第25話:居酒屋バイト⑤
「今まで居酒屋で勤労に励んでいたのでしょう? お疲れ様です」
爽やかというには胡散臭すぎる微笑を浮かべ、セイギは主を労った。
その声音は慇懃で忠節を感じさせるが、しかし手放しで受け入れるには含みを秘める。
血の滴るナイフを握る殺人鬼が、面前で放つ社交辞令とでも言えばよいか。それに近い不敬の空気が鼻をいた。
もっとも、危険な獣性を仄かに浴びるマフユ自身は、とかく気にした様子もない。
戸惑いも気後れもせず、常の心算が窺えない無機的な表情で相手を見た。
「此処が?」
余計な挨拶を一切省き、マフユは要点のみを端的に問う。
性急で合理的な言い回しに、無駄な文言はまったくない。
糸目の精霊はそんな相手に苦笑を返し、それでも気にせぬ調子で話し始めた。
「そうです。この辺り一帯は普通の空間とは微妙に違う。我が主君も感じたでしょう? 唐突に異界めいた場所へ入り込んだ感覚を。誰が企図したわけでもなく、自然発生してしまった辻の裏、とでも言いますか」
「確かに、奇妙だとは思う。セイギの仕業?」
「とんでもありません」
マフユの平淡な問い掛けに、セイギは肩を竦めて見せる。
ついでに心外だと言わんばかりに、眉間へ浅く皺を寄せた。
「先も述べたとおり、何者の意図も含まれてはいませんよ。土地的に、そういう場所なのです。ただ単純に描いた図柄が、偶然魔法陣になって効力を発揮した、なんて話を聞いた事はありませんか? 此処はそれに近い。普通に街を造ったつもりが、小さな要因の密接な関わり合いにより、誰も望んでいないのに異質な空間を構築した。奇跡的な確率でこそありますが」
「その結果、存在していながら、誰にも気付かれないような場所に?」
「はい、まさしく。厄介なところは極めて自然に、不自然が存在しているところですね。ワタシたち精霊族でさえ、立ち入るまで違和感に気付かない場合もあります」
周囲をそれとなく見回しながら、マフユは警戒の階梯を引き上げながら進んでいった。
セイギはその隣に立って、身振り手振りを加えて話す。傍から見ていると、お喋りな兄と無口な妹が散歩しているようでもある。
「この手の場所は、往々にして良くないモノを引き寄せます。この独特の空気、磁場めいたものが、不浄に類する諸々を集めてしまうのです。誘蛾灯に群がる羽虫の如く、異形異質が異界に惑うはサガ。それでも適当にバラけて彷徨ってる分には問題ありません。危険なのは一箇所に集まって濃度が増すことです。むやみやたらと融合したり、喰らい合って肥大して、特異な力を持ってしまうと目も当てられない」
長い長い時間、死者の魂欲しさに各所を巡り渡ってきただけに、セイギの智識は侮れない。
年若いマフユが知らないような事柄や場所、色々な情報を実地で体感し蓄積しており、かなりのことへ精通している。
単純な年齢だけでも、マフユとセイギでは20倍以上の開きがある。積み重ねた経験の絶対量は比較にならない。
「不浄の塊が異界で大人しくしているならまだしも、なにかの拍子に這い出て来ては一大事です。災いとなるまえに始末をつけたいと思うのは当然の心理でしょう。こうしたことに気を揉むのは街の有力者や、霊的な治安維持を担う退魔組織と相場が決まっているものです。前者はともかく、後者は慢性的な人手不足に喘いでいるのも御約束ですが」
「だから仕事の話がきた」
「はい。一種のゴミ処理といいますか、害獣駆除みたいなものですね。世のため人のためになって、金銭も貰える。良いことづくめじゃありませんか」
どこまで本気か笑って頷くセイギを余所に、マフユは剣呑な目で闇の奥を射た。
彼女が居酒屋でのアルバイトとは対照的な、危険と隣り合わせな「夜のバイト」へ身を置くのは、報酬の為だけではない。
確かに、天涯孤独な少女の一人暮らし(正確には精霊を交えた三人暮らしだが)には何かと金が入り用だ。母から譲り受けた遺産があるものの、生活費のために「つきはみ」で働いているのも事実。
しかし怪奇を祓って得られる報酬はおまけのようなもの。マフユが本当に求めているのは別にある。
すなわち、危地へ飛び込み大きな脅威と戦うこと、それそのものだった。
日々鍛錬を重ねるだけでは足りない。命の遣り取りを旨とする実戦で腕を磨き、ギリギリの死線で己を鍛え上げること。それこそが最大の理由。
容赦ない外敵との潰し合い、殺し合いで、心身を強く鋭く研ぎ澄ます。そうやって場数をこなし、血反吐にまみれながらでも、実力を付けていく為に少女は荒行へと赴くのだ。
母の仇が討てるように、それだけの力を練り育む。こうした目的に因って、マフユは仕事へ臨んでいた。




