第36話:狂科学者の手術⑤
「ちなみにコイツを一度体内に取り入れると、細胞と癒着して二度と抽出は出来なくなるのだ。それと現在の遺伝情報を強制的に組み換える関係上、とんでもなく苦しい目に遭うのだ。ぬははは」
「後戻りは出来ない、ということ?」
「そのとおりなのだ。でも安心するのだ、貴君の体組織を基盤とした組成だからこそ拒絶反応は起こらないのだ。その代わり貴君にしか適合しないのだ。他人に入れると細胞を喰い尽して、内側から素体を壊してしまうのだ」
マフユは神妙な面持ちで、眼前の注射器を見詰め続けた。科学者の凄笑に心をざわつかせる事もなく。
復讐を、母を奪った憎むべき怨敵との決戦を遂げるには、まだまだ力が足りない。もっと強く。もっともっと強く。より激しく、より厳しく、より凄まじく、苛烈に冷酷に猛然に、更に更に高みへと昇らねばならないのだ。その手段があるのなら。その方策が掴めるのなら。
なにも迷うことはない。そう、なにも。
何故なら彼女はそれだけを、ただひたすら、延々と、一心不乱に追い求めてきたのだから。
「いいわ。入れて」
「よくぞ決心したのだ。その心意気やヨシなのだ」
「おいおい、マジかよ。マフユ、よく考えろって。この野郎は都合のいいこと言って、騙してるかもしれねぇんだぞ」
「義手の性能は本物だった。手掛けた作品に嘘は吐かない男よ」
姿なく、声だけでシュウカが慌てる。対してマフユは動じない。
こと技術に関してのみは真摯。それが彼女から見たドクター・アラハバキの率直な認識だった。
「そうなのだ。吾輩は嘘などつかないのだ。そんな非効率的なことをするほど暇ではないのだ」
「オレはイマイチ信用ならねぇ。だけどよぉ、マフユがそう思ってんなら、もう口出しはなしだ。決めたんだもんな」
毅然とした面持ちで、マフユはしっかりと頷いた。
藍瞳に光る並々ならぬ決意は、彼女の覚悟の程を雄弁に物語る。
「いいのね、マフユちゃん?」
「自分に誓ったの。私はもっと強くなる。どんな手を使ってでも。絶対に」
隣から問い掛けてきたチアキに、少女は一度の首肯で返応した。一言ごとに漲る気概は鋼鉄の如く。弛まぬ意識は獲物を定めた獣の如く。
少女は自分の決定を悔やまないし、振り返らない。それは全てが無意味なこと。過去を眺めて歯を食い縛り、嗚咽を漏らして何が変わるか。変わらない、何も、何一つ。
だから彼女は後悔せず、歩んで道筋は全て背だ。見据えるのは常に前だけ。一歩一歩を渾身に、止まることなど許さない。そうしなければ、立ち止まってしまったら、きっともう、進むことが出来なくなる。誰よりも、深く正しく理解している。それ故に。
周囲の気配が揺れる。炙るように、焦がすように、何かを訴えようと、大気が焼けて感じられた。実体を解いているシュウカの感情が波紋を描く。
主の意志を認め、願いを知って、自身の思いを飲み込んだ。彼女の身を案じる言葉も、決意への問いも、今はもう必要ない。
信じて見守ることこそ大儀、唯一の忠節。炎に連なる精霊は、自ら律して意思を固めた。
「それじゃ気が変わらないうちにチャチャっと入れてしまうのだ。吾輩は研究の礎を得て、貴君は能力強化を図れる。お互いWin-Winなのだ、ぬははは」
心底嬉しそうに、どこまでも楽しそうに、大いに笑い昂ぶりながら、ドクター・アラハバキは腕を伸ばす。指に挟んだ注射器を、手術台のマフユへと届かせた。
細い首筋に、白い柔肌に、鋭利な針を深く突き刺す。過たず、正確に。そのままピストンを押し込んで、動脈へナノマシンを送っていく。
銀色の液状体が、ゆっくりと、確実に、容赦なく、少女の内へ消えていった。
「セイギ!」
マフユが叫ぶ。寝台の上で、力の限りに声を張り上げ。
応えは直後。闇の狭間を掻き裂いて、遠くのような近くから、驚くほどの一瞬に。
「お任せください、我が主君」
恭しい了意が響いたと同時、手術台の影から幾本もの触手が伸びだした。闇色に照り輝き、大小無数の筋を這わせた、肉感的な蠢鞭の群。
それらは縁から昇って屹立し、マフユの体へ覆い被さる。手足へ絡んで土台に縛り、自らを拘束具として少女を捕らえた。
四肢に胴体、腰に首、あらゆる部位を押さえ込み、力尽くで動きを封じる。最後に一本残ったものが、開かれていた彼女の口腔へと捻り込まれた。
口の中へと侵入した太い触手は、彼女の唾液に濡れながらも停滞し、与えられた役目を果たす。上下の歯が舌を噛み切らないように、無理矢理にでも抑える仕事を。
それより程無く、マフユの目が再び極限まで見開かれた。
今まで輝いていた藍瞳の光は急激に明度を落とし、焦点も定まらなくなる。全身が異常な震えを始め、肩が何度も跳ね上がろうとする。
触手達が要所を押さえているからこそ暴れはしない。それでも構わず、体は内部へ生じた痛みから逃れようと烈しい振動を繰り返した。
滑らかな皮膚へ青筋が次々と浮き上がる。血管が極端に膨張し、血流の速度は尋常でない。侵入した異物が体内を駆け巡り、随所を勝手に作り変えている影響か。其処彼処で毛細血管が破裂し、軽度の内出血が体のあらゆる場所に起こっていた。
マフユに掛かった負荷は義手時の比ではなく、予見しての自縛がなければ、とても耐えていられなかっただろう。手足も体も彼女の意識下から乖離している。
各々が激烈な反応に苛まれ、意図もなく悶えて騒ぐ。ここにあっては彼女自身の思考すら失われ、もはや理性の箍は完全に飛んでいた。




