第23話:居酒屋バイト③
その後もマフユはあれこれと立ち働きながら、気付けばバイトの終了時間を迎えていた。
店の奥まった場所にある小さな休憩所が更衣室も兼任しており、仕事を終えた少女は此処で着替えを行っている。
今のところ彼女以外にアルバイトは居ないため、室内には当然一人だけだ。
マフユはまず右手を包む包帯を解いていった。多少汚れてはいるものの未だ充分な白さを保つ保護布は、戒めの型を失い容易く落ちる。
しかしてその下から現れたのは、鋼色に照り輝く機械仕掛けの手であった。
硬質な外装を備えた甲に、血潮の通わぬ人工筋肉が剥き出した五指と掌。それはどう見ても肉の集まりではなく、無機的な物質の結集である。
奇妙なその手を本来のものとなんら変わらぬ自然さで動かし、次に解いたのは腰帯だ。
群青色の帯が畳に落ちると、少女は店員衣の長着を肌蹴させた。左右の身頃を開き、背へと流して、肩から一気に滑り落としていく。
白皙の肌を柔らかく擦りながら、和服は軽やかに走り、足下へと広がった。重さを感じさせない静かな動きで、小さな音だけを残し畳の上へ沈む。
上下揃いの黒い下着姿となったマフユは、軽く前髪を掻き上げた。
白く柔らかで、健康的な美しさを具えた姿態。余分な肉はまったくなく、歳相応の少女らしい華奢な体付きをしている。
瑞々しくも適度な張りを持つ素肌は、清廉でありつつどこか艶かしい。
そんな体にあって、異質な部分が存在する。白磁のような肌とは対照的に、鈍く重々しい、無骨な作りのそれ。彼女の右腕である。手だけではなく、前腕も二の腕も、肩口に至るまで全てが紛い物なのだ。
柔軟さと堅固さを併せ持つ人工筋肉が、幾本もの鋼製チューブに覆われている。その外周を囲む形で設けられた装殻面は、人工物特有の冷たい輝きを放っていた。
ほんの二週間前まで、マフユの右腕は健在だった。
それが今では柔肌など見る影もない。死を司る精霊セイギとの戦いで、勝利を得るために切り捨てた故に。
結果として今や、右腕が一本丸ごと義手へ成り代わっている。
とある技術者が手ずから設計構築した、此の世でただ一つ、マカベ・マフユだけのオーダーメイド。非常に精巧で、生身の腕と変わらない感覚を再現した最新式の高機能サイバネティック義肢だ。
駆動音もせず、見た目に反して重さもそれほどではない。移植手術を経て、短時間のリハビリで私生活に支障ないレベルまで回復した実績が、開発者の並々ならぬ技術力を証明している。
マフユはハンガーに掛けられた馴染みの制服へ、何の衒いもなく右手を伸ばした。
精密な機構で出来た腕は驚くほどしなやかに動き、求める衣服を容易に掴み取る。力加減に失敗して破ったり、傷付けたりする事もない。
まずは白いワイシャツを抜き取り、左手から袖を通す。
続いて左右の開きを合わせて、胸元から一つずつボタンを留めていった。そこにまた違和感がある。
小振りな双丘が作る控えめな谷間口に、深々と刻まれた大きな傷痕。自らの存在を誇示するように覗くそれは、なめらかな皮膚を堂々と侵し、痛ましい荒み面を広範に覗かせた。
美しさなど欠片もない、歪でグロテスクな大傷の痕だ。胸元の一点を中心として、投石を受けた窓硝子さながら、放射状に枝葉を伸ばす。
直視に堪えない重痕は遠慮会釈なく、とかく下方へ落ちていった。胸の上端に達し、盛大に少女の美観を損なって尚平然と居着く。
こちらも精霊セイギとの戦いで負った傷である。右腕を犠牲にした起死回生の爆発を仕掛けた際、チアキとシュウカの加護が及ぶ一瞬の間隙に。
酷い負傷ではあるが、常人なら胸郭が抉れて吹き飛び、肉体の大半を失いその場で死んでいたろう。この程度で済んでいるのは寧ろ幸運の部類と言っていい。
だからというわけでもないがマフユ本人に、この傷痕や右腕を気にする素振りはなかった。それどころか、まったく意に介していない。
意図的に忘れようとしているのとも違う。生まれた時からそうであるかのように、迷いなく受け入れている。というよりも、無関心という方が正しいか。
彼女がこれら他者と異なる部分に対し、何か思うとするならそれは、
「人に聞かれた時、適当な言い訳を考えるのが面倒」
という、ただそれだけである。
彼女が見ているのは常に一つ。強くなるという、愚直にして違え難い路のみだった。
それ以外の全ては、それこそ自分の体に出来た傷など興味の対象でもない。
右腕の喪失にしても、代替が利くのならばそれでいい。以前までのそれと何ら遜色なく働きさえすれば些事である。
一貫した信念に基き、どこまでも自分のペースを乱さない。
そんな少女はボタンを全て留めきると、今度は膝上丈のプリーツスカートへ足を通していった。
穿き慣れたスカートを腰まで引き上げて、ファスナーを閉める。それへ続いて足袋を脱ぎ、代わりに黒いハイソックスを履いていく。
膝まで届く黒い布地に左右の脚を包み終えると、シャツの右袖を捲り、包帯を拾い上げた。前後も裏表も特に意識せず、再び右手へ巻き始める。
剥き身で義手を晒していると、他人が目聡く関心を寄せてくるのがいただけない。腕が丸ごと作り物というよりは、手を怪我している態を取っておいた方が、無用な注視を避けられる。だから指先から手首、前腕の半ばを包帯で覆って隠し、固く結んだ。
義手の無機質な異容が白く閉ざされると、袖を伸ばして口を留める。緑のリボンを襟へ通し結わい付け、最後にブレザーを羽織った。
紺地を基調として紅いラインが走り、青空と小鳥を意匠化したエンブレムの刺繍された一着。左右の開きを腹部で合わせ、二つボタンで留めると身支度は終了だ。
脱ぎ落とした和服は全体を開いて皺を伸ばし、綺麗に畳んで備え付けの小さなタンスへしまう。腰帯も均等に折り畳み、和服の傍らに据えて置く。




