第44話:兄弟子の来訪②
「貴方には関係ない」
「マフユ」
荒くはないが低く重い一声が少女を呼んだ。有無を言わさぬ迫力に、マフユは口を噤む。
座した大男の眼差しは静かでありながら、酷く厳しい。
「俺はミハル師匠に大恩がある。何者でもなかったガキを一人前にしてくれたのは、他ならぬあの人だからな。その忘れ形見であるお前の面倒を見る責務が、俺にはある」
フオウの言を聞きながら、マフユは目を伏せて押し黙った。
何かを堪える表情となり、反論こそしないものの不服そうに唇を噛む。
「厄介事に首を突っ込まないよう、散々言い含めてきたというのに。気付けば精霊探しや魔物狩りに奔走し、あげく片腕を失う有り様だ。お前の自業自得だが不憫と思い、俺の知る中で最も技術力に秀でる者を紹介した。しかし義手が出来た途端にまた危地を駆け回る始末。いい加減、懲りたらどうだ」
重々しく溜め息を吐いて、フオウは頭を振った。
人格に問題はあれでも才知に優れるドクター・アラハバキ。彼とマフユを引き合わせたのはフオウだが、それは痛い目をみたマフユが無茶をやめ、大人しく生活していくだろうと思ったからこそ。これからの暮らしに困らないよう、傑出した技術のサイバネティック義肢を与えてやりたいという親心だ。
だというのに当のマフユは生き方を改めるどころか、更に苛烈に勇ましく戦いへ向かうばかり。
頭痛の種に悩む仕草へ比例して、彼が眉間へ刻む縦皺は一層深くなる。
「母様の敵を討つ為よ」
顔を上げて相手を睨み、マフユは力を込めて反駁した。
両の藍瞳には強い憎悪が鮮烈に渦巻いている。
それを認め、フオウは憐憫の色を面へ刷く。厳しかった双眸が一瞬だけ痛ましげに揺れた。
「復讐だなどと。馬鹿な事は考えるなと言った筈だ」
「フオウ、貴方は許せるの!?」
噛み付くような勢いで、マフユが吼えた。
常に淡泊で何事にも冷ややかな少女は、逆鱗に触れられた龍の如く激情を露とする。
「母様を奪った敵を捨て置けるものか! 私は断じて許さない! 絶対に見付だし、この手で引き裂いてやる! 徹底的に縊り殺してやる! その為ならどんな事だってする!」
「自分の人生を代価に力を得て、身も心も焼き焦がしながら復讐を果たし、その後に何が残る。お前はまだ若い。日の当たる世界で平穏に生きていけるのだ。それであるのに、先がない血塗られた修羅道をわざわざ選ぶな。幸せになる道を行け」
激昂するマフユとは対照的に、フオウは冷静に言葉を紡ぐ。
対面の少女を見据える黒瞳には、呆れも蔑みも含まれていない。そこはかとない憂いだけを帯びていた。
「今のお前を見たら、師匠はなんと言うだろうな」
マフユは思わず口ごもる。この瞬間、彼女は明らかな怯みを見せた。
母を知らない他人が同じ事を告げても、容易く跳ね除け動じはしなかっただろう。お定まりの懐柔策と看破して、笑止と切って捨てた筈だ。
けれど母の下で手ずから術技を仕込まれた最初で最後の弟子が、滔々と述べては無視など出来る道理がない。突っ撥ねようにも重みが違い過ぎる。
そもそもスメラギ・フオウというこの男は、マフユが生まれる以前からマカベ・ミハルに師事していたのだ。
稀代の精霊使いとして『魔祓い天女』の二つ名を頂く母が、たった一人迎え入れた弟子である。ミハルのことをマフユ以上に詳しく知る、恐らく唯一の人物だろう。
その男が、正面からマフユを否定する。復讐に駆ける彼女を認めないばかりか、それは愚行だと糾弾する。
彼女にとって容認出来る事ではない。腹立たしくあり歯噛みする一方、何故自分を支持してくれないのか疑問が募る。
マフユにとっては最愛の母、フオウにとっては敬愛する師。マカベ・ミハルという掛け替えのない明星を不当に奪われた怒りと哀しみ、呪いと憎しみ、それは如何ほどの物であったか。
同じ喪失感を味わう者として、信を置いていただけに裏切られたという思いは大きい。
フオウが師の一粒種たるマフユを、とかく案じる気持ちも分かる。しかし、それでも納得は出来なかった。
彼女が本当に求めていたのは自分を抑え付けるストッパーでなく、共に報復を謳う同志なのだから。フオウはその最有力候補だった。それなのに、である。
この大男はマフユを諌めるばかりで、恩師の仇討ちをただの一度も仄めかしはしない。
まったく興味がないのか、とっくに諦めているのか、一切その話題へ触れようとしてこなかった。
「これ以上、人生を無駄に浪費するな。復讐なぞつまらない事は考えず、普通の娘として生きていけ。師匠もそう望んでいる」
「……い……ん……に……」
堆積する不満は反意となり、少女の内に燻る暗い想念を励起させた。
荒ぶる感情の奔流は自制の利かぬ域まで及び、彼女の頭を痺れさす。思考能力を瞬時に奪い、あらゆる物を赤く染める。
そこからは引き金に掛けられた指と同じ。進めばどうなるか理解していながら、止まることなく動いてしまう。
冷静な判断が出来ていれば絶対に口走らないだろう一言を、遂にマフユは吐き出した。
「一番大切な時、居なかったくせにッ!」
それは致命的なまでに兇悪な、だからこそ絶対の鋭利さを備えた呪いの言葉。
喉が裂けん程の勢いで絶叫した少女の呪詛が、受け止める大男を硬直させた。
フオウの精悍な強面が、痛烈な罪悪感に激しく歪む。ざっくりと抉れた顔は自責の念に苛まれ、色を失くしている。




