第31話:天上大疾走⑤
「こんな夜中に相手を叩き起こすのですか? 常識的な行動とは思えませんねぇ」
マフユの眼差しも何処吹く風。セイギは可笑しそうに喉を鳴らして、少女の非常識を糾弾する。
その間にも主の些細な表情の変化さえ見逃すまいと、舌なめずりでもせん勢いで麗貌を観察していた。
「チッ、またやってるぜ、あの鬼畜クズが。ドコまで性根が腐ってんだか」
「ちょっとぉ、セイギちゃん。マフユちゃんをあんまり苛めないでよね。ふざけた真似ばっかりしてると、アタシ達も黙ってないわよぉ」
チアキとシュウカの否定的な声及び気配を一身に浴びながら、セイギは肩を竦めてみせる。
その顔には不本意というより落胆の色が強い。
「これはワタシなりの愛情表現、親愛感情の表れなんですけどね。同じ精霊のアナタ達には分かってもらいたいところですが」
「分かるわけねーだろ、このドブカス」
「そういう事は余所でやってちょうだい。マフユちゃんはアタシ達の大事なパートナーなのよ。その辺をよく弁えて欲しいわね」
常に平行線を辿る精霊達の問答を聞き流し、マフユはスマホを耳に押し当て続けた。
携帯端末の向こうではコール音が繰り返され、相手の出る気配はない。それでも少女は回線を開いたまま、辛抱強く待ちに徹した。
今のところ彼女の義手を修理出来るのは、開発者である科学者一人だけなのだ。たとえ余人に見せても、完全な調整など望めるべくもない。万全を期す為には是が非でも開発者へ修理を依頼するしかなく、相手の都合を考慮していられるほど余裕のある状況ではない。
更に待つこと数分。既にコール音は相当数に及んでいる。このままでは埒が明かない。
一度、時間を空けるしかないのか。そんな思考が少女の頭を過ぎった時、遂に相手が通話口に出た。
『こんな時間に誰なのだ』
スマホを通じてマフユの耳に届いたのは、やたらと甲高い男の声。
しかも独特の語尾である。
「マカベ・マフユ」
簡潔に、少女は自分の名前を告げた。余計な文言は一切挟まない。
それは彼女の性格でもあり、またこの相手と長らく話そうと思わないからでもある。
『おほ、お嬢ちゃんなのだ』
深夜遅くに無遠慮な電話を寄越し、あまつさえ挨拶もなく愛想の欠片も含まないマフユの声へ、しかし通話相手は憤慨するでもない。
奇妙な喜びを交えて、いっそ鷹揚ともいえる応対を演じていた。
「義手が壊れた。修理を頼みたい」
『吾輩の傑作を、もう壊してしまったのだ? ぬははは、酷い奴なのだ』
要点のみを語る簡素にして冷淡なマフユの声へ、何が可笑しいのか甲高い笑いを被せてくる相手。
その一言一言が少女の神経を逆撫で、そこはかとない苛立ちを堆積させる。
義手の修理調整に含めて、人体への施術が実行できるという期待。患者の同意の下、生体を好き勝手できる喜悦。そうした相手の求めていることが透けて見えるからこそ。
「用件はそれだけ。今から大学付属病院に向かう」
『それでは入念に準備しておくのだ。ぬははは』
相手が最後まで言い終わる前に、マフユは自ら通話を切った。どうせこれから嫌というほど顔を見る事になる。今はもう声を聞く必要もない。
目的を遂げたスマホを左手に握ったまま、少女はその表面に視線を落としていた。
正直に言って億劫である。
あの科学者に対面し、じかに腕を修理してもらうこと。それはこれからの自分にとって必要不可欠な選択だが、それとは別の部分で不平不満の芽が出てもいる。然るに生理的な嫌悪であるとか、個人的感性の問題であるとか。
ドクター・アラハバキ。
マフユが会おうとしている男は、そう呼ばれていた。本名であるかは不明。
彼は非常に優秀な科学者且つ医師で、その底知れぬ才能の発露は、様々な分野で注目を集めて止まない。
研究者というのは多かれ少なかれ自分本位で、狭窄的で、自己の知的欲求に忠実である。ドクター・アラハバキもまたその例に漏れないのだが、彼の場合は全ての面が凡百の学者・研究者を凌駕していた。その道程は一言にして唯我独尊。目的の為には手段を選ばず、手段の為には目的さえ選ばない。
己の愉悦へ傾倒するに躊躇も遠慮も微塵とてなく、その結果どれほどの被害・犠牲が生じようとも顧みぬ。そもそも気にも留めない。
興味の向く研究対象があれば悦んで飛び付き、誰に気兼ねすることもなく弄り回し、飽きれば捨てる。魂の命じるままに狂的な実験を繰り返し、屍山血河を築いて満悦になれば、研究成果を大々的に披露して学会を混乱させる。
だがそこには悪意や憤怒という私的感情は皆無なのだ。あるのは純粋なる探究心と、類稀な智識の凝結。
その集大成にして結果こそが、善悪を超越した彼岸の先にて大成な事実のみを結実させる。それは起こるべくして起こった理の一環と同義。それほどの自然さで敢行される非常識だった。
当代最高峰にして最悪級の頭脳。狂気の天才科学者。悪名、奇名を頂くそれが、ドクター・アラハバキである。
セイギとの戦いで右腕を根こそぎ失ったマフユは、ある人物の仲介を経てドクター・アラハバキと面会し、義手の製作を依頼した。
彼女にとって相手の素性や性質は問題でない。ただ求めるのは確かな腕前、技術力のみだったからだ。ドクター・アラハバキの噂は聞き及んでいたし、そこから如何程の才能を持つかも窺い知れた。だからこその求めである。
結果として、彼は快く少女の申し出を受けた。マフユが高額な金銭を代価として提示したため、ではない。ドクター・アラハバキがその起源とする興味故である。
マフユは若くとも精霊使い。その血肉には超常を繰る神秘の力が眠っている。彼女から体組織のサンプルを採取して、その研究を行うことは、科学者であるドクター・アラハバキに非常な悦びと期待を与えた。
これは一種の交換条件。ドクター・アラハバキは技術の粋を凝らした傑作の義手を完成させる。その代わりにマフユは自分の血液にしろ細胞片にしろ、ドクター・アラハバキの望むサンプルを提供する。二人の間で成立した、ギブアンドテイクの関係であった。
そしてこの結果にマフユは納得している。完成した義手は期待以上の出来栄えであった。あったのだが、マフユをしてもドクター・アラハバキの人間性は全肯定するに特殊すぎたのだ。
彼のことを認めはするが、どうあっても好きにはなれない。こればかりは本質的な相違もあるだろうし、心情的な問題もある。致し方ないことだが。
もっとも、個人的な思いが二人の関係性を崩すには至らないのも事実。互いが互いを必要としている現状、協力関係は継続されるだろう。
「とりあえず大学付属病院に向かって。そこで彼と落ち合い、研究室に向かう」
「おう、任せろ」
「また変なのに絡まれる前に、急ぐわよぉ」
「ワタシ個人としては、くれぐれも安全運転でお願いしたいのですけど」
スマホをブレザーの内ポケットにしまいながら、マフユはシートに背を預けた。
炎と風の精霊は返事と合わせてエンジンを吹かし、黄金の車体が前進速度を引き上げる。
セイギの薄ら笑いには取り合わない。
少女と精霊達を乗せたメルセデス・ベンツは、とてつもない速度で夜闇を切り裂いていった。




