第50話:冬と雪の出会い④
長く尾を引き震える怪異の雄叫び。
精霊が生み出した炎の余波。薄く逆巻き自身を包む微風の流れ。
無機的な空気。乾いた時間。
一瞬の内に幾多の情報を感じ得ながら、マフユは右脚を前へ踏み出す。
履き古された靴が赤銅色の外殻突起を打った時、握る直剣の刃が一段と強い輝きを生んだ。両刃の剣身は赤味を倍増させ、刃全体に過激なまでの熱量を帯びていく。
マフユの霊子力を注ぎ込まれ、精霊シュウカの出力が向上していた。応じて赤熱化を遂げ攻勢力の著しい上昇を迎えてのこと。
刀身に宿った超熱量で接触対象の硬度を瞬間的に下げ、即座に強靭な刃を叩き込む事でこれを壊断する必殺の斬撃である。
長く多く重ねてきた戦いの日々で研鑽し、鍛え上げた絶技を発揮する。
「これで、終わりよ」
「ブッた斬れろやァ!」
炎精と声を連ならせ、マフユは燃える刃を正面目掛けて斬り下ろした。
掲げられた一剣が不可避の速度で襲い掛かり、落下寸前だった巨蟲の脳天を断つ。
先刻突き穿った大鎌の斬閃を基点と追う真紅の業熱は、頭殻を焼いて引き裂き、生半可な抵抗など許さない。
あらゆる細胞を熱火へ投じ、急速に追い剥がす。腕運に従って灼剣が進む度、百足の頭は両断され縦一文字に裂けていった。炎刃の軌跡は紅蓮の残滓を仄かに靡かせ、陽炎の如き揺らぎを描く。
脳幹に達した激赤は易々と内肉を降し、詰まり置かれた脳髄を襲撃した。
絶大な破壊の権化と化す熱剣に慈悲はなく、柔らかな頭脳塊は冗談のように焼け裂ける。蛋白質が燃焼して強烈な臭気が漂い出し、巨蟲の頭蓋から黒々とした噴煙を昇らせた。
振り下ろされた刃が完全に落ちきると、怪物の頭部はいよいよ縦に割けて分離する。
切り開かれた断面は焼け焦げて黒ずんでいるものの、肉と肉とがあまりの熱で溶接された為か、血は一滴として零れない。
ただ左右に分かれた頭だった物が距離を取り、重力へ手繰られて床へと落下するだけ。
これへ伴い抵抗の絶えた大鎌も、黒い血に濡れた刃を鈍く光らせ引き戻された。
両断された頭部は床に叩きつけられ、重い響きを鳴らして無様に拉げる。
脳漿や牙の残骸といった内容物を周囲へ散らし、砕けた面を硬材にへばりつかせた。
紅い複眼は輝きを失くして転がり、そうでなければ肉と床に押し潰され、奇妙な液体を滲ませる。熟れ過ぎた果実の末路も同じ、目を背けたくなる不快な有様だった。
しかし魔性百足の体は動きを止めない。
頭を失ったにも関わらず、生々しい切断面が覗いたままの首部を振り乱す。
鳴き声こそないが長大な体をうねらせて、止まらぬ足音で苦情を立て悶え続ける。
「まだ動けるの?」
「やぁねぇ、タフすぎるわ。さっさと滅んでくれないと、破壊の悦びが得られないじゃない」
怪異が有す恐るべき生命力。従来生物を凌駕する執着の猛りに、マフユは眉間へ皺を刻んだ。
他者を討ち破り、その末に訪れる破滅を愉しむチアキとしては、強固に踏みとどまって存在を維持する手合いは苦手な部類。消え去らないことへの強い不満が奏でられた。
自らを統御する頭脳部の断裂によってか、怪物は規則性も目的も感じられぬ有様で、我武者羅に暴れ続ける。
箍の外れた肢体の動きは一段と激しさ及び奇抜さを増し、陸に打ち上げられた魚よろしく散々に悶えた。
長い胴体や尾であちこちを無秩序に叩き壊し、自身が傷付く事もかまわず脚を胴と床に挟んで引き摺っていく。繰り返される過剰な行動で黒い体液は方々へ飛び、痛みを忘れた躯体を丸めては跳ねさせ、伸びては転がす。
もはや発狂と呼べるレベルの蠢動に、少女の体が大きく揺らいだ。
「マフユちゃん、いったん離れましょ。翼を与えるから上に飛ぶわよ」
「まだダメ。ここでトドメを刺しておかないと再生する。セイギが使えない以上、遠距離攻撃の手段がない。いま離れたら好機を逃す。再接近は難しいから」
マフユは振り落とされそうになるのを寸前で堪え、手にした大鎌を怪物の外殻に勢い良く振り下ろす。
黄金の三日月刃は頑丈な装甲に切っ先から深々と沈み込み、彼女を支える杭となった。
暴れのたうつ異形の体は尚も止まらない。その上に乗っている少女の視界は、上下左右に凄まじく揺れ動く。
まるで断崖から落下していく車中のようだ。容赦のない撹拌が全身を苛み、胃の痙攣を誘発して強烈な吐き気を覚えさせた。
精霊武器を握る腕は痺れて震え、両脚からも踏ん張るだけの力が抜けていく。
現状耐えられているのは、ドクター・アラハバキ謹製のナノマシンが身体機能を底上げしているからに他ならない。
しかしこのままでは数分と保たず百足の背より転げ落ち、収拾のつかない巨蟲の暴走に巻き込まれてしまうだろう。
今の激しさで床に落ちれば、逃げる間もなく叩き潰されてしまうのは明白だった。かと言って距離を取れば、異常に暴れる怪異へ改めて取り付くことは不可能に近い。
「くぅッ」
噛み締めた歯の間から、マフユの苦しげな息が漏れた。
身体も頭も盛大に振り回され、意識そのものが途切れそうになる。
四肢からは徐々に力が失せ、突き立てた大鎌を握り続ける事が困難となっていく。
だが突然、魔蟲の身悶えが治まった。
前触れもなく激震が止み、少女を襲う強振動が不自然に凪ぐ。
何事かと目を瞬いたマフユは、怪異の全身に淡く光る多量の糸が巻き付いていることへ気付いた。
物理的な道具ではない。霊子力を編み上げて作られた封魔の縛糸である。
神秘性の内包された力の結集が糸状に練られ、10本の控えめな輝きとなって大百足を絡め取り、抑え込んでいた。
自分とも精霊とも違う、第三者の介入。




