第22話:居酒屋バイト②
「ねぇねぇ、なんかオススメのつまみとかないかしら?」
女性客の一人が、身を乗り出すようにして聞いてきた。
マフユはそちらへ視線を移し、整然と説明する。
「和風創作料理、つきはみ和えが店主のお勧めメニューとなっております」
「へぇ~。どんなの、それ?」
「厳選された大豆から作られた香ばしい豆腐に、当店自慢の自家製味噌を和えた一品です」
「ほほぉ。美味しそうじゃんね。そのつきはみ和え、くださいな」
「はい。他に御注文はありませんか?」
女性客から視線を外しマフユが問うと、他の二人も相次いで手を上げた。
「こっちにも月影を一杯」
「私も同じやつ。あと、つきはみ和えも」
「かしこまりました。月影を二杯に、つきはみ和えを二つですね。少々お待ち下さい」
特段メモも取るでなく口頭で注文を確認すると、マフユはテーブル席を離れていく。
緩やかなようでいて無駄のない動きだ。洗練された所作は、どこかアスリート的な躍動感を感じさせた。
和服姿で店内を過ぎり、カウンターの内側に回って店主へと近付く。その傍らに立つと、慣れた手付きで料理を作る横顔に、淡々と語りかける。
「ツキハさん、奥のお客様から御注文です。月影と、つきはみ和えをそれぞれ二つずつ」
「あいよ」
「私は洗い物をしてきます」
言うべきことを伝え終えたマフユは、手にした盆をカウンター内の片隅に置く。そのまま更に奥まった水場へと歩き始めた。
だがその背中へ、店主から声が掛かる。
「マフユちゃん、手、怪我してるんだろ。無理しなくていいよ」
呼ばれた少女が振り返り見たのは、まな板から顔を上げてにこやかに笑うツキハの姿。
他意のない優しさと気遣いの笑顔を一秒あまり視界に収め、マフユは次いで自分の右手へ目を向けた。
店員正装の和袖から出る右手には、指先から手首から全てに包帯が巻かれている。皮膚の露出が一切ない、徹底的なまでの巻きようだ。
「大丈夫です。別に問題はありません」
無表情にそれだけ言うと、マフユは小さく会釈をして奥へと去る。
そんな少女を心配そうな目で見送り、店主は再びまな板へ向かった。
「マフユちゃんはよく働くねぇ」
先の注文を作りに掛かるツキハへと、カウンター席に座る常連客の一人が話しかける。
随分と頭の寂しくなった中年男だ。着古された茶色いスーツに、度の強い眼鏡姿。
風采の上がらない課長を絵に描いたような人物である。
「ええ。物覚えはいいし、真面目で気も利く。何をやらせてもそつがなくてね、ミスらしいミスもしたことがない。あの子が来てから本当に助かってますよ」
笑顔で頷く店主の言葉に、別の客が合いの手を入れる。
「おまけにスンゲェ可愛い」
ニヤニヤと笑いながらコップを傾けるその男は、カウンターの一席に座っていた。
20代後半で、茶髪にピアスとホスト的な井出達をする。
けっして悪人には見えないのだが、軽薄そうな印象はどうあっても拭えない。
「おしむらくは、もう少しだけ愛想がいいと。だな」
茶髪男の隣に座る常連その三、がっちりとした体付きの髭面が口を開く。
大柄な身を丹前に包んだ男は、箸を器用に使って焼き魚から小骨を取り除いていた。
まるで知能指数の高い熊が座っているようでもある。
「お客さん、それは望みすぎというものですよ。人間誰しも欠点があって然るべきだ。完璧な人間なんて居ないし、仮に居たとしてもそんなのつまらないじゃないですか。マフユちゃんは今のままが、きっと一番いいんじゃないかな。なんたってあの子らしい」
豆腐を切り分けながら、店主は微笑んで髭面を窘める。
それへ便乗した茶髪男が、ニヤけ顔で隣席男の肩をつついた。
「そーそー。真のマーちゃん通はね、あのクールな面差しを愛でるもんなの。オッサンは、そこんとこ分かってないっすね」
「マーちゃん通ってなんだ。危ない客には近付かんよう言っておかんと。だな」
「ははは。まぁ、ツキハさんはマフユちゃん贔屓だからねぇ」
中年男は笑いながら店主を見た。
振られた当人は曖昧に微笑んで首を振る。
「別に贔屓というわけでもないと思いますが」
「そうかなぁ。ボクが見る限りじゃ、かなりお気に入りという感じだけどねぇ」
「うんうん、そりゃ確かに。ケッコー可愛がってんじゃないっすか」
「同意。だな」
三人から同様の指摘を受け、店主は微苦笑を浮かべた。
少し考える風情になり、それからゆっくりと首肯する。
「そう見えますか。いや、きっとそうなんでしょうね。実は私も若い時分に両親を亡くしまして。それから色々と苦労してきました。ここまで来るのは決して楽じゃなかった」
「なるほどねぇ。だからマフユちゃんを放っておけないわけですか」
「ええ、まぁ。他人のように思えなくてね。つい世話を焼いてしまうんですよ」
気恥ずかしそうに言う店主。
その顔にはマフユへの共感と親しみ、それ以上に父母の慈愛めいた優しさが窺える。
「くぅぅ、ワサビが目に染みやがるっての。ツキハさん、もう一杯! こんな俺だけど、店の売り上げに貢献させてもらうっすよ」
「人生山あり谷あり。だな」
感慨深げな面持ちで、馴染みの顔ぶれは咽喉を動かした。
ある者は酒を飲み、ある者は食事を口に運ぶ。思い思いに来店の一時を楽しみながら、胸の詰まされる気分をも味わっていた。
穏やかな顔で各自を見遣る店主の、その手元では次々と料理が完成していく。
体に染み付いた熟練の業は一切の手抜かりなく、目的の品を可能な限り素早く美しく仕上げていった。




