第47話:冬と雪の出会い①
強烈な悪臭を放ち、全長6mに達する巨大な影が走り抜ける。
荒ぶる風が影の移動に合わせて砂塵を巻き上げ、煙る大幕を作り上げた。
移動を続ける巨体は厚く張られた砂埃のカーテンに隠れるが、鳴り止まない足音と粘つく咆哮は、怪生物の存在感を充分すぎるほど感じさせる。
数秒もせぬうちに、煙の蔽いを突き抜けてソレは再び現れた。赤銅色の外殻で覆われ、幾多の節で区切られた長大な体。その下面部で蠢く数え切れない無数の脚。胴の先端に設けられた平たい頭部では、上下へ大きく開いた口から鋭利な牙が覗く。
巨影の正体は百足型の異形だった。昆虫サイズを遥かに超えた大きさを持ち、重戦車じみた迫力を併せ持つ大型の怪異だ。
巨体を支える脚という脚が各々猛烈な速度で動き、巨蟲の体甲を一気に押し進めている。体の大きさ、見た目の重量感に反して、その動きは俊敏で驚くほど速い。
動く度に硬質な床面と脚先とが擦れ、甲高くも不快な異音を響かせた。
長い距離を容易く潰し、おぞましい容姿を波打たせて、巨躯の百足は獲物を狙う。爛々と輝く紅色の複眼には、黄金色の大鎌を持つ少女が映っていた。
限界まで開いた口部に鈍色の牙を剥き出し、捕食の準備を整える。そこからは強烈な異臭が溢れ出て、無秩序に大気を汚していく。
閉じられる事のない口腔、その中で居並ぶ牙の合間から、悪辣な臭いと共に透明な唾液が数滴床へ滴った。
喰らった肉を高速で溶解する成分を含む為に、付着点から白煙が上がる。続けて何かが溶けていく独特の音。床の一点は融解し、陥没していた。
「あらやだ。ヨダレまで凶器なんて、けったいな魔物ねぇ」
「当たったら溶けちまうぞ。気ぃつけろよ、マフユ」
「ええ」
風と炎の精霊が発す言葉え応えつつ、鼻を衝く猛臭に顔を顰め、マフユは反身の月刃を正眼に構え取る。
磨き研ぎ澄まされた刀身は鏡の如く世界を映し、桃髪揺らす美貌を側面に捉え描いた。
自身を数倍する異形に対峙する少女は、そうとは思えぬほど軽装である。紺地のブレザーとプリーツスカート、他に身を護る装備はない。
ただいま登校途中です、と説明されても疑いようのないラフな格好だ。
凶暴な悪意の魔性へ挑もうとする様子が窺えるのは、彼女が握る大鎌と傍近くに漂う人ならざる力の気配のみ。
「あの大きさだと体力も相当。長期戦は不利ね」
吐き出される呼気に応じ、マフユの面上に真剣味が増す。
見えざる緊張の糸が引き絞られ、彼女の雰囲気が鋭利に変貌を遂げた。
目の前の大百足は魔物ないし怪異と呼ばれる不浄の集束。発生して間もないが、放っておけば生命の輝きに惹かれ、一般市民を襲い始めることが予想される。
存在を感知した退魔組織から討伐依頼を請け、マフユは精霊達と共に急行し、対峙したのが現状だ。
生ける者と相反する魔。排除すべきモノ。なにより戦闘経験という己の糧。今までどおり完膚なきまで、徹底的に破壊し尽くす。
揺るがぬ意志と気力が滲み、次いで少女の全身から濃厚な戦意が溢れ始めた。巨蟲を睨む目が鋭さと険しさを宿し、散漫だった殺意が一点へ凝縮していく。
構える刃越しに怪物を見据え、マフユは両脚を肩幅に開いた。
正面から注がれる真紅の視線と獰猛な吐息。無遠慮で無慈悲な破壊を求める複眼を、少女は真っ向から睨み返す。
「行くわ」
胸中へ灯す確固とした決意を糧として、マフユは半歩分脚を踏み出した。
次の瞬間には駆ける。
自身の身の丈へ迫る大鎌を持ちながら、平時と寸分違わぬ軽快な動作。重さを感じさせない速度。数歩目で最高速に乗り、次の一歩で強かに床を蹴った。
桃色の髪をなびかせ、少女は跳ぶ。
同時に、それまで彼女の居た場所を、巨大百足の顎が襲う。
真正面から突っ込んだ魔蟲の頭部が床面へ減り込み、これを叩き壊した。砕けた硬材が隆起し、破片を飛び散らせる。粉塵が舞い、俄かに視界を閉ざす。
それを眼下に見て、マフユは体軸を前方へ傾け、空中で反転した。
「来なさい、セイギ」
「仰せのままに、我が主君」
精霊を呼んで伸ばした左手、その中に闇の粒子が集って実体化する。瞬時に出現したのは上下二門に割れた銃口を持つロングバレルライフル。
金色に照り目立つ大鎌へ敵の注意を引き付けさせ、誘った攻めの間隙を逃さず、即座に重々しい銃器の狙点を定める。
黒光りする本体部から突出したバレル先端の双銃口が、巨蟲の頚椎保護外殻へ直線位置で並んだ。これと同時に引き金が絞られ、マズルフラッシュが明滅する。
死魂を凝縮した成型炸薬内蔵弾体が、視認不可能な速度で射出された。
恐るべき破壊の黒牙が空中を突き抜け、それぞれに赤銅の装甲へ着弾。強固な外殻へ減り込み、多層構造の防御を粉砕しながら沈下した。弾丸と外殻の接触面では苛烈な火花が散り、銃撃音と破壊音が重なりあって凄まじい騒音を作り出す。世界が揺れて見える程の衝撃が生まれ、火薬と血の臭いが急速に周囲へと立ち昇った。
連続する弾丸の襲撃によって突き破られた甲殻から、黒い流液が溢れ出る。奥深くへ潜り進んだ強弾の勢いに押され、粘度の高い黒液が飛沫を上げた。
噴き出す鮮血は止む事無く散り、周辺殻を黒く汚す。世界に現れた新たな色彩の中、異形の咆哮がけたたましく轟き渡る。




