第34話:狂科学者の手術③
「こォのド外道が! 言って分からねぇなら力ずくで分からせてやらァ!」
シュウカの中で、契約を結んだマフユの存在は極めて大きい。自身が認めた主君である彼女を軽んじられること、それも精霊族以外の者がぞんざいに扱うことは、どうあっても我慢が出来ない。
元より気は短く、気性の荒い性格である。ドクター・アラハバキの不快な言動へ、怒りが爆発するのも当然の結果だろう。
一度爆ぜればそこは炎。際限なく燃え上がり、激情のまま直走る。目的意識は瞬時に灼け散り、膨れ上がった怒気が強く拳を握らせた。
揃いの黒瞳に獰猛な殺意が膨れ、次には業火が生まれて宿る。
狙い定めたポイントは顔面だ。装置を操る狂科学者の無防備な異相へ、燃える拳打が襲い掛かった。
「おやめなさいよぉ」
炎拳がドクター・アラハバキに突き込まれようかという瞬間、伸ばされた腕は相手の面前で停止する。
甘ったるい声と共に現れた手が、横合いからシュウカの手首を捕まえていた。
「なにしやがる!」
烈火の如く吼え立てて、炎の精霊は妨害者を睨み見た。憤怒の顔が捉えるのは、隣に立つ金髪金瞳の美丈夫だ。
シュウカより頭一つ分背が高く、黒を基調としたスリーピーススーツを着込んでいる。
涼しげな目元に、高い鼻梁、モデルもかくやという色男である。顔に施された女物の化粧と、唇へ引かれた鮮やかなルージュ、全身から立ち上る香水の香りに、腰へ作られたしなとオネェ口調が、特徴的に過ぎてはいるが。
野獣の眼光を射込んでくる僚友に、チアキは盛大な溜め息で応じた。
「彼をブッ飛ばして困るのはマフユちゃんよ。この子が何のために根性出して耐えてるか、よく考えなさいな。周りがカッカッしたって仕方ないんだから、ちょっと落ち着きなさいん」
「チッ」
風精の冷静な指摘に舌打ちで返し、シュウカはその手を振り払った。同時に燃えて盛った炎は消え、拳も解かれて引き戻される。
殴打は寸前で思い留まったものの、黒い瞳に猛る憤怒の色は失せていない。
気の弱い相手なら卒倒しかねない危険な殺意を湛えて、ドクター・アラハバキを睨み付ける。
「マフユの為だ、ここは堪えてやる。だが次はこういかねぇ。よく覚えとけ、クソ野郎」
シュウカは忌々しげに吐き捨てて、不満も露わに踵を返した。
次いで我が身を紅蓮に変じ、瞬きの合間に掻き消える。僅かに舞った火の粉が散ると、彼女の痕跡は残っていない。精霊ならではの、速やかに過ぎる退去であった。
とは言え姿を消しただけで、今もこの空間に残っている。
実体化していると何の拍子にまた殴りかかるか知れないため、一応の自重という事だろう。シュウカにしては殊勝な心掛けだが、果たして何時まで保つものか。
それを思って苦笑すると、チアキはドクター・アラハバキへ視線を向けた。
「ごめんなさいね。彼女ったら、暴れ馬の親戚みたいなモンだから」
「別に問題ないのだ」
言いながらも、ドクター・アラハバキは当初からのニタリみを絶やさない。
言葉通り、彼はシュウカの激発に際してまったく動じていなかった。彼女が炎を宿して殴りにきた時でさえ、柳に風と素知らぬ顔で作業をしていた程である。
興味事以外には徹底的に無関心な姿は、極まった科学者らしい反応と言えた。或いは他者と一線を画す思考回路と精神構造を持つ、彼ならではか。
「あらん、それなら良かったんだけど。それじゃ、早いところ終わらせちゃってくれる? 幾らマフユちゃんが度を超した頑張り屋さんでも、こーんな姿は見るに忍びないものぉ」
整った顔からオネェ言葉で語り出し、金の双眸は手術台のマフユを映す。
七つのマニピュレーターが間断なく火花を散らし、鋼の腕を弄るに合わせて、これへ繋がる華奢な躯は悶絶し反り震えていた。
白く美しい肌には青筋が浮き、見開かれた眼は焦点を結んでいない。噛み切った唇からは赤黒い鮮血が垂れて流れ、生身の左手は寝台の硬い表面を爪が削れるほど掻きむしっている。
其処に在るのは凛々しく精悍な精霊の使い人でも、憎悪と赫怒に焼ける復讐者でもなかった。想像を絶する痛みに身を捩る儚い少女だ。
その姿はあまりに無惨で、酷く惨めで、傷ましくも嘆かわしく、正視出来ない。
この場に彼女の知人が居たなら、凄愴な有様に目を逸らし、泣き崩れていただろう。もう止めてくれと、ドクター・アラハバキに縋り付いて懇願しただろう。
もっとも、狂気の天才科学者は応えなどしないが。
「修復作業は滞りなく、いたって順調に進行中なのだ。吾輩の仕事に問題などあろう筈もないのだ。ただし、最後まで被験者が耐えられるかは知らんのだ。ぬははは」
傍らに寝かされたマフユの鬼相狂相へ頓着せず、ドクター・アラハバキは口角を吊り笑う。
可憐な矮躯の醜態も、歪みきった麗貌も、彼にとっては憐憫の対象へ成り得なかった。
他者がどれだけ苦しもうと、科学者の内に微かな揺らぎさえ生む事はない。だからこそ一切の躊躇なく手加減なく、興味の赴くままに探求は続けられる。透徹した理念は曲がりようもない。
「それなら心配いらなくてよ。この程度でヘタばる子じゃないもの。マフユちゃんの妄執と気概は、とっくの昔に常軌を逸しているわ。生きる事に掛けては誰よりも貪欲で、その為には手段を選ばないし、どんな事だって凌いじゃうの。うふふふ、素敵でしょ?」
声を殺して呻き続けるマフユの隣で、チアキは艶やかに微笑んだ。
数年来の付き合いになる少女のことを誰よりも熟知している精霊は、シュウカのように不安へ駆られることもない。
理解と確信の眼差しで少女を見下ろし、たおやかな優しさと共に桃色髪を梳く。
彼は知っているのだ。この苦痛も、マカベ・マフユという娘が体験してきた数々の災厄苦難に比べれば、けして悼むには及ばないものだと。
母を喪って以後、孤独の泥中を這いずり回って来た少女の、心身に刻まれた慟哭へ勝りはしないと。
マフユと初めて出会った時、双眸の底に澱みうねくる暗黒の深淵を見て、チアキは悟った。薄汚れ疲弊した襤褸雑巾のような姿にあって尚、鋭くも重く、爛々と猛り狂っていた強烈な輝き。そこに掲げられた灼熱の信念が、年端もいかぬ娘子を今まで生かしてきたのだ。
そしてこれからも、彼女の唯一不変なる芯として在り方を決定し続けるだろうと。
今この瞬間さえ、ささやかな通過点の一つに過ぎない。痛み喘ぎ悶え足掻く姿は、マフユの歩んできた道程と、これからの人生そのものの縮図と言える。
安らぎも幸福も遠く、その浸り方を忘れてしまった憐れな少女の、惨憺たる生き筋。その虚無的な歩みを想い、チアキは殊更に柔らかく主へと笑い掛けた。
「頑張ってね、なんて言う必要はないでしょぉ。だって貴女は何時だって、誰に言われることもなく戦ってきたんですもの。ありとあらゆる絶望辛酸悪夢現実とね。そしてその全てを食い破り、捻じ伏せてきたんだから」




