第60話:ポメ、参陣
しとしと、しとしとと、雨が降っていた。
霞のように細やかで、視界を薄く閉ざす落水の群。
ぱらぱらとした傘の弾く粒音を、独り歩きながらマカベ・マフユは聞いている。
道路のあちらこちらに点在する浅い窪みには、小さな水溜りが出来ていた。曇った空と、周りの景色を映し込み、落ちて来る雨を受け止め揺れている。
周囲に通行人の姿はない。普段から人通りの少ない道なうえ、雑な整備で足場の状態も悪く、雨が降るといよいよ抜ける者がいなくなった。
マフユにとっても馴染みのある場所ではなかった。
今は通っている高校からの帰りだが、普段は別の道を行っており、此処を通っているわけではない。
新帰路開拓や、ちょっとした探検気分とも違う。一つの目的があった。
精霊使いとしての直観、ある種のセンサーめいたものが、こちら方面に何かを感じたからである。
穴と水溜まりと凹凸が多く、打ち捨てられた廃工場に程近いような、特に見るべきもない場所だ。
雨と傘のぶつかる音、自分の足音、それ以外には何も聞こえない。
「精霊かぁ? オレはなんも感じねぇけどな」
「ワタシのアンテナにも引っ掛かりませんね。我が主君の勘違いでは?」
「いいこと教えてあげる。マフユちゃんはアタシたち精霊を3体も連れて日々過ごしてるのよ。精霊使いとしての能力を毎日鍛え続けてるようなもの。だからマフユちゃんの力は日毎に高まっているわ。今や精霊の感知力に於いては、アタシたちの誰よりも優れた精度を誇ってる。セイギちゃんと初めて会った時とは比べ物にならないわよ」
姿を現さないまま、声だけで精霊トリオは言い合っている。
マフユの行動に懐疑的なシュウカとセイギ。これに反する付き合い歴最長のチアキ。
彼等の問答に関心を示さないまま、少女は雨道を進んだ。
「いた」
不意にマフユが足を止める。
藍色の視線が先、落ち窪んだ水溜まりを越えた場所に、茶色い毛玉が転がっていた。
大きさとしてはサッカーボールほど。両手で抱え持てそうなサイズ感。雨に濡れてゴワついた毛の塊である。
「ぽめ~」
雨音に混じり、毛玉からなにやら鳴き声が漏れ聞こえていた。
張り合いのまったくない、随分と弱々しい響き。
これを耳に拾いながら、マフユは歩みを再開し、毛玉へと近付いていく。
数歩目で彼女の足が直前の水溜まりを踏み、パシャリと音がする。
瞬間、弾かれたように毛玉が飛び上がった。
「ぽめ!」
今度は高い一声が鳴かれ、毛玉の中から犬っぽい耳が生える。
そして丸くつぶらな瞳が開き、漫画めいてデフォルメされた犬口が表れた。
見た目はクッション型のぬいぐるみ同然な謎生物が誕生したのである。
犬と毛玉の中間的な外観は、百歩譲ってポメラニアンと見えなくもない。
「ぽめ、ぽめぽめ」
「マジでいやがったが、なんだコイツ? モップの精霊か?」
「ぽめぽめ泣いてますし、ポメラニアンの精霊でしょう」
「同じ精霊族でも何を言ってるか分からないわねぇ」
「ぽめぽめぽめー!」
犬毛玉は何度も飛び跳ねながら、必死に何事かを訴えていた。
しかし精霊達にはまったく通じていない。
そのため跳ねれば跳ねるだけ、汚れた水飛沫に全身が濡れていくばかりだ。
そんな謎生物の鳴き声に耳を傾け、マフユはこくりこくりと相槌を打っている。
「彼女は地礫の精霊。名前はポメ、だと言ってる」
「おいおいマフユ、アイツの言葉が分かるのかよ!?」
「ええ」
「精霊使いとしての感応力ね。同族でも合わないチャンネルを無条件で繋げてしまえるなんて、マフユちゃんの成長がアタシも嬉しいわ」
「ワタシ達でも見落とす微細な精霊の反応を掴む力といい、我が主君には驚かされますよ。いやはや実に頼もしい」
驚くシュウカ、喜ぶチアキ、感嘆するセイギ。精霊達それぞれの反応を背に受け流し、マフユは膝を曲げてしゃがんだ。
話の通じる相手と出会えたことに安堵したのか、犬毛玉ことポメは跳ねるのをやめ、路上に落ち着いている。
少女の体が下がることで双方の視線距離が縮まり、お互いが瞳を見詰め合う形となった。
「ぽめ、ぽめぽめめ」
「ふむふむ」
「ぽめぽめ、ぽめめめぽめ」
「なるほど」
「ぽめぽ~め、ぽめぽぽめぽめ」
「そうだったの」
「ぽめぽめぽ」
「気になる話ね」
「どんだけ聞いても何一つ入ってこねぇ」
「ポメちゃんはなんて言ってるのかしらぁ?」
面と向かい言葉を交わした後、マフユはゆっくりと立ち上がった。
傘を叩く雨音は次第にまばらとなり、水溜まりに雫が滴り生まれる波紋も、その間隔をあけ始める。
掲げた傘の縁から暗い雲が埋める空を、マフユは覗き見た。
「元々は年配の精霊使いと契約を結び、一緒に行動していたよう」
「ぽめ」
「けれど先日、彼女達は何者かに襲撃された」
「ぽめぽめ」
「見た目は外套をまとった人間。でも人間じゃないらしい。得体の知れない邪悪なモノ。おぞましいなにか」
「ぽめぽめぽめ」
「予想を超える難敵で、彼女達は敗北した」
「ぽめめめめ」
「致命傷を負った精霊使いは、彼女だけでも逃げるように伝え、最期の抵抗へ臨む」
「ぽめ~」
「大きく消耗し力の大部分を失っていた彼女は、精霊使いの言葉に従い逃走した。その最中にバイパスが途絶したため、使い手の死を悟る」
「ぽめぽ~めめ」
「必死に逃げ延び、この辺りまで来たものの、いよいよ力尽きようとしていた。このまま消滅していくのかと嘆いていた時、私に見付かり現在へ至る」
「ぽめ! ぽめ!」
「苦楽を共にしてきた相棒の無念を晴らしたい。けれど自分だけでは無理。契約し養ってくれるなら、回復後には全力で力を貸す。と言っているわ」
「ぽめめめ!」
濡れ雑巾のような姿になりながらも、ポメのつぶらな瞳は諦観に染まっていない。
若き精霊使いに出会えた幸運を糧として、抵抗と再戦の熱意に燃えていた。
「精霊使いを狙った邪悪な襲撃者……マフユちゃん、それってお母様を襲った?」
「私の知っている相手と姿が違う。けれど関係はあるかもしれない」
マフユの藍瞳にも鋭い戦意が滾る。
雲から切って下げた眼光が、こちらを見上げるポメとぶつかり絡み合った。
奪われた近しい者の仇を討つ。共通する理念が少女と精霊を引き合わせたのかもしれない。
「契約が解消されりゃ、精霊と精霊使いは他人同士だ。繋がりの切れた相手に義理立てする必要もねぇ。それなのに仕返し狙いたぁ、いい根性してるぜ。オレは気に入った!」
「大地の力を司る精霊ともなれば、その本領は計り知れません。強力な味方は我が主君の悲願達成に欠かせないでしょう。勿論ワタシも賛成しますよ」
「マフユちゃんのしたいようにするといいわ。アタシはいつでも貴女の意思を尊重してよ」
精霊達の声に頷いて、マフユは傘を閉じた。
丁度、雨が上がり、雲の隙間から一条の日射しが降りてくる。
光の中でマフユが左手を前に伸ばすと、跳ね飛んだポメがその上に乗ってきた。
より近い距離で、再び視線を交わす両者。揺るがぬ決意が交換される。
「私にも果たしたい目的がある」
「ぽめ」
「私には力が、ポメには宿り木が必要」
「ぽめ」
「契約よ」
「ぽめ!」
互いの意識が求めを結び、紫電の閃走が腕と毛玉を輝かす。
今ここに新たな契約が成立した。




