第29話:天上大疾走③
飛翔する怪異が撃ち出す肉塊は、それ自体が生体炸薬と呼べる代物だった。
直撃を受けた場所は、硬材が吹き飛び大きく窪んでいる。あれが命中しようものなら、如何な精霊といえども無事では済むまい。
着弾点の惨状を横目に見て、マフユはより強くハンドルを握った。一瞬でも操作を誤れば、高速移動中の我が身は車体ごとに跳ね上がり、爆滅に飲み込まれ、人生の幕を引いてしまう。
そうでなくとも甚大な負傷を被り、反撃へ移る前に返り討ちとされかねないだろう。状況は極めて切迫し、余談を許さない。
「なんの!」
しかし易々と精神的プレッシャーに押し潰されるマフユでは無かった。どれほど危機的な状況だろうと、冷静な観察眼と直感の機微は損なわれぬ。
母を喪った時の絶望感に比べれば、この程度の危難など何するものぞ。かつて潜った拭い難く忘れ難い地獄の渦中を思うならば、心乱すにはまだ遠い。
故に少女の両腕は死の羽音を背後に聞きながらも、普段通りの精錬とした営みを違えはしなかった。
目一杯ハンドルを切りながら、半瞬でギアチェンジを終え、アクセルを踏み込んで、三動一連としてバランスを即座に整える。
相次ぐ爆発の合間を華麗に縫い、立ち込める噴煙が前方を覆い隠すより一拍早く突き抜けていく。
路上走る震動を車体から感じ取りつつ、明確な脅威に怯えるでもない。散らばる道路の破片を尻目に、法定速度をとっくに無視した豪走は、外周へ巻き起こる破壊の絶火を踏破した。
黄金のメルセデスが去った後は、正しく空爆直後の様相である。抉れて陥没した路面が長々と続き、とても渡れるような状態にはない。もしも後続車があったなら、今来た道を引き返す他に選択肢はなかっただろう。
一方の追撃者は飛行体であり、眼下の様子など意に介さぬ。ただ執拗に目前の標的のみを追って、激しい羽音が夜気を掻いた。
「んもぉ、滅茶苦茶してくれるわねぇ。ここの修理費って、アタシ達の税金じゃなくって?」
「だいたい、そう」
折り重なる爆煙を掻い潜り、これといった損傷もないまま金色の車体は疾走を止めない。
それ自体であるチアキの憮然とした声に、マフユは言葉少なく応じるのみ。そもそも精霊は税金を払っていない、というツッコミを飲み込んで。
軽口を交わす両者の気配に油断はない。相手の出方を注意深く観察しながら、しかし気を張り過ぎることなく適度な余裕を合間に置く。
極限まで張り詰めた緊張を弛緩させはしないが、それにかまけて他方への意識を疎かにする愚も犯さない。
何時、何処で、何が起こるか分からない実戦にあっては、意識や心持ちの滑らかな緩急が死命を別つ。実地でその極意を学んできたマフユは、だからこそ本気の最中に一息を挟む悠然さを忘れないよう心掛けてきた。
状況が悪ければ悪いほど、焦燥によって頑なな思考へ陥り易い人の本質を知り、その半歩手前に冷静な意識でいられる余裕を設けておくのだ。これが戦いに浸り続けた少女の、死線渦中で編み出した方策である。
「あらん? どうやら追っ手ちゃん、弾切れみたいね。もしくは次弾装填中かしら」
チアキの指摘通り、異形からの攻撃は止んでいた。先刻まで間断なく繰り返されていた肉塊の斉射が、今は完全に鳴りを潜めている。
ミラーを覗き見たマフユは、全身にあった火脹れ胞が割れ尽くし、あらゆる場所から紫液を垂れ流す異形を捉えた。
けれど破砕した肉胞は体のあちこちで再び成長を始め、微細に蠢きながら盛り上がりつつある。程無く第二波用の生体炸薬が生成されるのは疑いようもない。
「好機」
少女は藍瞳を鋭く光らせ、凛然とした面立ちにあるかないかの笑みを刷く。
次いで、契約を結んだもう一人の精霊に呼びかけた。
「シュウカ」
「おう、なんだ!」
打てば響く迅速さでマフユに応え、空白の助手席に炎が躍る。
真紅の猛火は火の粉を散らして一回りすると、人型に集まって女性の姿を実体化させた。
現れ出たのは短い赤髪を持つ、黒瞳威顔のスケバンである。額と左頬に走る傷痕と、鋭い目付き、尖った八重歯が印象的な長身の女。気合いの表れなのか、白く裾長の特攻服姿で座席に在った。
「運転を代わって」
マフユは端的に告げると、炎の精霊シュウカにハンドルを明け渡した。
それと同時に自分は立ち上がり、背凭れに手を掛けて、後部座席へと飛び移る。
「化け物退治じゃねぇのかよ。ったく、しょうがねぇな」
不精不精の態で作業を請け負い、シュウカはマフユと入れ替わりに運転席へと滑り込む。
そのままハンドルを握り締め、アクセルを連続して踏み込んだ。排気量超大のモンスターエンジンが凄絶に咆え、車両の加速に拍車が掛かる。
口では不満気なことを言いながら、運転に興じる精霊の顔は満更でもない様子。
口角を吊って舌なめずりし、ただでさえ悪い人相をより兇悪に歪めていた。どう贔屓目に見ても犯罪者面である。
「ちょっとぉ、シュウカちゃん。アタシはデリケートなんだから、乱暴に扱わないでよ」
「なにがデリケートだ。テメェの図太さはオレ以上じゃねぇか。こんなんまだまだ序の口だろ!」
言いながら盛大にハンドルを捻る。
車体は急激に斜上へ走り、軋むタイヤが甲高い悲鳴を上げた。
「オバカ! そういう無茶な運転すんじゃないの」
「マフユとドコが違うんだよ。同じじゃねぇか!」
「マフユちゃんの操作には品位と美しさがあるのよ。貴女のはただ我武者羅でガサツなだけだわ」
「へっ、それの何が悪い。イイじゃねぇか。っしゃァァ! テンション上がってきやがったぜぇッ!」
毎度の口論へ入るチアキとシュウカを余所に、マフユは後部座席から異形を睨んでいた。
飛行しながら尚も距離を詰めてくる怪物は、次の攻撃で獲物を撃砕するべく必殺の間合いを求めている。
飛び出した奇怪な眼球がギョロギョロを動き続け、四開する口腔から体液が散った。
これを正面に見たまま、少女は怜悧な風貌に剣呑な殺意を滲ませる。




