私、仕事辞めますっ!
(んげっ! マウント先輩!)
苦手な先輩の汚れた顔を見た瞬間、ユナは自分の置かれている状態を思い出した。
冷静になった頭で周りをよく見渡せば、負傷者の中に職場の先輩達が何人もいる。
「あ! 本当だ、ユナさんだ!」
声がした方を向けば、そこにはあのゴーレム襲撃事件の時のパーティーリーダー『爽やか剣士』の顔もある。
「あの嬢ちゃん、この前うちのパーティーに剣士として派遣されてきた嬢ちゃんだ!」
「でもさっき、思いっきり最高難易度の治癒魔法使ってたぞ?」
「あー確かに……」
過去派遣されたパーティーの冒険者達が、次々とユナに気づき始める。
(まっまずいっ)
ユナの状況は最悪だった。
仕事を抜け出す。
ボス討伐部隊以外立ち入り禁止のダンジョンへ不法侵入。
そして、ここまで使ってきた治癒魔法ならびに、数々の魔法や剣技。
完全にホワイトリング社の規定を違反しまくっている。
(あー終わった……クビだ……)
安定した給料。
安定した休日。
家賃の支払いがない社宅での生活。
仕事をクビになると思うと、不思議と出てくるホワイトリングの良いところ。
(あーまだ貯金額溜まってないのにな……)
アーサーに向かっていた怒りなど、さっぱり消えていく。
予想以上に早い退職のタイミングに、焦りが芽生える。
今ならまだ言いくるめられるのではと、淡い期待を抱いていると
「あっ君、もしかしてこの間の『黒猫の亡霊』!」
と、どこからか声が上がる。
タイミングは最悪だ。
まさか、この前アーサーと助けた冒険者がこの場にいるなんて、ユナは思ってもみなかった。
一刻も早く現場に到着することだけを考えていたし、戦闘中は目の前のことに必死だった。
だから、先輩達が居合わせることも、『アイル・ロース』の素顔を見た者がいる可能性も失念していた。
「『黒猫の亡霊』って?」
「お前知らないのか? 最近噂の、ソロ冒険者のあだ名だぞ」
「そうそう。ダンジョンに夜な夜な現れ、短剣を持ち、美しく舞うように魔物を倒していく謎の冒険者。奴が通った場所は、凍てつく氷の世界になるって噂だったが……。こんな女の子だったなんてな」
そんな話が続々と湧き出る中、ユナの額にドロッとした汗が滲み出る。
もはや弁解の余地などなくなった。
「一体どういうことなんだ!」
案の定、先輩達がユナを問い詰める。
その顔を見て思い出すのは、ホワイトリングでの不満の数々。
ヒーラー以外の仕事をどんどん押し付けられ、仕事量が膨れ上がるも、変わらない給料。
無駄にマウントを取ってくる先輩の、どうでもいい話に付き合わされる毎日。
馬鹿でウザい同僚の子守り。
詐欺まがいの契約の数々。
(クッ、いっそこのままクビになるくらいなら……)
元々、ホワイトリングを辞めるつもりだったユナにとって、これほどまでに良いタイミングはない。
しかし、職を失った後の事を考えると、なかなか言い出せない。
ソロで稼ぐこともできるが、今のような生活をするには、休む暇もなくなるだろう。
今日の魔力量は、所詮、得体の知れない何かから授かった紛い物。
毎日これなら生活の質は安定するだろうが、それは不可能だとユナ自身がよく分かっている。
それに、普段からこんなことをしていたら、間違いなく体が持たない。
ユナは下唇を噛みしめ、顔を下に向ける。
その間にも、先輩達の責め立てる声や、冒険者達の驚きや質問の声が絶えない。
(どうすれば……)
ゴクリと唾を飲み込む。
何かを言わなければと口を開こうとしたその時、
「ユナちゃん、今日で仕事辞めますよ」
足元から、よく通る優しい声が響いた。
(はぁーいぃー?)
聞き間違えではないかと、斜め下で膝をついている人物に視線を送る。
「ユナちゃんは、今日をもって仕事を辞めます」
ふらっと揺れながら立ち上がったアーサーは、ハッキリとした声で主張した。
金色の髪がサラッと揺れ、いつものようなキラキラオーラを放つ。先ほどまでの辛そうな顔が嘘だったかのように、ムカつくほど整った顔は、いつもの胡散臭い笑顔になっている。
聞き間違えではなかった。
(なにを言っているの……)
理解が追いつかないユナに対して、アーサーがニヤッと笑いかけてくる。
(こっこいつ! なんか企んでるな!)
「ちょっ、ちょっと!」
「ユナちゃんは今から私とパーティーを組むので、会社を辞めます。そうだよね、ユナちゃん」
説明を求めようとユナが声を上げた瞬間、アーサーに先を越された。
ユナはもはや呼吸のできなくなった魚のように、口をパクパクと動かすことしかできない。
早く否定しなくてはと焦り過ぎて、逆に声が出ない。
「ユナちゃん、仕事クビになって無職になるくらいなら、今ここで退職の意思を宣言して、私とヒーラーとして組んだ方が都合がいいはずだよ」
ユナにしか聞こえない音量でアーサーが囁く。
「ぐっ……」
やっと出そうになった言葉を飲み込む。
確かにアーサーの言う通りだった。
冒険者の界隈は狭い。『猫の亡霊』の件もそうであるように、すぐに噂は広まる。
プラスして、ここには国王軍もいる。
ユナがここでクビを宣言されたら、もはやどこも雇ってはくれないだろう。
しかし、全く気の知れない人たちと妥協してパーティーを組む気もユナにはない。
もう既に、ユナは引き返せない道に立っている。
『そーだなー。じゃーユナ、お前ヒーラーになれ!』
ふとフィンの言葉が浮かぶ。
「ユナちゃん、君はもう彼の帰りを待たなくて良いんだよ」
「なぜそれを……」
決定的な言葉をかけられ、ユナはハッとアーサーの整った顔を見上げた。
緋色の瞳が、ユナを見つめ返す。
心のどこかで分かっていた。
その日暮らしで給料は安定しない。
命の保証もない。
怪我をして仕事が出来なくなったら、もちろんその分の給料はない。
パーティー内での人間関係トラブルも日常茶判事。
だから冒険者パーティーなんてまっぴらごめんだ。
今まで頑なにそう言っては、パーティーに入ることを拒んでいた。
しかし、結局一番の理由は、フィンの帰りを待っているからだった。
どこかでフィンは生きていて、いつか一緒にパーティーを組めるはず。心のどこかでは未だにそう思っている自分がいる。
『帰りを待たなくていい』
確かに目の前のアーサーが発した言葉だ。
しかし、ユナにはフィンが発した言葉にも聞こえた。
容姿も、声色も、全くの別人なのに、まるで二人の剣士にそう言われている感覚がした。
ユナの目尻に涙が溜まっていく。
こぼれ落ちる前に、ユナは自分の手でゴシゴシと拭き取った。
(これが潮時なんだ。私は前に進むべきなんだ)
ユナの中で結論が出る。
騒ぐ人達の方に体を向け直し、空気を思いっきり吸い込んだ。
「私、仕事辞めますっ!」
腹の底から強く言い放ったユナの言葉に、周りの人たちは一瞬静まり返る。
「私、今日からアーサーとパーティー組みます!」
ユナの発言に軍人達も目を見開いて固まっている。
時が止まったような空気感の中、隣にいたアーサーだけが声を発した。
「やっと言ってくれたね」
その顔は胡散臭いいつもの笑顔ではなく、太陽のような暖かい優しさを放っていた。
(認めたくない……。認めたくはないけど……)
ニコニコ笑っているアーサーにムカつきつつも、ユナは心のどこかで彼に感謝していた。
「……ありがとう……アーサー……」
ボソリとそう呟く。
「ん? 何か言ったかい?」
明らかに聞こえているはずなのに、ニヤニヤしながらとぼけてくる。
(こいつ! やっぱ苦手だ! このストーカーウザ剣士ヤローーーーっ!)
いつも通り毒を吐くユナだが、その心は雲ひとつない青空のように晴れ晴れしているのだった。




