第33話:狂科学者の手術②
工房の主ドクター・アラハバキはマフユの右腕と向き合い、天井から吊り下がるマニピュレーターを操作していた。
極めて細くありながら、自由度の高い機動を実現するマシンアームは、一房の主幹部から七つに分化し、七箇所同時に義手を触る。
それぞれが別個の動きと処置を行い、無機的な義肢を弄り回した。
一本が人工筋肉を開き、一本が内部を洗浄し、一本が断裂面を繋ぎ合わせ、一本が損傷部を修復して、一本が流液の漏れを塞ぎ、一本が擬似骨格を補修しつつ、一本が外装を整えていく。
義手の随所で火花が散り、機械の駆動音に混じって、切除と結合を進める硬い作業音が繰り返される。七本のマニピュレーターは忙しなく動き回り、直下の部位を素早く修理し、次の場所へと早々に移っていく。淀みない各手の動きもさることながら、これを一人で悠々と制御するドクター・アラハバキはやはり只者ではない。
スムーズな作業とは対照的に、アフユの顔は苦痛に歪んでいた。
端整な容には眉間へ深々と皺が刻まれ、眦は吊り上がり、生半可でない痛みが凄絶な表情を描き上げる。
普段から冷淡として揺らがない面貌が、これほどはっきり深刻な苦悶を宿すなど滅多にない。それほど激烈な衝撃を被っている。
噛み締めた唇からは血が滲み、固く握られた左手では爪が皮膚を裂くほど深々と食い込む有様。それでも少女は悲鳴も嗚咽も漏らさない。
口を閉じたまま、必死に激痛へ耐えていた。その姿は毅然として、しかし力強さへの賞賛より先に憐憫を誘う。
ドクター・アラハバキは義手とマフユの神経接続を切り離さずに、双方が通じ合った状態で作業を敢行しているのだ。
その所為で腕の修理に掛かるあらゆる負荷が、彼女の痛覚を容赦なく襲い、神経線維を蝕み、意識を隅々まで焼き尽くす。
麻酔? なにそれ美味しいの?
ドクター・アラハバキは自分の仕事を思い切りやることしか考えないし、患者の様子など慮りはしない。
たとえ堪え難い激痛に神経が焼き切れ、マフユの頭が致命的な欠損を負い廃人となったとして、その危惧を憂慮する科学者ではなかった。
そうなったらそうなったで、貴重な実験サンプルが丸々一個手に入るだけのこと。彼にとって僥倖でこそあれ、損になどなろう筈もない。
故にドクター・アラハバキの手は遠慮も容赦も情けさえ一切なく、喜々として修理という名の拷問を実行し続けた。
「――ッ!」
これに対して渦中の少女は文句を言う余裕などなく、寝台の上で強硬に四肢を張った。
彼女の体は何にも固定されておらず、苦悶苦痛に我が身を任せてしまえば、転げ回って悶え苦しむのは明白だ。
そうなっては義手の修復作業が滞る。だからこそマフユは自らの意思で、激痛に耐えながら自我を手放さず、気丈にも手術台へ矮躯を預け続けていた。
その胆力たるや尋常ではない。常人ならばとっくに失神して、尚注ぎ込まれる凄惨な猛痛に自意識を破壊されているところ。何も考えられない肉人形と成り果て、ただ電気信号的に反射を返すに落ちていただろう。
だがマフユは押し寄せる倒懸に抗い、必死の様相で自分を保ち堪えている。
看過出来ない激烈な衝撃が走り抜ける度、華奢な体を仰け反らせ、両目を限界まで押し開き、唇を噛み裂いて、喉を震わせ口腔でのみ呻き上げた。
全身にはじっとりと脂汗が浮き、白い柔肌を珠となった汗粒が滑り落ちていく。
シャツとスカートは多分な汗を吸って皮膚に張り付き、懸命に抑えられながらそれでも捩れる体に合わせ、姿態の輪郭をはっきりと浮き立たせた。
とかく白いシャツは雨に打たれたが如く濡れそぼり、黒い下着や肉付きの薄い肩、腹を透けさせている。
「おいマフユ、大丈夫かよ?」
術台の傍から掛けられた不安気な問いに、マフユが答えられる筈もない。
普段の凛然とした在り様からは想像出来ないほど乱れ苦しむ主の姿を、シュウカは厳しい面持ちで見詰めていた。
赤い短髪の下、額と左頬に走る傷痕と鋭い黒の双眸、尖った八重歯にへの字口。狂犬を思わせる荒々しい面相は、しかし今に限って言えば主人を気遣う忠犬のそれだ。
炎の精霊らしい苛烈な性格から、日頃は契約者の迷惑も顧みず朋友と喧嘩ばかりな彼女である。けれど、こと主への忠義に於いて言うならば、マフユに従う精霊の中では最も厚い。現在のような状況で、誰よりも少女の身を案じるのはシュウカであった。
今のマフユはあらゆる危難へ自ら挑み、その悉くを叩き伏せ退けてきた強健な戦士から程遠い。苦汁に染まるその貌は、ただただ脆く儚い年相応の少女のもの。捨て置ける道理はなかった。
「おいコラ! マフユがやたらに苦しそうだぞ。テメェ、もうちっと優しくやれねぇのか!」
絶叫なく悶絶する主からシュウカは視線を移し、愉しげなドクター・アラハバキへ怒声を放つ。
黒い両瞳に荒ぶる憎悪を煌々と揺らめかせ、放熱混じりに相手を睨んだ。
されども科学者は知ったこっちゃない。邪悪にニヤけて精霊の恫喝を一蹴する。
「ノープロブレムなのだ。吾輩の作業はいたって順調なのだ」
「テメェのこたぁどーでもイイんだよ! マフユがヤベェんだ、見りゃわかんだろボケ!」
「吾輩には関係ないのだ。むしろ新鮮なデータが採れてベリーグッドなのだ。むははは」
朗々とした笑声を腹から吐くドクター・アラハバキは、他者の痛切な訴えなど一顧だにしない。絶痛へ喘ぐ少女も余所に、只管機材の操作へ従事するのみ。
そんな彼の表情は、心苦しさ自己嫌悪とは無縁の領域。爽快なまでに愉快気な、煌めくばかりの邪笑である。眼前で重苦へ苛まれる者など気に留めず、心底から作業を楽しんでいた。
彼にとって他人の在り様や末路など塵と同等。そこには等しく価値などなく、当然のこと意味もない。勝手に悶えて、勝手に嘆いて、勝手に喚いて死ねばいい。
果てた骸は実験材料の一つとなり、血肉の全てを壊して潰して引き裂いて、底なき探求の糧となる。深遠を探る贄となる。即ち幸福、至上の愉悦。これ以上の楽土はない。
ドクター・アラハバキはそう考える。何の気負いもなく。当たり前の事として。条理の外に位置付く思考は、それそのものが常人との間に絶望的な隔絶を持っている。
故に理解はされず、だからこその孤高。しかし悔やむことなどない。それこそ己の性であり、完成された道なのだから。迷いも惑いも抱かずに、ただ前へ前へと進むのみ。




