第30話:天上大疾走④
「静謐なる死、セイギの名を持つ其の形。我が征く路を開く一牙となり、暗穏なる界域に透徹の楔を打て」
静かな詠声が夜闇に吸い込まれ、強風の煽りに掻き消えた。車両の進行に際して一定方向に渡る気流が、マフユの着る紺地ブレザーとプリーツスカートの裾をはためかせる。
そこへ慇懃な男の声が混じり聞こえた。
「お呼びですか、我が主君。期待に応える働きを約束しましょう」
アフユの耳をくすぐる柔声の後、手中へと闇の粒子が集まってくる。淡い月光に映し出されたのは、暗色の輝きを秘めた不可思議なる瞬きの粒。
それらが急速に少女の手へと密集し、宵闇の内から染み出すように巨大な銃器を具現化させた。
主の呼び声に答え参じたのは、死者の御魂を司る精霊セイギが変じた物。一切の情けも躊躇もなく、純粋に魂の器を破壊し、内在する霊魂を刈り取らんとする冷酷な本質が、そのもの描き出した破壊の形。全長にして150cmへ及ぶ、マフユの身の丈へ迫るほどの長銃である。
夜の深奥を思わせる黒一色で塗り染められた全容は、とかく重厚で威圧的だ。抜き身の銃身は極めて長大で、先端に設けられた銃口部は矢印状のマズルブレーキを併せ持つ。
本体前方部下面、トリガーから数え見れば全体の中間辺りとなる場所に、躯体を支えるためのバイポッドが伸びていた。本体上面フレームにはスコープマウントが設けられ、後方にはリアサイトが併設された基本的な構造を見せる。
外観から推し量られるそれは、バレットM82A1に近似していた。ただただ対象を損壊し、徹底的に蹂躙する目的で開発された最強のアンチマテリアルライフル。
その姿を内部機構へ至るまで精巧に投射したセイギを、マフユは素早く構え取った。
後部座席に片膝を立て、大型狙撃銃の二脚を偏平なトランクパネルに乗せる。
腰を落とし、右肩に銃床を押し付け、銃身を固定して、トリガーガードに指を通す。
スコープを覗き、照準を異形飛体に定めて、十字サイトの中心に敵を捉え置く。
全ては一瞬。一呼吸の間に流れる所作で完遂させ、少女は射撃姿勢を整えた。
そこから先に待ちはない。勝負は刹那。雷火の閃きより尚迅速に、握った好機を握指で潰す。
「そこ」
呼気を吐くより早く、マフユの指は引き金を絞った。
衝撃。次いで反動。
爆裂した破壊の息吹が狂猛に咆え立て、強烈な衝撃を伴って銃体が跳ね上がる。マズルブレーキから発射煙が溢れ出し、狙撃手の半身を覆い隠した。
彼の先では、漆黒の洞穴も同義の銃口から一発の弾丸が放たれ、夜風を逆行して目標へ吸い込まれていく。
12.7mm口径から撃ち出される弾丸は、コンクリート製の壁を障子紙の如く貫く最大級の兇器となる。殆どの軍用車両を貫通し、遮蔽物の内部すらも破壊する必滅の一撃は、生身の生命体が受ければ有無を言わさず粉砕される。
その破弾が今、僅かにも狙いを逸さず、舞い飛ぶ異形の体奥を穿った。長身の半ばへと過たず命中し、外皮を抉って内部へと潜り込む。
だが怪物の体躯を貫通することはなく、全容の中心点で威力と速力を失墜させた。結果として強弾は怪異を駆逐せしめず、あまつさえ醜き異容の直中で停止封殺されたのだ。
この終結に、だがマフユは悔しがりなどしない。涼しい顔でスコープから目を離し、狙撃銃を車後部に据えたまま立ち上がる。次弾を撃つつもりはなかった。
直後。異形の体内に取り残された弾丸が、陰惨な暗色の奔流を解き放つ。弾丸の形を解いて噴出したモノは、漆黒の触手となって怪異の腹膜を食い破り、外気の側へと躍り出た。
幾本もの蠢く闇、膨大なる死霊の御魂が極限まで圧縮された触手の群は、発生点である異形を外側から絡め取る。腕部、前身、四翅、頭部、後身、あらゆる部位に触手は巻き付き、締め上げ、不浄を完封して自由を奪った。
すると急激に内側へと凝縮し始め、最初に放った弾丸目掛けて吸い寄せられていく。たった一箇所に触手は集い、絡みつく対象を強引に引き摺って、その身を引き裂き、捻り潰し、体液を迸らせながら、還って行くのだ。
あまりに一方的で、圧倒的な結末だった。マフユの見ている前で異形は原形留めず圧壊し、収縮して、触手群諸共に渦を巻いて一弾へと再統合を遂げた。そうかと思えば弾丸は闇の塊に変じ、黒い靄と成り果てて少女の側へ流れてくる。
時を同じくトランクパネルに乗せられていたバレットM82A1が、弾丸同様の黒靄と化して後部座席の一端へ渡っていった。途中、弾の解けた靄も合流し、一つとなった闇がうねって人型を形作る。
そうして現れ出たのは、黒いコートに黒い着衣、黒い帽子でまとめた長身痩躯の男。特徴的な細い糸目を持ち、胡散臭い笑みを口元へ貼り付ける。
「流石ですね、我が主君。移動中の車上から定点狙撃を決めてしまうとは。いい腕です」
長銃から人の姿になったセイギは、にこやかにマフユを讃える。主の伎倆と胆力を賞賛し、明るく振る舞いその横顔を窺った。
途端、笑顔の明度を維持したまま、質だけが暗澹と貶められた不遜の貌となる。
「ああ、しかし今の一発で義手には相当負担が掛かってしまったようですね。いよいよ壊れてしまったのでは? 咄嗟のことでワタシは反動をまったく殺せませんでした。衝撃は全て、アナタの右腕に圧し掛かってしまったでしょう。どうです、痛いですか? 嫌な気分ですよね? ちょっと詳しく教えていただけませんか?」
例の如く、セイギはマフユの心を踏み躙りに掛かってきた。
昏い愉悦を満たす為、少女に災禍を科して精神を潰す。あまりにも露骨過ぎる諸行は、悪戯と呼べるレベルを逸している。
死の精霊はあらゆる方法でマフユを苦しめ、胸底の安定を侵し、意識を炙って引き裂く事に執心しているのだ。
対する少女は自分の右腕をじっと見詰めて動かない。大型狙撃銃を撃ったことが、致命的な損壊の引き金であった。
指は一本たりとも動かなくなり、手首も回すことが出来ない。肘も曲げられず、肩も然り。文句なしの機能不全である。
尚も隣で楽しげに笑う精霊をジロリと睨み、若き精霊使いは健在な左手を動かした。ブレザーの内ポケットに手を滑り込ませ、メタリックブルーのスマートフォンを掴み取る。
味も素っ気もない無味乾燥な携帯端末を操作して、登録ダイヤルの一つを押した。




