第43話:兄弟子の来訪①
都市部の一角に、二層構造の低層住宅がある。階層自体は少なく敷地面積も然程広くはない。全部屋数もやや少なく、一般的なアパートに比べると、多少小さめな印象を受けた。
時代を感じさせる木造・軽量鉄骨造の設えは、しかし新築さながらの清潔感を損なっていない。
行き届いた管理と、住居者達の協力によってのみ実現出来る美しい姿は、利用環境の良さを見上げる者に教えてくる。
そこは「朝空」と呼ばれるアパートだった。都内の高等学校に程近く、同校に通う学生達が何名か居住している。そのため登校時間が近付くと、次々に学生が現れ大いに賑わった。そんな光景を毎日のように確認出来る。
だが日曜となれば、その限りではない。日々の喧騒はなりを潜め、ゆったりとした時間がアパート全体に漂って見える。
アパート朝空の大半には若者が住まうため、休日であっても訪れる者は若年層が常だ。彼等彼女等の関係者である場合が多い。
そんな中、足丈のある黒色をした立襟僧衣姿の男が居たならば、明らかに異質である。それも肩幅が広く、頑強な体付きをした、身長にして2m近くへ達する大男なら尚更だ。
日曜の朝っぱらから、場違いな印象しか受けない僧衣の大男が、アパートの階段を静かに上っていく。その様子は中々に奇妙であり、どこか喜劇的だった。
30を目前にした20代も後半という男。その顔は彫りが深く、精悍で、禁欲的な厳粛さを具えている。
黒い髪を短く刈り込み、黒の僧衣と革靴でまとめた全身はカッチリしたもの。敬虔な聖職者に見える一方、狂信的な悪魔崇拝者にも見えるのは、彼が持つ重く凍て付いた気配の為だろうか。
見た目に反する軽快な足取りで階段を上り終えると、僧衣の大男――スメラギ・フオウは二階層目の渡り廊下を進んでいく。黙したまま彼が目指すのは東端の一室だった。
広い歩幅が一歩で大きく距離を踏み、その繰り返しで程無く目的地へと辿り着く。
フオウが脚を止めたのは、他と同様に青い扉で閉ざされた部屋の前。二階の端に位置する、最も奥まった場所だ。
彼は少しの間、青い扉を見詰めていた。いったい何を思うのか、その無機的な面貌からは窺い知れない。
黙ったままで立つこと数十秒後、腕を上げて、扉を数回軽く叩く。傷痕だらけの肉厚で無骨な手だった。
ノックから待つこと一分あまり。鍵の回される音がして、青い扉が内側に開かれる。外界との隔たりを解き放たれたその先に、一人の少女が立っていた。
鮮やか桃髪を首筋まで伸ばした、藍色の瞳を持つ少女だ。顔立ちは驚くほど整っており、目を瞠るほどに美しい。弱さ儚さは微塵もなく、凛然とした強かさが感じられる。
ただその顔には感情と呼べるものがなく、厳冬の湖面に似た冷たさが占有している。
線の細い矮躯には、ワイシャツが一枚羽織られているだけだった。下半身には何も穿いていない。その所為でシャツの裾から黒い下着が覗くという状態だ。
けれど彼女自身は恥じらいもなく、自分の姿に無頓着の態で、凝と来客を見上げている。
無防備を通り越してあられもない格好の少女を前に、僧衣の大男は眉間へ皺を寄せた。次いで、何か言いたげに顔を顰める。
しかし逡巡の後に出てきたのは、当たり障りのない言葉だった。
「久しぶりだな」
低く腹に響く独特の声が、苦さを含んで投げられる。
「そうね」
マカベ・マフユは相手から視線を逸らさず、抑揚なく呟いた。
それきり、沈黙が二人を包み込んだ。大男は見下ろし、少女は見上げる、そうした構図のまま数秒。
「入ったら」
素っ気無く言って、マフユはくるりと背を向けた。そのまま室内へと消えていく。
訪問者は暫く黙して立っていたが、ゆっくりと、しかし無駄のない動きでドアを潜った。
後ろ手に青い扉を閉め、玄関で革靴を脱ぐ。
「邪魔をする」
短い廊下を真っ直ぐ進み、フオウはリビングへと辿り着いた。首を巡らせれば全てが窺える、あまり広い部屋ではない。
真ん中に座卓が一つ置かれている。部屋の片隅へ小さなテレビが一台確認出来る他、壁際に備え付けられた本棚以外、これといった家具類は見当たらなかった。
本棚の中には車やバイクの雑誌が数冊と、ガチムチボディビルダーの写真集、格闘技関連のDVDに、前時代的な不良が活躍する漫画の単行本と「都内激辛名店食べ歩き」と題した特集本、一般には出回っていなさそうな銃火器のカタログに、「今熱い心霊スポット」やら「最恐自殺名所百選」「あなたの知る由もない世界」なるオカルト本が何冊か並べられている。
それを目にしたフオウはどれもが家人の趣味ではなかったと考えつつ、彼女に従う精霊達の顔を順繰りに思い浮かべた。
「適当に座って。水しかないけど、飲む?」
リビングに併設された台所から、マフユは感情味もなく問うてきた。
「無用だ」
フオウはそれに否定を返し、座卓の傍へ胡坐を掻く。
「そう」
息継ぎも必要ない返答の後、マフユは据え置かれた小型冷蔵庫を開けた。
中からミネラルウォーターのペットボトルを掴み出し、キャップを外す。
「精霊達はどうした」
「出掛けたわ。今日は特に予定もないから。好きにしてる」
「そうか」
言葉少なに応じてから、少女はペットボトルへ直接口を付けて飲み始めた。透明な内容水が嚥下される度、細く白い喉が音を鳴らし、艶かしく蠕動する。
警戒心のまったくないその姿や、剥き出しの脚を見て、フオウは目を眇めた。
黒曜石さながらの黒い瞳には、嘆きとも呆れともつかない光が瞬く。
「そんな格好で、他人を出迎えるな」
体に似合う重々しい声を吐き、フオウは苦言を呈する。
「別にいいでしょ。減る物じゃないし」
ペットボトルを口から離し、手の甲で唇を拭いながら、マフユはこれを一蹴した。
取り合うつもりは最初から無いとでも言うように、突き放すような口調である。
「そういう問題ではない。今度からズボンかスカートを穿いて出ろ」




