黒猫の亡霊
ユナは真夜中のダンジョンに一人で足を踏み入れた。
顔にはマリアからもらった猫の仮面をつけ、服装も目立たぬ様に暗めの色で統一。装備もあえて置いてきた。
そう、ユナはここに『アイル・ロース』として来ている。
マリアに新しいライセンスをもらってから、ユナはギルドの依頼を何回かこなしていた。
そのうちに、重い装備はユナの身軽さを活かした行動の邪魔になるだけだと学び、今では装備無しが一番ベストだと考えている。
それに、ユナには治癒魔法がある。多少怪我をしても、致命傷にならない限りすぐに治せる。
普段の仕事では依頼されたポジションしかできないが、今はソロ。
戦いの最中、いくらでも治癒魔法を使い放題だ。
もはや、ホワイトリングでの仕事よりも、ソロ討伐の方がよっぽどユナをヒーラーとして成長させていた。
これ以上理不尽な扱いを受けるくらいなら、仕事を辞めた方がいいに決まっている。
「絶対辞めてやる……。絶対辞めてやる……」
ユナはそう唱えながら、握りしめてグシャグシャになってしまった、ギルドからのクエスト依頼書に目を落とす。
『下層十二階エリアのミノタウロス討伐。並びに、角と魔石の回収』
シワだらけの紙には、そう記してある。
基本的にダンジョンは上層、下層、深層と進むにつれ、難易度が上がっていく。
ユナがいるこのダンジョンには、上層が十五階、下層が十五階あり、そこから更に深層が続いていた。
つまり、今回の目的地である下層十二階は、深層ほど過酷ではないにしろ、そこそこ強い冒険者でも気を抜けば危険を強いられる。
そのくらいのレベルだった。
下層十二階エリアに難なく到達したユナは、ターゲットであるミノタウロスの気配を探す。
このダンジョンの下層十二階は、ゴツゴツとした岩肌に囲まれた広い空間がいくつか点在している。
その空間を狭い通路が繋ぎ、まるでアリの巣が横に広がっている様だ。
「……グォーー……ッ!」
通路を静かに歩いていると、魔獣らしき叫び声が空間に反響しながら聞こえてきた。
ユナはその声を頼りに、一気に通路を駆ける。
すると、前方の岩肌にポッカリとあいた大きな穴が見え始める。
「グオォーーーーッ!」
ユナは明確に聞こえ始めた雄叫びを聞きながら、躊躇わずその穴に飛び込んだ。
薄暗く広い空間に、光る二つの光。それが少し間隔を開けて三箇所に存在する。
ユナの目はその光の正体をしっかりと捉えていた。
鋭く尖った二つの角に、牛の様な顔。二本足で立つその姿は、大柄で筋肉が盛り上がっている。
紛れもなくユナが探していた獲物、ミノタウロスだ。
しかも、嬉しいことに三体もいる。
「グオォォォォォッ!」
ユナの存在に気づいたミノタウロス達が、一斉に雄叫びをあげた。
普通の冒険者なら気を引き締め、目の前の敵にのみ集中するところだ。
しかしユナの心は、目の前のミノタウロスにではなく、自分を取り巻く理不尽な環境に殺意を向けている。
「揃いも揃って私にストレスをかけやがって……」
今日のユナはとことんついていなかった。
朝は見たくもない無駄に整った顔にしつこく付き纏われた。
そのせいで、忘れた気になっていた過去の出来事をすっかり思い出してしまう。
こういう時、不運はとことん続くものである。
なんとかアーサーを引き離したユナは、出社してすぐにマウント先輩に捕まり、どうでもいい身の上話を無理やり聞かされた。
やっと解放され、溜まりに溜まった報告書の山を前に筆をとった所で、今度はあのバカ同期が現れる。
ウザ兄貴同様、しつこくまとわりついてくるバカを、なんとかねじ伏せ一息ついたユナだったが、そこに本日二度目となるマウント先輩の登場。
今すぐダンジョンに向かえと無茶振りを命令され、結局、さっきのさっきまで派遣先のパーティーで残業をしていたのだった。
ストレスの極限に達したユナは走って家に帰り、すぐに着替えを済ませ、元々受けていたクエストの紙と仮面を引っ掴み、気づいたら社宅を飛び出していた。
「仕事さえ辞めれればマウント先輩からもバカ同期からも解放される……。ソロでやっていける力があればパーティーなんかに入らなくても良い……。あのウザ剣王に待ち伏せされる事もなくなる。全ては金と力さえあれば済むんだっ!」
ユナは、ミノタウロス達に向かって一直線に走る。
「氷の短剣!」
両手に魔法陣を展開し、氷で形作られたダガーを出現させる。
地面を力強く蹴り高く舞い上がったユナは、ミノタウロス達の頭上を少し超えた辺りで体をひらりと回転させ、逆さまの状態で一体のミノタウロスに狙いを定めた。
ユナはダガーを構え、ミノタウロスの少し後方に向かって落下していく。
全ては一瞬の出来事である。
「しねぇぇぇぇっ!」
ミノタウロスがその気配に気付き、後ろを振り返る。
と同時にユナが、ダガーの刃先をその頭部に向けて振り下ろしていた。
ミノタウロスの頭、角の付け根にダガーの刃を振り下ろすが、頑丈な角は切れる事なく、周りの皮膚だけがスパッと切れるだけだった。
「ンガァァァァ! ブゥーン!」
慌てたミノタウロスが悲鳴を上げ、持っていた棍棒を振り回す。
「クソッ」
一旦攻撃を仕切り直そうと、ユナがその場を離れようとする。が、すぐそこまで棍棒が迫っていた。
いつもの様にさらっと攻撃をかわそうとするが、攻撃自体は避けられても、その攻撃から起こった風圧は避けることができない。
乱暴な風の衝撃を受け、咄嗟に受け身は取ったものの、体に衝撃が走る。
地面に叩きつけられる様に着地したユナは、足に痛みが走った。
「回復!」
そう唱えた途端、ユナの足が光に包まれ、先ほどまで感じていた痛みが嘘の様になくなる。
怪我をしたことにより、怒りのままに動いていたユナの頭は少し冷静に戻った。
(自分落ち着け。ここはダンジョン。下手したらこっちが死ぬんだっ!)
「グオォォォォッ! ドシッドシッドシッ」
そうしているうちに、今度はミノタウロス達が、地面を揺らし叫びながら走ってくる。
ユナが治癒魔法を解き、今度は片方の手をダガーを持ったまま、前にだし叫んだ。
「氷の拘束!」
すると、ミノタウロス達の首から下が一瞬で凍りつく。
ユナの得意魔法となった氷魔法は、ここ数日の副業の成果でより進化を遂げていた。
一瞬で身動きが急に取れなくなったミノタウロス達は、力任せに体を動かそうとする。が、凍りついた体はびくともしない。
力尽くで逃げようと、口から泡を吹きながらもがいている一体に狙いを定め、ユナは跳躍した。
あっという間に間合いを詰め、行動の自由を失ってあたふたしているミノタウロスの頭に剣先を向ける。
「水流纏い!」
ユナは硬い体のゴーレムを切断した魔法を、氷で作ったダガーの刃に纏わせる。
「私のぉー貯金のぉー糧となれぇ!」
そう叫んだユナが、またミノタウロスの硬い角の付け根を狙い、ダガーを振るった。
ダガーが纏った凄まじい水流の力で、見る見るうちにミノタウロスの硬い角が削られていく。
そして遂に、ユナの脚の長さ程はあろう立派な角が、頭から切り離され、地面に落ちていった。
切り口からは、大量の血が噴水のように吹き出し始める。
ユナがまず、この角を切り落としたのには訳がある。
今回ユナが受けたクエストの目的、その一つがこの角だ。
ミノタウロスの角は強度が高く、武器や装備の一部として重宝されている。
しかし、その入手難易度は高い。
なぜなら、ミノタウロスを含めた魔獣の体、その一部を効率よく残すには、生きている状態で切り離さなくてはいけないからだ。
魔獣の体は死ぬとすぐに消滅してしまい、魔石だけが残る。
稀に体の一部が残ることもあるが、それは運次第。
早く貯金を貯めたいユナにとっては手間がかかりすぎる話だ。
生きたまま角を切り取る。それが確実に角を手に入れられる方法である。
しかし当然の事ながら、その分難易度は高い。
普通にミノタウロスを倒すよりも難しいこの仕事を、ユナは一人でやってのける。
「ッギュオーーーー!」
ミノタウロスが痛みに耐えかね叫び出す。頭を振りながら叫ぶ為、吹き出る血が撒き散らされる。
そんな中、ユナは次々とミノタウロスの角を切り落としていく。
一瞬で三体分、計六本の角を切り離したユナは、辺り一面が血の海と化した地面に着地し、一旦息を整えた。
本来、魔法を複数展開しながら別の動きをすることは、かなり難易度が高い。
ユナは持ち前の器用さがある為、それを可能としているが、やはり集中力、魔力量的にも限界はある。
怒りのままに散々攻撃を繰り出してきたユナには、少なからず疲労が蓄積されてきていた。
ここからは自分との勝負。
「目的の角は取った……。もう生かす必要はない……」
ユナは顔に浴びた返り血を拭いながら、狂ったように叫び続けるミノタウロスに鋭い視線を向ける。
「あとは……殺すのみ……」
ユナの殺気に恐怖を感じ取ったミノタウロス達が、叫ぶのをピタッとやめる。
そして顎をガクガクと震えさせ始めた。
「お前らに恨みはないが……。魔石も貴重な副収入なんだよ!」
青色の瞳をかっと開き、そう言い放ったユナが一気に駆け出す。
地面を蹴り舞い上がった体をぐっと捻り回転をつけ、ミノタウロスの首に狙いを定める。
「私の為に死ねぇーーーー」
体を回転させながら、ダガーの斬撃を二回連発した。
抵抗もできないまま、硬い筋肉も骨も切断されたミノタウロスは、大量の血を吹き出しながら息絶えた。
派遣戦闘員としてのユナは、常に周りに気を利かせ、力を抑えて目立つ事を極力しない。
が、今はソロ。
もはや力を抑制する会社の規則も、足手まといな冒険者もここにはいない。
ユナは何も考えず、気持ちがいいくらいに次から次へと攻撃を繰り出す。
今のユナは完全にストレスフリーな状態となっていた。
あっという間に倒されてしまったミノタウロス三体の死体は、その後、眩しい光の粒となって消えていった。
そして、赤黒い光を放った魔石だけがその場に転がる。
ユナはその魔石を拾い上げ、掌に握り込む。そして真っ暗な天上を見上げた。
「ソロってなんて最高なの!」
「「ソロってなんて最高なの!」」
「「ソロってなんて最高なの!」」
静けさを取り戻した暗闇の広い空間に、ユナの声が反響し、やがて吸収されていった。
ユナの知らぬ所で、とある噂が流れ始める。
『装備を全く身に付けない全身真っ黒のソロ冒険者が、その顔を猫の仮面で隠し、真夜中のダンジョンに出現しては狂い踊るように次々と魔獣を殺していく』
装備を全く身に付けずソロでダンジョンに入るなど、普通の冒険者からしたらあり得ない話。
噂を耳にした冒険者達は、ダンジョンで死んだ冒険者の亡霊ではないかと推測し始めた。
後に、その噂は広まっていき、いつの間にか『黒猫の亡霊』という通り名を持つようになるのだった。




