第32話:狂科学者の手術①
そこは奇妙な部屋だった。
四方の壁はコンクリートが剥き出しで冷たい印象を受ける。装飾というものは何も無い。
天井までは充分な高さがあり、左右の壁は遠く、奥行きがある。閉塞感には程遠く、広範なスペースを有す場所だ。
それでいて漠然とした息苦しさを覚えるのは、その部屋が持つ異質な空気の為だろうか。
雑然とした空間でもある。人一人が容易に収まりそうな縦長の水槽が何本も立ち、得体の知れない薬液の満ちたカプセルが幾つも並んでいる。それらの中には奇怪な形状の動物とも植物ともつかないモノや、脳髄、眼球、臓物などが異様な生々しさを伴い浮いていた。
部屋のあちこちには書類の束が積み上げられ、非常に精密な何かの設計図が方々に散らばる。
床の上にはコードやチューブが足の踏み場もないほど走り回り、多彩な配線が其処彼処を埋めていた。そのうちの何本かは、生物さながらに脈打っているのだから気味が悪い。
用途不明の機材や、作りかけの物体、大小様々な工具が散乱し、床の何割かを占有している。
最寄の卓上には電動ドリルや電動ヤスリ、電動ノコギリ、バーナー、半田鏝が無造作に置いてあった。見れば各々の稼動刃面には赤黒い雫や、肉片らしき物が付着している。何に使ったのかはあまり考えたくない。
奥まった場所には試験管やビーカーが並び、諸々の薬液、錠剤、鉱石、謎めいた小瓶、注射器、顕微鏡が安置される。
使いさしのピペットが硝子の受け皿に半ば凭せ掛けられ、隣では遠心分離機が小さな駆動音を上げていた。
視線を部屋の中央部へ転じると、大きな手術台が三つ確認出来る。その一つには原型留めぬほどに解体された肉塊が、無数の鉗子やメスを突き込まれた状態で放置してあった。
その台の上も、周辺の床面も、赤い液体が飛び散りベッタリと汚している。
もう一つの手術台は空だ。何も乗っていない。ただ人の形に黒い焦げ跡が染み付いており、台の縁には引っ掻き傷と爪の欠片が食い込み残る。
その空間には不穏な空気が立ち込め、各種薬物の放つ刺激臭が満ちていた。数分で嗅覚を麻痺させるほど強烈な臭気の中に、はたして血肉と臓物の臭いを嗅ぎ取れた者は居るだろうか。
目には見えない濃密な悪意が渦巻き、無念の響きが、怨念の呻きが、無機的な電子音の狭間に響き渡る。
此処は狂気の天才科学者ドクター・アラハバキの工房だった。彼の知識と知的探究心が際限なく荒れ狂う、現界した地獄の一端。
数多の悪夢が根を下ろし、血塗られた脈動を繰り返す研究所。狂科学者が幾つか持つ、暗黒の輝きに凄絶と煌くアトリエの一つだ。
この空間にあって、生者と死者に境界はない。全てが等しくドクター・アラハバキの玩具であり、作品であり、実験材料である。
命の尊さを嘲笑い、明日への希望を踏み躙り、愛の囁きを握り潰す。どれもが至極当然のように、何の衒いもなく実行される。
ここで進められるあらゆる諸行は、世情の倫理・法理から隔絶された崇高なる叡智の体現。健やかなる魂は、それが唯一の特権ででもあるかのようにただ蹂躙されるのみ。
三つ置かれた手術台、最後の一つには少女が寝かされていた。
桃色髪に藍瞳を持つ、凛々しい面立ちの可憐な娘だ。白いワイシャツと膝上丈の紺色プリーツスカート姿で、仰向けに台へ乗る。
術台上のマカベ・マフユは、シャツの右袖を肩まで捲り、無骨な右腕を露としていた。
無機的な人工筋肉と、流体液を循環させるチューブ、硬質な外殻甲で構成された機械の腕。ドクター・アラハバキ謹製のサイバネティック義肢が、堂々たる存在感と過剰な威圧感を以って其処にある。
そんな少女を真上から、巨大なオペライトが覗いていた。手術台と繋がる形で据えられたライトは、患者を見下ろし強い光量で照らし上げる。
眩い灯光に晒されたマフユの首筋や剥き出しの脚は、張りのある瑞々しさを艶やかに返した。白皙の素肌は柔らかくも滑らかで、優美な曲線を描く様など見惚れるほどに美しい。
それが冷たい寝台に横たえられた姿は、大皿に盛られた活け作りの如く不吉であり、だからこそどこか淫靡である。
生身の健やかさは目が眩むほど。だがこれに比して真逆の歪さを湛えるのが、機械仕掛けの右腕だった。人造物特有の寒々しさに尽き、血潮も通わぬ堅固な地肌は鈍色に照る。命の滾りを微塵も宿さず、弛むことのなき鋼の腕は、雄々しくこそあれ美観に欠けた。
機能性のみを重視した構造だ。華やかさなど皆無である。
年頃の娘の身を補うにしては、あまりにも思慮が足りないのではないか。そう問いたくとも、そもそもが本人の望みとあっては異論を挟む余地がない。
「ふ~んふふ~んふ~ん」
寝かされたマフユの隣に立って、鼻歌混じりに作業をこなす男が一人。
灰色の髪をして、両方の耳に幾つもピアスを嵌めた男だ。痩身に白衣を纏い、瓶底めいた分厚い丸眼鏡をかけ、ニタニタと不気味な笑みを浮かべている。
「折角の逸品をよくも壊してくれたのだ。はぁ~残念なのだ、無念なのだ。可哀想な吾輩の発明品なのだ」
必要以上に大袈裟な溜息や身振りをしてみせるが、それは全て言葉だけ。実際の顔も気配も、これからの作業へ向けてウキウキのワクワクが隠せていない。
見る者の不快感を煽る笑い顔、神経を逆撫でる甲高い声、その物言い。どれもが奇抜なまでに独特の不穏さを宿している。
その不遜な躍動に、はたしてどれだけの怨嗟が浴びせられてきたのか。




