第46話:兄弟子の来訪④
本当はマフユも分かっている。
フオウがどれだけ自分の為に時間を費やし、本来負わずともよい苦労をしてきたのか。どれだけ自分を大切にして、心配していたのか。見えない所でどれだけ支えてくれていたのかを。
だが復讐に固執するあまり彼の思いを理解しようとせず、与えられた庇護を蹴って勝手に動き回ってきた。自分に同調しない彼を嫌悪さえして。
恩知らずで不義理なのは自分自身だ。その姿勢は誇れるものでは断じてなく、恥ずべきもの。
誰かに親切にされたら、感謝とそれ以上の親切で返しなさい。親切の輪が広がれば、それだけ世界は優しくなっていくから。
そう語った母の教えにも反する。
それでも、マフユは胸の奥底で燃え滾る強烈な怒りと怨みを手放すことができない。
最愛の母を惨たらしくいたぶられ、目の前で喰い殺された、無念と悲哀、絶望の想いはどうあっても拭えない。
復讐を遂げる。その揺るぎ無い一念は、既に少女の人生目標として完成している。これを成し遂げるまで、捨てることなど絶対に不可能だった。
一方で心の中に残る、まだ温かな部分はザワめく。
親身になってくれる唯一の家族に、申し訳なさが芽生えて居心地が悪い。
「ごめんなさい。こんな事を言うつもりはなかった」
なんとも言えない複雑な顔、マフユは心許無に目を伏せた。
こんな時、どんな表情をすればいいのか分からない。
その戸惑いが不満を招き、我知らず下唇を噛んでしまう。
「いや、分かっている」
少女の心情を察して、フオウは片手で続く言葉を制した。気に病む必要のない事を伝えるべく。
親代わりを名乗れるほど傍に居たわけではないが、それでも赤の他人よりは距離が近い。
彼女を幼い頃から知っている身として、内面の揺れを看破する程度のことは可能である。
「俺とて悔しくないワケではない。気持ちはお前と同じだ。されど激情に駆られ、闇雲に暴れ回ってどうする。もっと冷静になれ。状況を俯瞰しろ」
「戦いを重ね、精霊を探し、今以上に強くなる。それが私に出来ることよ」
「無理を通し続ければ、いつか必ず限界が訪れる。その時になって後悔しても遅いのだぞ」
「母様の仇さえ討てれば、後のことなんて……」
「マフユ、未来を望まない者に、明日を生きようという力は宿らない。未来を掴み取る意思がなければ、本当に大きな困難は打ち破れないぞ。自分の人生を切り捨てるな。視野を広げろ」
覚悟を問う厳しい目でフオウが見据える。
注がれる視線を正面から返しつつも、マフユの表情は硬い。
「今すぐ生き方を変えることは出来ずとも、少しずつ考えていってみろ。ミハル師匠が、お前にどう生きて欲しいと願っていたかも」
真っ直ぐに送られてくるフオウの言葉に、どう応えるべきか逡巡するマフユ。
一度は口を開こうとして、だが結局は噤んで押し黙る。
憮然としながら左手で前髪を掻き上げると、母親と同じ桃色の髪が白い指の合間を抜けていった。
「それと、お前がアルバイトをしている居酒屋へ挨拶に行ってきた」
「は? なんで」
「一応は保護者だからな。世話になっているとあれば、顔を出して話ぐらいしておくべきだろう」
「なにを勝手に……」
フオウの思わぬ告白に、マフユの口から気抜けた疑問符がこぼれ出た。
続いて居酒屋「つきはみ」の店内と、店主ツキハの顔が脳裏に浮かぶ。
更にそこへ菓子折りを持って訪れる神父風大男の姿を幻視し、僅かに片眉が上がる。
「店主殿は朗らかで良い人だった。お前のことを気にかけていたぞ」
「……そう」
「お前が大怪我をして店に来れなくなっては、迷惑をかけるだろう」
「……分かってる」
「俺だけではない。店主殿のようにお前のことを心配している人がいる。そのことは忘れるな」
静かな口調で伝え置くとフオウは立ち上がり、マフユの方へと踏み出した。家主よりも広い歩幅で歩み寄り、その正面へと立つ。
少女は巌のような兄弟子を見上げた。生まれてこのかた冗談など一度も言ったことがないだろう厳格な顔が、相変わらずの迫力で自分を見下ろしている。
互いの視線は空中で交じり合い、両者の瞳奥を深く覗いた。
「自分を軽く扱うことだけは止めろ。何か困り事があったら、まず俺に言え。多少なりとも手助けはできるつもりだ」
分厚い大きな手が、マフユの頭に乗せられた。奇妙な力加減の具合がそれとなく理解でき、慣れない挙措だと容易に知れる。
少しして、少女は自分が撫でられているのだと気付いた。
あまりに無骨で、あまりに無粋な一手の所為で、最初は何をされているのか分からなかった。
それが彼なりの心遣いなのだと思い至った時、仄かな可笑しさが込み上げてくる。
「本当は大人しくしていて欲しいくせに」
「確かにそうだが、言って素直に聞くお前でもあるまい。ムキになって無茶をされるぐらいなら、せめてお前の負担を最小限にできるよう努めるのが建設的だろう」
濃厚な溜息を吐いたフオウは、マフユの頭から手をどけた。
そのまま踵を返し、内外を隔てるドアへと向かう。
「折を見て、また来る」
「さっきのは本気? 頼れば手助けをすると言ったこと」
「兄としては、たまには妹に甘えられたいものだ」
マフユの呼びかけに振り返り、フオウはあるかないかの微笑を刷いた。
表情筋の動きがあまりに些細なため、それと見破ることは至難であったが。




