第55話:従属の隷結②
精霊達との話し合いから一日後、部屋の扉を誰かが控えめにノックする。
少ししてからマフユが扉を開けると、アパートの外廊下にサユキが立っていた。
印象的な垂れ目はそのまま、薄水色のパーカーにグレーのカーゴパンツという以前と同じ装い。対するマフユもシャツにスカートと、ブレザーを脱いでいる以外は出会った時で同じ格好をする。
顔を合わせたマフユは無表情。サユキはぎこちない笑みを浮かべた。緊張感を伴っていて動きが硬い。
それもその筈で、先日出会ったばかりの異性に、部屋へ来いと呼び出されたからだ。
複数の精霊を従えている相手なのだから二人っきりということもないのだが、それはそれとして思うところはある。
そうした内面の複雑な感情が、サユキの面貌を染めていた。
「どうぞ、入って」
少年の心持ちなど素知らぬまま、マフユは気負いなく招き入れる。
簡潔で抵抗もなく、ごく自然体で男の侵入を許すとした。
その無警戒さが、殊更にサユキの困惑を強める。
かと言って突っ立っているわけにもいかず、若者は意を決して部屋へと足を踏み入れた。
「お、おじゃまします」
おずおずと挨拶しながら後ろ手に扉を閉め、玄関で靴を脱ぐ。
短い廊下を真っ直ぐ進み、リビングへと辿り着いた。凡そが視界内に収まる程度の、あまり広い部屋ではない。
家具類はごく僅か。小物の類も一切なし。可能な限り無駄を削ぎ落とした全像は、年頃の娘が住む環境としては殺風景に過ぎる。
華やかさなど微塵もない空間に、サユキは思わず唖然としてしまう。
「水しかないけど、どうぞ」
リビング併設の台所から歩いてきたマフユが、ミネラルウォーターのペットボトルを座卓に置いた。
そのまま本人はフローリングの床に座る。
我に返ったサユキは彼女の視線に促され、小さく頷くと対面に腰を下ろした。
座卓を挟んで顔を向け合うと、少年は少し引きつった微笑みを浮かべる。8割強が愛想笑い。
「い、いい部屋だね。その、スッキリしてて」
「そう」
「女の子の部屋に呼ばれるのは初めてで、ちょっと緊張しちゃうな」
「ふぅん」
「あ、水、いただくね」
「ええ」
サユキがどう語り掛けても、マフユは淡々と返すばかり。揺らぎのない眼差しと声調からは、喜怒哀楽のいずれも読めなかった。
落ち着かない様子で少年はペットボトルを手に取り、蓋を開けて一口飲む。
話があると言って呼ばれてきたが、内容の見当はまだつかない。面と向かう相手の表情からも窺えず、疑念と不安が喉を渇かした。
「私の力になりたいと、前に言ったこと。あれは本気?」
ほどなくして、マフユが問う。
サユキへと真っ直ぐに注がれる視線。その瞳は凪いでいるが、奥に強い意思が見えた。
覚悟を求める輝きに射られ、少年は思わず息をのんだ。
もう一口含んで喉を湿らせた後、蓋を閉め、ペットボトルを卓上に置く。それから背筋を伸ばし、マフユの目を見詰め返した。
「うん、本当だよ」
「会って間もない相手なのに?」
「お世話になってきたスメラギ神父の頼みだからね。それに……」
美しい少女のような細面に、サユキは真剣な表情を浮かべる。
琥珀色の双眸には固く定めた決意と、望み喘ぐ求めの二色を同等に灯していた。
「僕自身が、誰かの助けになりたいんだ。役に立てることが少しでもあるなら協力したい」
放たれたのは偽りのない本心。人のために働きたいという思いに間違いはない。
ただその理由が、人々の幸福へ寄与する喜びに根差した善性ではなく、他者に必要とされる過程を欲しての自分本位という内訳を持つが。
退魔の名門へ連なる血筋に生まれながら期待に応えられず、出来損ないと見限られた挫折感と自己嫌悪。そこへ抑圧され続けた承認欲求が絡まり澱み、役割を与えられることへの執着と渇望に繋がった。
誰かを助けることで自分に価値があると納得したい。自己肯定感の確立がために、サユキは頼られることへ前のめりなのだ。
「そう。本気なら、それでいいわ」
相手の胸中は知り得ないが、揺るがない一心を受け取り、マフユは浅く顎を引いた。
抱く想いを理解しなくとも、使えるものであると認め置く。
重要なのは上っ面の言葉でなく、翻ることのない強靭な内実を備えているか。どうあっても毀れない意志の有無。
サユキにそれがあると見定めて、マフユは左腕を動かした。
「貴方の力を貸してもらう」
伸ばされた手が、サユキの首へ届く。
五指が触れ、次に掌が触れた。
するとマフユの腕から淡い紫電が生まれて走り、指先からサユキの首へ伝って一巡する。
痛みや痺れは何もない。しかし紫の雷閃が一回りして始点と先端で交わり結ぶと、短瞬に熱が生じ皮膚を焼いた。
「あつッ!?」
突然の熱さへ少年が顔を顰めた時、マフユが音もなく手を離す。
合わせて感覚も消えていたが、代わりに妙な違和感が残った。
なにがなにやら分からない中、自分の首を擦ろうとサユキが手を向かわせる。だが指は首の肉へ届かず、やや固い独特の弾力ある物体に当たった。
おかしいと思い、両手で首周りを探っていく。指先に及ぶのは冷たい革のような感触。それが自分の首を一周しているのだ。
どれだけ触ってみても継ぎ目がない。
「なんだ、これ……首輪?」
首のために自分では直接見えないが、指に届く触感からイメージされる形状は、首に嵌められた枷。
犬やらペットに取り付けられた首輪である。
事実、サユキの首には藍色をした革へ似る質感の首輪が巻かれていた。
チョーカーと見るには厚く幅広で、オシャレアイテムというには無骨が過ぎる。
「マカベさん、僕に何をしたの?」
意図不明の首輪を執拗に触りながら、サユキは困惑を隠さずマフユを見た。
対面の少女は申し訳なさそうにするでもなく、かといって笑顔を作るでもなく。特段に感情のない平板な面持ちで、サユキの視線を受け止める。




