第35話:狂科学者の手術④
七本に分離していたマシンアームが一基に戻り、マニピュレーターは天井へと引き上がっていった。
低い駆動音が遠退くのと、継続されていた鮮烈な痛みが止んだ事で、マフユは忘我の際にあった意識を覚醒させる。
「終わった……の?」
息も絶え絶えに問われた声は、ひどくか細い。憔悴のほどは隠しようもなく、消え入りそうなそれに平時の覇気はまったくなかった。
それでも藍色の両瞳には今尚揺るがぬ強い意志が宿り、真っ直ぐにドクター・アラハバキを見据えている。
輝きに遜色はなく、精神的な疲弊こそあれ自意識の損耗は窺えない。
全身くまなく汗で濡れた体は、肩も、胸も、腹部も、荒い息遣いに応じて上下運動の最中にあった。前髪は額に張り付き、尾を引く喘ぎと共に紅潮した顔は、消耗の甚大さを物語っていた。
健全な左手は、両脚は、小刻みに痙攣を繰り返し、芯の痺れが抜けきらない。
右肩の付け根は灼熱感に苛まれ、臓腑の内が裏返るような痛みにひりつく。満身創痍、疲労困憊、既に上体を起こす事さえ不可能なほど、マフユは余力の一切を手放していた。
「義手の施術は終了なのだ。しかーし、とっておきが残っているのだ」
ニタニタと、キシキシと、好奇旺盛な笑みを貼り付けて、ドクター・アラハバキは口を割る。
瓶底丸眼鏡は怪しい期待と喜悦に淀んで光り、覗き見れない邪悪を以って怖気を這わす。
「メインディッシュはコチラなのだ、ぬははは」
血色の斑点が付着する白衣を翻して、彼人は右手をマフユの眼前へ突き出した。
そこに握られているのは一本の注射器。中には銀色の液体が満ちている。
「それは……なに?」
苦しげに息を吐き、少女は差し出された物体を見詰めた。
この研究所内で披露されたという、それだけで危険な代物であるという認識が働く。
事実、透明な容器内の薬液は、何か得体の知れない気配を醸している。単純な栄養剤では絶対に有り得まい。
「コイツは貴君の遺伝情報を基に構成した特製ナノマシンなのだー!」
下卑た興奮を潜めるでなく、ドクター・アラハバキは不気味に口元を歪めて見せた。
様々な分野を広く手掛ける彼が、現在特に注力しているものの一つがナノマシンだ。
1ナノメートルは10億分の1メートルに相当する極微細なサイズであり、ナノマシンとはこうした単位の装置を意味する。
世間的には実用段階へ至っていないが、先鋭的な研究開発を得意とするドクター・アラハバキは、独力で数世代分の拡張進化を実現させていた。
将来的な利用範囲は体組織の修復から環境改造に至るまで幅広い。
「貴君の細胞組織と同じ組成成分で作られているのだ。コイツを注入すると体内でマシンが各細胞に浸透し、それはもう素晴らしい効果を発揮してくれるのだ」
「素晴らしい、効果?」
「コイツは蛋白質を主成分としたナノマシンで、立体構造を自己形成し、自立構築する機能を持っているのだ。スタンドアローンタイプの自己量産機能を有した画期的なシステムなのだ」
「つまり、どういうこと」
「簡単に言えば、怪我するとマシンが高速で増殖拡散して、肉体の負傷部をじっくり修復してくれるのだ。生物が本来持つ自然治癒能力の大幅な向上が見込めるって寸法なのだ」
寝台上の患者へ、得意満面に語り聞かせるドクター・アラハバキ。
その口ぶりは疑心が一切ない確信へ満ち、送り出される言葉から技術者としての絶対的な自負が感じられた。
「更に既存遺伝子へ影響を与え、基本的な身体能力の強化も行うのだ。具体的には筋繊維の質を高めてくれるのだな」
筋力を上げるには本来なら繊維を太くするしかない。しかしドクター・アラハバキの開発したナノマシンは、繊維の一つ一つを強靭に変化させることで、太くせずとも同じ力を生み出すことを可能とした。
これによって筋量の増加を得ないまま、即ち総体的な重量アップによる敏捷性の低下を回避して、高い能力を得られるというのだ。
「筋力の上昇だけじゃないのだ。動体視力の鋭敏化に、体内を巡る電気信号の加速。本来は不随意の物を、随意に上昇変化してくれるのだ」
それは魔術などによる外付けの強化とは違い、内部から自らの構造そのものを変革することで、より高次の力を獲得する科学の秘術であった。
経験や訓練だけでは伸ばしきれない部分をも任意に増強化することで、総合的なパラメータは飛躍的な向上を遂げる。
華奢で繊細な女性としての体。マフユにとって我が身の在り様は誇るものでなく、不満と悩みの種でもあった。例え同じだけの鍛錬を積んでも、男性のそれと比べた場合、彼女が得られる体力的な質は明らかに劣る。生物学的見地からして、女体は男体に物理的な頑強面で及ばない。マフユはそれを血の滲む努力と、精霊の加護によって補ってきた。
しかし、ここで基礎的な身体構造を改めることが出来るならば。実力の底上げが成功し、今まで培ってきたものを上乗せすることで、少女の強さは果たしてどこまで伸びるのか。それは彼女自身にも想像出来ない。だが少なくとも、今よりも更に上へ昇ることは出来るだろう。今よりもいっそうに戦うことが出来るだろう。
「ぬははは、素晴らしい発明だということがよーく分かった筈なのだ。色々サンプルを提供してもらった誼なのだ。今ならコイツを体に入れてやってもいいのだ」
哄笑ともいえる宣言を放ち、ドクター・アラハバキはマフユの顔を丸眼鏡に映した。口唇に宿る残忍な期待の形は、少女の肯定をこそ願っている。
彼女の宿願に対する助力の為? いいや、違う。
科学者は己の役得以外で動きはしない。願っているのは実験体の確保と、その成果の観測だ。自分の研究がどのような実を結ぶか、それを知りたがっているだけである。
何者を犠牲にしても、どれだけの被害が出て、どれだけの憎悪と絶望が生産されても。そんな事は関係ない。
必要なのは明確な結果のみ。自分の心を満たしてくれる、愉快で嬉しい結末を待っている。




