アイル・ロース
それから数日が経過した。
ユナの前に再びアーサーが現れることはなく、今までと変わらない理不尽な日々がただ過ぎている。
回ってくる業務内容はギュムナシオンの件以降、ほぼ前衛アタッカーの仕事だけだった。
マウント先輩曰く、
『依頼してくるクライアントが命の仕事だ。噂の効果で仕事をもらえる間に、たくさん引き受けてコネを作っておけ!』
との事だったが、ユナからして見れば、単なる客寄せとして利用されているだけでしかなかった。
また、ギュムナシオン以降、ユナに負けたのが相当悔しかったのか、フランツがしつこく戦いを挑んでくる様になった。
それに関しては、正攻法で日頃の恨みを込めて無駄に整った顔をボッコボコにできるので、むしろ良かったりもする。いいストレス発散である。
しかし、それだけではストレス発散が追い付かなくなってきた。
そんなこんなで、毎日死んだ魚の目をしながら、ユナは黙々と受け持った仕事をこなしている。
ある日、ユナの元にマリアから手紙が届いた。
「マリアからの手紙……」
仕事が終わって自宅に戻っていたユナは、ベットに寝っ転がりながら、その手紙を読み始める。
しかし、疲れが酷いためか、なかなか文章が頭に入ってこない。
「えっと……。たの……頼まれ……頼まれていた……ラ……ライセンス……の件……」
ユナはそこでガバッと起き上がる。
アーサーの件と日々の仕事で心労がたまり、もはや脳の機能が低下していたユナは、その手紙を読むまですっかり偽名ライセンスの件を忘れていた。
「ライセンス! ソロ討伐! 副業!」
ユナは急いで外に出る支度をし、手紙を握りしめたまま家を飛び出した。
そして、酔っ払っていても帰り道がわかるほど通い詰めている飲み屋に、本能のまま向かうのだった。
店のドアを思いっきり開け放ったユナは、先客たちの視線も憚らず、キョロキョロとあたりを見回してマリアの姿を探した。
「ユナ! こっちこっち!」
声のした方を見ると、今日も可愛い親友がこちらに向かって手を振っていた。
ユナは足早にテーブル席の間をすり抜け、マリアの座っていた一番端にある席へと向かう。
「ごめん、待った?」
「私も今着いたところだから大丈夫だよ」
「よかったー」
ユナはそう言いながら、マリアの席の向かい側の椅子を引いて腰掛ける。
周りをキョロッと見渡し、腰を少しうかし口元を隠しながら、できるだけ声を潜めて話しかける。
「……マリア……ライセンス発行できたってホント?」
「……うん。思ったより手間取っちゃった」
そう言いながらマリアが箱をテーブルの上に置き、そーっとユナの前に押し出した。
「ゴクリッ」
ユナは思わずその箱を見ながら生唾を飲み込んだ。
これからユナは会社の契約に違反する。
罪悪感が芽生えるが、それ以上にワクワクとした興奮が止まらなかった。
「あっ……開けるね……」
ユナは店内にいる周りの客の視線を確認した後、そーっと箱の蓋を開けて行った。
箱の中には、見慣れた透明なカード。
しかし、刻印されている金色の文字がユナが持っている物とは違った。
「アイル・ロース……」
ライセンス取得者の名前が書いてある場所には、金色の字で確かにそう刻まれていた。
「ユナにピッタリの名前でしょ?」
「猫って……」
「ユナってジャンプ力すごいし、戦ってる時の動きも猫みたいにしなやかでしょ? それに、単純に可愛い」
「つまり、なんだかんだ可愛くてつけたのね」
「そう!」
自分にはこんな可愛い名前は似合わないと思いながら、目の前でニコニコしている親友の顔を見た。
本音を悪びれもなく言ってしまうマリアは今日も可愛い。
そんな彼女に文句を言える訳がない。
ユナはもう一度心の中で、今日から使う自分の裏の名前を読み上げる。
(アイル・ロース……。まー悪くないか)
「そのライセンス、ユナの実力に合わせて既に深層ライセンスになってるから、どんな依頼でもこなせるよ。それとね……」
(深層ライセンス! 一体どんなコネ使ったの……。ギルドナンバーワン受付嬢恐るべし……)
普通のことの様にさらっと深層ライセンスのことを口にしたマリア。
だが本来、深層ライセンスを取得するには、その冒険者がダンジョンの上層、下層全ての階をクリアしたと認定されなくてはならない。
しかも、認定に至るにはきちっとした段取りを通し、申請しなくてはいけないのだ。
もちろん、ユナの元々持っているライセンスは、キチッと申請した上で、深層ライセンスの認定を受けていた。
とてもありがたい話だが、自分のせいで親友が危険なことを犯しているのでは無いかと不安になる。
しかし、ユナが心配している一方、マリアは何やら鞄の中をゴソゴソとし始める。
そして、一つの袋を取り出し、ユナに差し出した。
「はいっこれ!」
マリアから手渡された袋は、思っていたよりも軽い。
(一体何が入っているんだろう……)
「中見ていい?」
「うん!」
ユナが袋を縛っていたリボンを解き、袋の中に手を突っ込む。
何やら硬い物が手に当たり、ユナはそれを掴んでゆっくり袋から出した。
出てきたものは、猫を形取った真っ黒い仮面だった。鼻までを覆えるタイプのもので、つけると口だけが顕になる。
(こっこれは……)
「やっぱり副業するにあたって、何よりも大切なことはバレないことでしょ? だから顔隠せる物ないかなーって思ってたら、ちょうどピッタリの仮面見つけちゃったの! どう? 可愛いでしょ?」
(いやー恥ずかしい……)
そう思いつつも、マリアが言っている事も一理あった。
副業をしていることはマリア以外には、誰にもバレてはいけないのだ。
夜、あまり他の冒険者がいない時を狙っていったとしても、遭遇する可能性はゼロじゃない。
ユナもその可能性には頭を抱えていた。
マントを被る事も考えたが、それではユナの持ち味である剣舞の動きに、支障をきたす可能性があった。
ユナは仮面をじっと見つめ考えるが、他に正体を隠すいい案は思いつかなかった。
(これしかないか……)
何よりも、今回ユナのために尽くしてくれたマリアの親切心を無碍にはできないと思った。
「マリア、何から何まで本当にありがとう!」
「どういたしまして。でも絶対無茶はしちゃダメだからね? 分かった?」
「分かってるよ」
マリアは言い聞かせるように、ユナに念を押す。
なんだか子供扱いされている様で、くすぐったい気持ちになった。
そして、改めてライセンスの入った箱に視線を戻す。
待ちに待っていた自由への切符を、ユナは嬉しさのあまり両手持ち、頬擦りをする。
(念願のライセンス。あー早く行きたい! 早く行きたい!)
そんなはやる気持ちを抑えていると、ふと思い出したかの様にマリアが言葉を発した。
「そういえば、今日ギルドにアーサーさんが訪ねてきたよ」
その言葉に、ユナの動作がピタッと止まる。
あまりのそのテンションの代わりように、マリアはユナの地雷を踏んでしまった事に気づいた様だった。
「いっいや、ユナのこと知りたいって言われたけど、特に何も言わなかったよ?」
「……あの野郎……他になんか言ってた?」
「今、ユナを自分のパーティーに誘ってる最中なんだよねって言われたから、そうなんですかーって答えただけだよ。誓って本当だから! 私仕事中だったし向こうもそれで帰っていったの」
(一体、どこまで本気で言っているのだろうか……)
付き纏われるユナ側からしたら、本気だろうが、ただの嫌がらせだろうが、どちらにせよ面倒な事に変わりはなかった。




