第28話:天上大疾走②
魔物や怪異と呼び表される不浄の存在。誰が望んだものでもなく、自ら欲したわけでもなく、雑多な軋轢や間隙から生じた歪み、在ってしかるべきでないモノ達。
人知れず世の片隅に滲み出し、漂う想念、潰えた願い、満たされぬ渇望、欲動、怨嗟、呪詛、情念、嫉妬、憎悪、負暗を貪り喰らい己を成す。最初は不確かな陽炎めいたモノであるが、何時しか血肉を備える程に成長し、自らを構築する闇念に従って生者を害す、そういうモノだ。
捨て置けば世の安寧は乱され、人々の生活は脅かされる。これを狩るのは、正確に不浄を知覚出来る特異な才能、血筋を継ぐ者達の使命ともいえる。
超常の域に踏み込む異能の持ち主、只人にない力を持つからこそ、それを揮う義務と権利を擁す者達。マフユもまた、その一人である。
彼女が得ているのは、精霊という意思ある現象を使役する力。幾多の精霊と歩み、彼等の力を借り受け、人の身に余る奇跡を制す森羅万象の代行者。
かつての母がそうだったように、力なき人々を護るべく戦い走り続けることこそが、彼女に課せられた宿命なのだ。
よってマフユは今、討つべき異形を相手取り、万人の幸福がため死地を踏んでいる。
わけではない。
もし彼女の母が存命であり、我が子に己が血脈の意義と使命を説き、進む道を示していたなら。あるいは少女も燦然たる守護の勇人として万願を背負い、救済と解放を織り成す輝きの使徒となっていただろう。
されど現実は違う。マフユの母は、偉大にして強大なその力を疎んだ『邪悪なモノ』によって命奪われ、愛娘に道を拓くことなく尽き果てた。
その代わりに少女が育んだのは、母を奪った『邪悪なモノ』へのあまりに深く凄絶な復讐心。
憎き怨敵を滅すことのみを人生の主眼、宿願としてきたマフユは、ただ自らを強く鍛え上げる為だけに戦場へ赴いている。彼女が魔物と命を懸けて争うのは、戦士として闘士として強健なる高みへ自己を昇らせる、その一点に意味の全てが集約していた。
そこには無辜の民を救おうという気持ちも、か弱き万民を脅威から護ろうという思いも存在していない。
彼女にとって他人の存在は瑣末な事物でしかなく、心情を挟む余地など最初から皆無であった。
もっとも狙いがどうであれ、戦いの結果として怪異は滅び、人々を護ることとなっているのだが。
「マフユちゃ~ん、どうやら引き離すのは無理そうねぇ」
甘ったるい男の声が、果敢にハンドルを操る少女へ届く。その出所はすぐ近くだ。隣とも、足下とも思える。
それもその筈。声の主はマフユが運転する車そのものなのだから。
彼女が契約を果たす精霊の一人、風を司る精霊チアキ。オネェ言葉を常用する癖強な美男が、自らの体を再構成した姿。それこそがメルセデス・ベンツE350カブリオレである。
精霊族の体は血肉を有す実体ながら、組成は霊子エネルギーの集合体。そのため任意に実体・非実体化が可能であり、また自身の精神性を表す形態へ変容する事が出来た。
チアキの場合は多分なる凶暴性の発露として大鎌や、何者にも捕らわれない自由意志の顕在化として高機動車両に変じられる。
尚、既存の高級車と細部までが等しい写し身として再現されるのは、チアキ本人が同車のことを大変気に入っていて、熟知しているからである。無意識にそのイメージが反映され、記憶に刻まれた姿形を余す事無く明確に踏襲してのこと。
仮にチアキが車やバイクに興味が無ければ、その姿はもっと漠然とした、適当な原理で走る「なんとなく車っぽい物」にしかならなかっただろう。
「だったら、このまま仕留めるしかない」
表情自体は変えないまま、マフユは不服そうに歯噛みした。
少女の右腕に取り付けられている義手は現在、非常に調子が悪い。闘いを求める彼女が連日強行に立ち回っていたため、十全なメンテナンスを施していなかったことが直接の原因である。
長期間ろくな整備もせずに酷使してきたサイバネティック義肢は、多くの違和感を抱え、健全とはいえない状態に陥っていた。これ以上の負荷は与えられない。今現在稼動には支障ないものの、過激な行動を起こせば果たしてどうなるか。
流石にこのままではマズイということで、仔細を熟知する開発者の元へ向かう途上だったのだが、折悪く魔物に遭遇・追跡されているのが現状だ。
完調でないこの時に敵と戦うなど彼女の本意ではない。よってまずは逃げ仰せ、己の状態を万全にして挑もうと、そういう心算であった。その為のメルセデスであり、その為の超高速走行。想定外だったのは怪異の執拗さと移動スピードの凄まじさにある。
我が身の迂闊を呪いつつも、当面の外敵排除に思考を切り替え、マフユは再度バックミラーを睨んだ。
その時である。後方から追い縋っていた蜻蛉型の異形が今までとは違う動きを見せた。
全身に持つブヨブヨの肉胞が急激に震え、次々に破裂し始めたのだ。薄紫の奇妙な体液が崩胞から散って周囲へ飛び、その内より拳大の肉塊が前方空間へと射出された。
放たれた肉塊は紫の流液に塗れながら、本体を倍する速度で空中を滑る。そのまま緩やかに放物線を描き、尋常でない速度と勢いを伴って黄金のメルセデスを襲った。
「くっ、この!」
ミラー越しに敵勢の異変を見て取ったマフユは、唇を噛みながらハンドルを回す。
少女の操作に応じて風の精霊車はジグザクに揺れ動き、背後より迫る正体不明の飛来物が舞う射線上から逃れていった。
唸り上げてやにわに車体を振りながら、金色の名車はそれでも速度を落とさず進み続ける。すぐ後方では標的を逸した肉塊が路面へと激突し、小規模な爆発を引き起こした。
異なる物質との接触と同時、塊は内側から生じた圧力によって爆ぜ跳び、爆風と業炎で周囲を蝕んだ。更に濃厚な噴煙をも放ち、一時的に視界の一切を奪い去る。




