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復讐の精霊使いマフユ  作者: ミチバケ
精霊使いの日々編
27/133

第27話:天上大疾走①

 厚く濃厚な闇が世界を掌握する時刻。草木も眠る丑三つ時。

 満天の星空には三日月が煌々と照り、眼下の悉くに採光を投げ掛ける。

 言葉もなく、意図もなく、ただ在るがままに映える虚空の中へ、唯一つ遠く伸びる大道があった。硬質な構成素材から成り、長い年月と数多の技術・努力を経て作り出された遠大な一つの道だ。

 始まりも終わりも既に地平の果て。その全長を推し量ることなど単純目視では到底できない。遥かな下方、或いは遠方に街の灯を見遣りながら、何物へ接することなく大空を渡る。

 幅にして大型車両が五つ分、各々へ引き描かれた白線に区分され、悠然たる威容を惜しげもなく晒していた。

 それは大都市の頭上を跨ぎ、幾多ある街々各所を繋いで走る天の長道。誰が呼んだか、指し顕す一名は天上大高速という。

 天地を無限に覆うばかりの深闇へ抱かれて、大高速は彼方へ伸びる。緩やかに弧を描き、ともすれば真っ直ぐに、その折につけ蛇行して、歪みない巨道は途切れず在った。

 其処彼処を満たしている夜気は、あらゆる音を吸い込んで静寂を与える。延々に敷かれた無音の世界は、終わりの窺えぬ長大な道に何処までも降りていた。


 だが完全なる静けさは、ある一点より破り捨てられていく。

 聞く者の魂を揺さぶるほどの壮烈な爆音が轟き、静かなる情景を掻き乱すが故に。

 音源は天上大高速の途上に跳ね、恐るべき狂猛さと速力を持って移動中だった。

 闇夜の厚塗りを貫き、閉じた天幕の抱擁を突破して疾駆する光がある。金色に輝く一条の矢、そうかと見紛う豪放な雄姿。

 メルセデス・ベンツE350カブリオレ。

 黄金で設えられた豪奢すぎる外観は、スポーティー且つ流麗なフォルムを晒し、芸術的に美しい。天井部の取り払われたオープン構造、デザインへの限りない追及が生み出した特別な個性、パフォーマンスと環境性能を高いレベルで両立させたそれは、ある種頂点の体現と言えた。

 搭載された3.5リッターV型6気筒直噴エンジンを強大に咆哮させ、叩き付ける外風を断ち切って金の美獣は突き進む。

 前にも後ろにも対向車線にも動く者の姿はない。邪魔者なき闇の原野を、眩い輝きは一心に駆け抜けた。

 その時速たるや既に250kmを超過し、車体自体が一陣の風が如く。しかしてこの黄金を駆るのは、年若い少女である。

 柔らかく滑らかな白皙の左手と、重々しく硬質な右手。左右で色の異なる腕をハンドルに乗せ操り、爆走する車体を御するマカベ・マフユ。

 吹き抜ける猛烈な夜風に短い桃髪を激しく靡かせ、毅然とした面持ちで進行方向を見据えていた。


 カーブへ差し掛かる度、巧みなハンドル捌きと瞬間的なギアの変換で、殆ど速度を落とさずに越していく。

 唸り叫ぶタイヤと路面の摩擦音に次ぎ、車後体を僅かに振ってバランスを整えると、即座にアクセルを踏み込み加速へ入った。

 怪物級のエンジンが歓喜の咆声を上げると、一瞬の衝撃を経て金色の一矢は猛然と直走る。

 一つ一つに無駄はなく、非常に慣れた手付きと言えた。昨日今日会得した技術ではありえない。円熟の域にまで及ぶ操縦技術は、膨大な時間と研鑽の末に獲得された特技才覚の一端である。

 同乗者ない単機の雷を繰り、マフユはバックミラーを一瞥した。

 とてつもない速度で流れていく風景の中、自車の後方に一つだけ奇妙な影がある。明らかに自然物とは違うソレを認め、少女は小さく舌打ち鳴らす。


「流石にしつこい」


 バックミラーから正面に視線を戻し、更にアクセルを踏み込む。

 冷淡な中にも忌々しさの込められた声音は、滾るエンジン音に掻き消された。

 メルセデス・ベンツの速度が一層に引き上げられ、暴風もかくやという勢いで激進していく。引かれた白線と路肩の光景が異常な速さで後方へ去り、吹き荒ぶ風音は鼓膜を圧す。

 それでもだ。車の後方に位置付く影との距離は変わらない。

 いや寧ろ、徐々に縮まりつつあった。闇の中に浮く得体の知れないモノは、至上の傑作車を上回る速度で追従してくる。

 マフユは絶妙なタイミングによるギアの連続調整と、驚異的な運転テクニックを揮い、蛇行する道を加速したまま走破した。

 右へ左へ盛大に揺れる車体。ステアリングが切られるごとにタイヤは軋み、白煙が立ち上る。路上に長く深く跡が刻まれ、その上から狂獣の猛りが甲高いいななきとなって宵を引き裂く。

 運転席のシート上で体を揺さ振られながらも、少女の手はハンドルから離れない。片足はアクセルを吹かしに吹かし、歯を食い縛りながら曲芸とも言える爆走行為を維持し続けた。

 しかし導き出された結果は、彼女が期待するものとは真逆に終わる。

 先頃まで遠く全容も窺えない闇夜の一点でしかなかった追跡者が、今ではミラー越しで充分に視認可能な距離まで迫っていたのだ。


 それは背から生えた透明な四枚のはねを激しく動かし、暴力的な恐速で空中を舞い飛ぶ異形。

 そう、異形だった。

 全長は大凡で3m。体は前後に長く、赤黒い。表面の何処もが火脹ひぶくれた水泡さながらに膨らみ、小刻みに波打っている。

 前身の脇から垂れた腕は左右に一つずつだが、外皮が見えないほどの剛毛に閉ざされる。

 先端の頭部には縦横に裂ける口角を持ち、そこから毒々しい色合いの液体が滴った。フジツボを思わせる飛び出た眼球が10以上も密集し、その全てが忙しなく動くのだ。

 言うなればその異形、蜻蛉とんぼを巨大化させたモノだろうか。外観的にはそれが近い。しかし奇妙にして奇抜な姿は昆虫という枠組みからは遥かに遠く、此の世の醜悪を押し固めた悪夢の結晶と呼ぶべき有様だった。

 美麗さなど欠片もない。怖気と吐き気とを等しく催す邪悪の発現。異形以外の形容は当てはまらない、地獄の瘴気が顕現である。

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