第37話:狂科学者の手術⑥
首を捕らえられながらも強引に振り解こうと、マフユは我武者羅に首を捩る。
その都度に首筋の皮が剥げ捲れ、赤く染まった皮下細胞が露出した。桃色の髪を振り乱し、狂人病人の様相で呻き喚く。
「――ッ! ――ッ! ――ッ!」
口は触手に塞がれている、だから声は漏れてこない。その代わりに大量の唾液が口の端から零れ落ち、頬を伝って寝台へ零れ広がる。
件の触手は力の限りに噛み付かれ、異常な力で上下から歯が食い込んでいた。
弾力のある柔面は抵抗を返しているが、これが半端な代物だったなら耐え切れはしないだろう。
「いやはや、凄まじいですね。ワタシの死魂が食い千切られそうですよ。霊子力が乗っていないのは幸いでした。そうでなければ初めて出会った時の再演になっていたでしょう」
血走った眼が散漫な視線を投げる虚空から、随分と愉しげな青年の声が響いてくる。
触手だけを現出させたセイギの感嘆は、傍近くでマフユを見守るチアキの真剣な面持ちとは正反対だ。我が身の苦痛も等しく渋面を作っているだろう、シュウカの気配とも相通じるものはない。
どちらかと言えば、少女の様子を興味深そうに観察しているドクター・アラハバキと近い。
もっとも、科学者の視線はあくまでも知的探究心に因る、感情の外を表すもの。他人には無関心で、己の内にある反応を示すだけ。
対してセイギのそれは、マフユの惨めな醜態こそを観賞している。
「イイ貌ですよ、我が主君。ワタシはアナタのそんな貌が見たかったのです。はははは、本当に素晴らしい。最高ですよ。苦しいでしょう? 辛いんでしょう? そうです、隠すことなどありません。思う存分に悶えて、思いきり壊れてしまえばいいのです。どうでしょう我が主君、これから毎日こちらに通うというのは? そうすれば、ワタシはいつでもアナタの無様さに愉しませてもらえますからね」
狂科学者とはまったく別の次元で、死の精霊は高らかに笑い上げた。
それは今までにない満足感と幸福感を兼ね備えた、悪魔にも等しい残忍な快感である。
「ふふん、それは名案なのだ。そうすれば吾輩も新鮮なサンプルが毎日手に入って嬉しいのだ。ぬははは」
死魂を操るセイギに同意し、ドクター・アラハバキもニケけて頷く。
内外を基点とする悪意の方向は異なるが、精霊も科学者も同等に危険領域の住人だ。両者の荒んだ嘲笑は、此の世の果てから滲み出し、光明を穢し貶める獄奏の調べ。そこに他者への気遣いや優しさは介在せず、純粋な自分本位の喜悦が追及される。
「やれやれね。マフユちゃん、貴女の周りって、どうしてこうも変態ばかり集まってくるのかしら。ちょっと同情するわ」
頬に手を当てて、チアキは沈痛で面持ちで嘆息した。あたかも自分はその枠組みに入っていないかのような物言いである。
さりとて、周囲のどんな言葉も今のマフユには届いていない。少女は全神経から、細胞の一つ一つから、血液の中から、脳髄の深奥まで、余す事無く焼き尽くす無慈悲な絶痛に苦しむばかり。
余人なら廃人と化すほどの非常な辛苦に曝されて、それでも心の底では耐え続けていた。ひとえに確固たる目的意識の様故に。
強い風が吹き荒れている。轟という音が響き、少女の髪を激しく靡かす。
街を見下ろす高所に佇み、彼女は独り全身に夜風を浴びていた。
スカートとブレザーが揃ってはためく。大きく鳴った着擦れの音も、しかしマフユの意識を引くことはない。
藍色の瞳は遠い地平の果てを、見るとはなしに望んでいる。果たして、あちらには何があったか。
「そろそろ時間ね。準備はよくって?」
声に混じって風が逆巻き、少女の左隣へチアキが立った。
「よぉーし。イッチョ暴れるか!」
荒々しい一声が炎を生み、右隣へシュウカが立つ。
「さて、今宵はどのような爛れた魂と出会えるのでしょうね」
剣呑な発言を朗らかに述べ、背後の闇が歪んで撓む。そこからセイギが現れた。
三名の精霊を引き連れて、マフユの遠望は近くに変わる。ビルの上から街並みを見渡して、少女はそっと息を吐いた。
「行くわ」
小さく、だがはっきりと呟いて、マフユは足下を蹴る。それと共に体は投げられ、屋上の縁から雄大な夜空へ飛び出した。
風と炎と死の精霊が、彼女に合わせて再び消える。次いで少女の背中から、白い翼が現れ出た。月光を浴びて煌く、純白の翼だ。
風の精霊がもたらす加護に、炎の精霊が巻いた熱流も加わり浮力を生み、マフユは静かに宙を舞う。
夜気を割いて進む折、桃色の髪が細い首筋を擽った。
ドクター・アラハバキの手術を終えて数日。外見的な変化は何もないが、以前に比べて身体の軽さは感じている。傷の治りも明らかに早まっており、注入されたナノマシンの作用は着実に顕れていた。今のところ目立った副作用もない。
心身を極限まで摩耗させた手術の痛苦を乗り越え、より大きな力を得たのだ。更に一歩踏み込んだ、戦い抜くための力を。
マカベ・マフユは尚も立ち止まらず、何処までも駆けて行く。己が人生を賭した、復讐を果たすその日まで。




