第65話:狂える黒牙②
「思ってたよりも速いわねぇ」
「だけど以前に天上大高速で追ってきた魔物ほどじゃない」
「ウフフ、そうね。それにサユキちゃんが霊子力を注いでくれるから、マフユちゃんも消費を気にせず力が出せるでしょ」
「ええ。セーブする必要がなくなったのは大きい」
「だ・か・ら、アタシ達からは逃げられなくってよ!」
愉しそうに鼻歌うチアキの声が、マフユの耳に響いた。
その間にも前方を行く異形とバイクの距離は縮まっていき、黒い後姿が次第に視認し易くなってくる。
彼女等の他に動く者はなく、その進行を阻む要素はない。
都市各所で断続的に発生している異形暴走事件へ対処すべく、治安機構は異形の発見と同時に周辺区域の封鎖を進めていた。交通及び情報の規制を速やかに敷いて、当該区の人払いを行い、異形を一定圏内に閉じ込める事で被害を最少に抑えようという意図だ。
市内に設けられている監視カメラや、退魔組織が敷設する定点結界が感知した異常な反応を感知と連動して送信することで、一連の作業が迅速に進みなかなかの成果を上げている。都市の索敵網が科学・霊術を以って相乗的に機能し、異形の早期発見と住民の避難誘導が行われてきた。
その都度に妥当な理由を関係各所が発表し、人々の自主退避を促しているお陰で、現在この周辺一帯に襲われる危険のある民間人はいない。
ことあるごと今回のように理想的な形で作業が完了するわけではないが、今宵に於いては成功を収めている。
尚、異形発見の報は治安機構からケガン市長の特命を受けているマフユにも届けられ、都度敵の撃滅へ馳せ参じる形式にある。どこに敵の首魁が現れるか分からないため、現状は総当たり的に異形発生ポイントを潰して回っていた。
精霊を使った機動力が群を抜いている関係上、治安部隊や退魔の戦士が到着する前に会敵する場合も多い。
「彼等の魂は、さぞや美しいでしょうね。無慈悲に自らを変えられ、望まぬままに人生を奪われたのですから。その無念と憎悪たるや、とても素晴らしい色合いに魂を染めていることでしょう。今から出会うのが楽しみですよ」
姿ないまま陰惨に嗤うセイギを無視して、マフユは前方の怪物を凝視した。
一秒ごとに互いの間隔は失われ、急速に近付いていく。無骨な背面が視界の中央で徐々に大きくなる。
開かれていた間合いが一定域を割った時、マフユはステアリングから右手を離した。
正面へ向けて伸ばした腕に精霊の力が集い、それは黒いうねりとなって掌へ絡みつく。
此の世への怨嗟を含んだ死魂を支配し、己が眷属として内包する死の精霊が、戦う為の形として彼女の手中に実体化を果たす。
黒くのたうつ紐のような光が無数に集って凝結し、瞬時に生み出されたは黒い長銃。
夜の暗さに類する色合いを伴い顕現したのは、兇暴な破壊の使者。銃床を持ち主側に伸ばし、相手側へと突出した銃身は全長の半分に及ぶもの。太く重々しいバレルの起点下部に弾倉の装填箇所を持つ、1200mmの殲滅兵器。
死を司る精霊セイギが変じたのは、ブローニングM1918自動小銃。BARとも呼称される姿だった。
「やるわよ」
短く告げて、マフユは銃器の引き金を絞る。
指動に合わせて銃体が奮え、マズルが烈しく咆え立てた。内火が弾けて銃口部を明るく照らし、瞬間ごとの光に応じて弾丸が吐き出される。
目では追えない高速度で、死魂が凝縮された無数の猛弾は夜気を裂く。撃ち出された無数の弾は悉く、異形の背から手足へと減り込み沈んだ。
外皮を突き抜け、筋肉を抉り、血管を破砕して、骨格を穿つ。
情けはない。容赦もない。振るわれる力に感情はなく、感傷も抱かず、ただ眼前の標的を無作為に打ち据える。これを繰る者の内心など微塵も反映せず、純然な滅びの牙は敵の体を散々に破壊した。
だがそれでも、漆黒の怪物に絶命の兆しはない。
全身から放射される狂的な気配はそのままに、四肢を張って走りを止める。長い左腕が路面を砕いて重心となり、移動の勢いを瞬時に殺す。
次いで素早く反転し、裂けた口部が、真紅の眼部が、バイクで迫るマフユと向き合った。
「あれだけ喰らって怯みもしないとは。恐るべき耐久力ですね。なるほど、普通の魔物とはまるで違う手合いですか」
攻め手の効用がいまいち見受けられない現状に、自動小銃へ変じたセイギが感心の声を上げる。
銃弾を叩き込まれて生じた傷口からは、泥のような重みと粘度を持った黒い体液が零れ出ていた。それらは体表を伝って路上へ落ちるが、落下の最中にはもう霧消して失せ果てる。
これに対して異形の側に苦痛を感じている素振りはない。また怯えの色も皆無である。唯一認められるのは攻撃された事に対する怒り。
いや、それさえも怪しい。真に何かがあるとすれば、それは動く命を見付けた故に襲おうという、条件反射にも等しい反応だけ。
「くる」
異形の両眼がマフユを捉えた時、彼女の藍瞳も正面から睨み据えた。
両者の視線が交わった刹那、異形は路面を蹴って突っ込んでくる。
最初の一歩は余程の出力だったのか、踏み込んだ足下で硬材が粉砕し、異形の足型へ陥没した。
「押しの強い子って好きだけど、無節操はタイプじゃないのよねぇ」
チアキの軽口を耳に受けつつ、マフユは座席から腰を浮かせる。
これに合わせて手中の小銃が、闇の粒子に変わって去った。
「はわ!?」
少女が突然大きく動いたことで驚いたのはサユキ。間の抜けた吐息が口から漏れる。
回して掴む両腕の合間からマフユの腰が抜け、脚が抜け、するりと全てが抜けていった。次いで頭の上から落ちてきたポメが、彼女の代わりに腕の中へスッポリ収まる。
真正面からは大顎を開いて直走る怪物が、重二輪の軌道も構わず向かってくる。更に縮まる距離と猶予は既になく、もはや互いは目と鼻の先。
異形は五指の上で爪を立て、右腕を伸ばし少女達へと飛び掛ってきた。
敵の異体が襲い掛かる瞬前、マフユは黄金のバイクを蹴って空中へと飛び退く。彼女の離反と同時に車体は一陣を発して人型となり、唖然とポメを胸抱きするサユキをお姫様抱っこにして、軽やかに後ろへ跳躍。
チアキが素早く去ったことで何もなくなった空間を、異形は鋭爪で貫くに終わった。
漆黒の異腕は勢いを余して滑り、斜空に躍ったマフユはそれ目掛け反撃へと転じる。




