そんな話聞いてないっ!
あの『深層ケルベロス事件』から三日が経った。
マリアの言う通り、ユナの正体は気を利かせたアーサーが情報を伏せたらしく、副業がバレる様子は今のところない。
結局、何故あの場に居合わせたのか、アイル・ロースの正体を何故知っていたのかは、未だに分からない。
それに、アーサーが現れた時の違和感。
あの時のアーサーは、あまりにもフィンの姿に似ていた。
今まで感じてきた違和感も含め、偶然では片付けられない。
(親戚か? それとも腹違いの兄弟とか?)
アーサーには聞きたい事が山ほどあったが、あの日以来ユナの前に姿を現さないので、聞く事ができずにいた。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、ユナは今日も職場であるホワイトリングの事務所に来ている。
久々に新人全員が自分の席に座り、顔を合わせている。
と言っても、結局今日まで残った社員はユナを入れて五人しかいないのだが。
それぞれが、山積みになっている用紙を手に取り、報告書を作成している。
カリカリとペンが紙と擦れる音だけが部屋に響いていた。
今日は外での仕事はなく、こうして溜まりに溜まった雑務をこなしている。
それもこれも、今日が例の『深層ボス討伐作戦』の当日である為だ。
関係のない冒険者達は邪魔になるからと、ダンジョンへの出入りが原則禁止に。
ダンジョンでのクエストも、ギルドが一旦停止してしまった。
その為、ユナの同期である新人社員達は外での仕事がなくなり、事務所で雑務をこなしている。
周りが死んだ魚の目をして必死に手を動かす中、ユナはアーサーとフィンのことで頭がいっぱいになっていた。
「ユーナっ! おい、ユナってば!」
周りが静かに雑務をこなす中、隣の席から馬鹿みたいな声が聞こえてくる。
(ほんっとうに、やめていただきたい)
そんなユナの心の叫びが届くことはなく、隣に座っているバカ丸出しの同僚フランツがしつこくユナに話しかけてくる。
「なんなの?」
無視するのも疲れ、ユナの我慢の限界が訪れた。
ゴミを見るような目で隣のアホ同僚を見つめる。
「ひーまー。遊んで?」
(お前は三歳から成長していないのかな?)
「少し黙ってよっかー」
ユナは抑揚のない言葉を発した。
顔は満面の笑みを浮かべているのに、その目は一つも笑っていない。
ユナから発せられたその恐ろしい圧に、ハッと一瞬動きを止めたフランツだが、少し経つと忘れた様にまた喋り始めた。
先ほどまでとは違い、話し相手を求めることを諦めたようで、誰も聞いていないのに勝手にくだらない話をしてくる。
「にしても、俺もボス討伐行きたかったなー」
ユナが無視を決め込んでいると、話題は勝手にボス討伐の事になっていった。
「なんであんな強くもない先輩が呼ばれて、強い俺が呼ばれないんだよー。おかしい、ぜーったいおかしい」
いやでも耳に入ってくる馬鹿野郎の大きな独り言は、さらにヒートアップしていく。
「それにさー聞いてないよー。兄貴が作戦のトップ任されてるなんてさー」
(……兄貴が作戦のトップ……)
「しかも、ボス討伐終わったら軍を退任とか聞いてねーよ」
(……軍を退任……)
耳に入ってしまったその話が、ユナの中に嫌な予感を生み、胸をざわつかせる。
「その話、詳しく聞かせて」
「なになになにー? ついに俺様のとっておきのお話を聞きた」
「いいから早く話せ」
フランツのくだらない話を最後まで聞いているほど、余裕はない。
無詠唱で魔法陣から氷のダガーを一本出したユナは、半ば脅すような形で、フランツに詳しい話の続きを急かす。
「ヒッ……はっはい」
さすがのフランツもユナの放つオーラの凄まじさに恐れを抱く。
引きつった顔をしながら、フランツは再び話し始めた。
「なんでも、軍を辞める事は兄貴自身の希望だったらしいぞ。でも、軍も兄貴を手放したくないじゃん? だから、ボス討伐作戦をリーダーとして成功させることができたら辞めていいよーってなったらしい。俺も兄貴から直接聞いたわけじゃないから本当かはしーらないっ」
「なるほど……」
本当の事かどうか、この馬鹿フランツの話には信憑性が欠ける。
が、アーサーが退任を願い出る理由に関しては、ユナには心当たりが充分過ぎるほどあった。
「あのー。その話多分本当ですよ……」
さっきまで死にそうな目でひたすら報告書を書いていた他の同僚が、遠慮がちに会話に入って来た。
「詳しく聞かせて!」
「先輩が同じこと言ってました。それに、こうも言ってました。今回は冒険者と軍の共同作戦。元々別の組織である者達をまとめ上げるのは至難の技。トップで仕切るのにふさわしい人が誰か、と話し合っていた時、ちょうどアーサーさんが除隊を求めてきたって。アーサーさんは軍の現二番隊隊長だし、七聖人に選ばれている時点で力も申し分ない。しかも、元冒険者で冒険者達からも尊敬されている存在。これほどまでの適任はいないって話になったらしいですよ」
「つまり、今、アーサーは除隊を賭けて、ボス討伐に行っていると?」
「まーそういうことになりますね」
(そんな話聞いてないっ!)
頭の中に最後に見たフィンの姿が蘇る。
『ボスを討伐してくる』
そう言って帰ってこなかったフィン。
ユナの中に芽生えた嫌な予感が増幅していく。
背中に流れる汗を感じながら、最悪な予想と葛藤をする。
(あの人の実力はこの目で見たじゃないか。簡単にやられる様な人じゃない)
目をつぶり、首を左右に振りながら、心の中で自分に言い聞かせる。
アーサーは、ユナの孤児院を襲ったケルベロスよりもさらに大きな化け物を余裕で倒した。
それはつまり、ユナが出会った頃の当時のフィンよりも強いということ。
それに、今回は軍と冒険者達の共同作戦。アーサーだけではなく、他にも強い人がたくさんいるに違いない。
ここでふと、態度だけはでかいマウント先輩の顔が頭の中をよぎる。
(……あの口だけ先輩もやるときはやるはず……)
そう言いつつも、不安だけが募る。
「今頃、もう深層には到達していそうですよね」
「そうだなー。兄貴いいなー。俺も行きたかったなー」
「でも、剣王アーサーさんといえど、今日の為だけに寄せ集められた者達を上手くまとめられますかねー。僕が言うのもなんですが、冒険者は血の気が多い。なにもないといいけれど……」
顎に手を当てながら、同僚がそう言う。
ユナの心はもう限界だった。
「ダンッ!」
机を勢いよく叩き、ユナは椅子から立ち上がった。
机の上に積み上げていた報告書が崩れ、何枚かがひらひらと床に落ちていく。
ユナは床に落ちた報告書を拾うこともなく、事務所を飛び出した。




