第64話:狂える黒牙①
時刻が深夜に至る頃、都市の片隅で奇怪な騒動が起きていた。
幾つにも分割された街区の一つ、街灯も疎らな車道に動く影がある。
人通りが絶え、車両の往来も止まった道を、凄まじい速度で走るそれは怪物だった。
手足が異様に長く、その先端に鋭利な爪が光る。四肢を使い獣の如く路上を駆けるが、そのスピードは尋常でない。
人の身が出せる全速をゆうに越え、車両がエンジンを噴かしてようやく追随出来るというレベル。
疾走する怪物の外皮は漆黒に染まり、その表面がぬらぬらと輝きを返す。体は細身だが筋肉質で、異様に引き締まった様が酷くアンバランスだ。
頭部は後ろと横へ奇妙に張り出し、真紅の眼球が焦点なく動き回る。
深く大きく裂けた口腔からは濁った唾液が滴り続け、落ちる端から蒸発しては消えていく。上下にびっしり生えた烈牙は、顎の動きに合わせて激しく擦れてかち合い、甲高い異音を掻き鳴らした。
それは知性もなく理性もなく、ただ目に映る生命を壊すだけの存在。戦う事に全てを費やし、それ以外の何もかもを、自分の命さえも捨て去ったモノ。
黒い異形は走る。狩るべき命を求めて。己を衝き動かす闘争本能の命じるままに。
先頃より都市各所で出没が確認されるようになった怪物を、後方から追跡する者が居た。
巨大な二輪の上に流線型のフォルムを乗せた、金色に煌く大型バイクである。
高速回転する前後のタイヤで路面を蹴り立て、咆哮さながらに駆動音を発し、猛然と怪物を追い立てる黄金の機獣。
その上に跨るのは、紺地ブレザーとプリーツスカートのお馴染みな恰好をしたマカベ・マフユ。桃色髪を夜風に靡かせて、彼女はスロットルを盛大に捻る。
内蔵された7.3リットルV型12気筒エンジンは、 精霊使いから容赦なく霊子力を吸い上げ、惜しげなく倍々の加速を見せた。
まるで爆発したかのような衝撃が奔り、次の瞬間には雷鳴もかくやという絶速でバイクは飛び出す。向かい来る風を切り裂いて、迸るエネルギーを組み伏せて、輝く躯体は轟々と突き進んだ。
黄金バイクが風精霊チアキの変じたものでなければ、まともに乗ってなどいられない。精霊の力で風の抵抗を、またあらゆる圧力を軽減しているからこそ、マフユのような少女が平然と車体を操っていられる。
チアキ自身の加護と補整、これにマフユが培ってきた天性の運転テクニックが組み合わさることで、レーサー並みの安定感と挙動を成立させているのだ。
「マママ、マカベさん、安全運転でお願い~」
漆黒の闇間を突き抜けるバイクの強走に不釣り合いな、震え乱れた声が少女の背を打った。
声の主はマフユの真後ろに乗っているヤマトネ・サユキ。彼は両腕をマフユの腰に回してしがみつき、細い背中へ隙間なく密着している。
傍から見ると恋人同士が同乗してツーリングしているような構図だが、サユキの顔に喜びや下心の色はない。
爆速の生み出す衝撃と振動に曝されながら、マフユの操作に追従し、振り落とされまいと必死の形相。少しでも腕の力を緩めると疾走圧に負けて吹き飛んでしまいそうな恐怖があり、全身を緊張で硬直させているような状態だ。
美しい少女の温もりや柔らかさを楽しむ余裕など皆無である。
「黙って乗ってて」
サユキの訴えを、マフユはすげなく一蹴。
気遣いもなく、更に速度を引き上げていく。
ここに少年が連れてこられた理由はただ一つ。マフユへ行う霊子力供給のためだった。
彼の首に嵌められた藍色の首輪――『従属の隷結』が二人を繋ぎ、サユキの内在霊子力は常にマフユへと流れ込み続けている。そしてこの移動量は二人の距離が近ければ近いほど多くなる。
マフユ用にアレンジされた古き呪法の効力を最大化する目的で、サユキは怪異討伐作戦のたびに呼び出されていた。
「ポメを貴方に付けてるから守りは万全」
「ぽめ!」
進行方向から目を逸らさずに、マフユは淡々と同乗者へ言い送る。
この言葉へ反応したのはサユキでなく、彼の頭に乗っている茶色の毛玉だ。
犬耳とつぶらな瞳、漫画的にデフォルメされた犬口を持つポメラニアン毛玉が、風に煽られる蒼い髪を押さえる形で鎮座していた。
マフユと契約している四体目の精霊、地礫を司るポメである。
現状は力の多くを失い養生中で即戦力とは言えないが、いざという時に帯同者を護る防御の役を担っていた。
バイクの機動によって生じる流風を正面から受け止めて、フワモコな茶色毛が忙しなくはためく中、ポメは表情をキリリと決める。
「そうは言っても~」
マフユとポメの促しを受けても、サユキの強い緊張は変わらない。
地礫の精霊は愛らしい見た目から一緒にいて和みはするが、とても頼り甲斐があるようには見えなかった。
ポメの控えだけでなくチアキの風の加護も働いているが、精霊についての知識もまだまだ浅く、マフユほどに彼等へ信頼を置けていない。
それにマフユが怖れなく運転し続けられるのは、彼女の体内に埋め込まれたドクター・アラハバキ謹製ナノマシンの影響もある。細胞と癒着して合一化したナノマシンが筋線維や神経系を強化して、身体機能や靭帯強度を基礎から高めているため、常人よりも万事の抵抗値が優れていた。
精霊という普通ではない存在を伴って、なまじ独りで戦い続けてきた所為で、マフユは他者の恐怖や脆さを推し量れない。自分はこれぐらい問題なくこなせるのだから、他人もそうだと悪気なく考えてしまうのだ。お世辞にも共同作業、チームプレイに向いているとは言えない。
結果としてサユキがそのあおりを受けている。
なのだが、困惑し振り回されながらも拒絶しないのは、少年の持つ優しさ半分、誰かに必要とされることへの渇望が半分といったところ。その意味では両者の相性も悪くないか。




