に似た長い突起物が何本も現れ、ワサワサと不気味に揺れて黒い体液を滴らす。
それらは幾つかの間接を持ち、曲がり、伸びを数回繰り返した。そこから一斉に正面へと攻め出し、マフユ目掛けて殺到してくる。
「ポメちゃん、サユキちゃんを頼んだわよ」
「ぽめめ!」
サユキを路上に下ろし、チアキは全身を解いて形なき風となった。
少年の腕に抱えられた状態で、ポメは了解を応じ鳴く。
彼等の見詰める前方では、変態した異形と対峙するマフユが、両手を真っ直ぐ押し出していた。
同じタイミングで無手の右には金色に輝く大鎌が、左には燃え滾る灼熱の剣が、それぞれ光と共に出現する。
左右に異なる得物を握り、少女が構えを取る間にも、多数の突起は間合いを詰めて襲撃を始めた。上方から、下方から、右や左、どれもがバラけて多方向から彼女を襲う。
「破る!」
あちこちから飛び込んできた奇怪な節脚へ、マフユは両手の精霊武器を振り翳し、掻き払って即座に応じた。
大鎌を真横に薙いで襲撃物を一蹴し、半ばから次々と切り落とし。炎剣を縦に走らせ側面から攻める数本をまとめて焼き断つ。指の動きで鎌を素早く反転させ、返す刃で後続を吹き散らし。燃える太刀には逆袈裟の軌道を走らせ斜線に裂き焼く。
両手を絶え間なく動かしながら、右足へ重きを置いた。ここを軸に両腕を水平へ伸ばし、大きく回転すると、差し迫った新手を相次いで叩き果たす。斬られ、散らされた異形の突起はその先から崩れて実体を消し、欠片も残さず失われた。
それでも尽きない。後から後から、漆黒の節脚は際限なく送り出される。異形の背面からゴボリと生え出し、黒液に濡れたまま少女の攻撃に参加する。
マフユは炎の刃を一閃させ、上から押し寄せる突起を斬って焼き尽くし。金鎌を手中で大回すと、盾の如き回転で攻撃勢を吹き飛ばす。逆手に持ち替えた赤の牙を手前へ引き戻せば、下方から伸びる節々を抵抗なく斬滅させ。黄金の曲刃で大振りに半弧を描き、外周接近の諸々を討ち滅ぼす。
どれだけ切り裂き破壊しても、異形の攻撃は終わらない。それどころか一層に数を増し、獲物の疲労を突き崩そうと覆い被さる。
「くっ――」
あまりの多勢に、マフユ一人では捌ききれなくなってきた。
止まぬ突起の来襲が、次第に彼女の攻め手を越えて、一つ二つと細身へ届き始める。
剣が振られた直後に脇を抜け、護りを突破した鋭端が少女の大腿へ突き刺さる。払われた鎌の上を通り、一気に迫る節の切っ先が脇腹を掠める。
一発のダメージが微細な硬直を招き、その隙に次の一手が飛び掛るのだ。突起物は少しずつ、だが確実にマフユの体へ到達していく。
一本が頬を裂き、一本が手の甲を抉り、一本が鳩尾を突き、一本が首筋を掻けば、一本が肩口へ沈む。そのたび走る痛みを気力で抑え込み、マフユは唇を噛み締めて耐えた。それ以上敵の動きに飲まれぬよう、集中力を高め数段増しの速度で両手を繰る。
「マカベさん!」
後ろから名前を呼ばれると同時に、淡く光る複数の糸が少女の周囲を抜けていった。
サユキの投げた霊子力の縛糸が、殺到してくる異形の節脚を次々と絡め、侵攻を阻害する。
それに続いてマフユの顔横を、茶色い毛玉が高速で通り過ぎた。
「ぽめー!」
回転しながら飛び掛かるポメが、怪物の頭へ激突する。
ぶつかる瞬間、精霊の前面に霊子力を結集させた障壁が張られた。小規模ながら堅固な盾壁は守りの要、そして殴打武器の両側面を発揮して、強い威力で異形の頭をブチ揺らす。
ゴインという硬質な衝撃音を響かせて跳ね返り、ポメは盛大な放物線を描いて飛び戻っていった。
キュルキュルと回転しつつマフユの真上を通り過ぎ、再びサユキの頭上にモフっと着地。目を回しているが怪我はない。




