ヤバイ兄弟に関わりたくありません
ギュムナシオンの全貌を下からじっくり見上げながら、ユナは「ほえぇぇ」と感嘆の声を漏らした。
約五万人の観客を収容する事ができるその大きさは、ユナの想像を遥かに超えていた。
大きな楕円形の四階建て構造になっているようだが、その大きさゆえに視界に全てが収まらない。
石造りでできた柱や壁は迫力があり、外から見ただけでもその独特のオーラに身震いする程だ。
ギュムナシオンに近づくにつれ、その壮大さに小さなユナは圧倒され、鳥肌が止まらなくなる。
視界の先には内部へと続く入り口がいくつもあり、他の冒険者達が吸い込まれていくかの様に入っていく。
ゴクリと生唾を飲み込むと、少し迷いながらも意を決して一つの入り口へと歩みを進めた。
中に入ると、薄暗く広々とした空間が左右に続く様に伸びていた。
どうやら、どの入り口から入っても、まずはこの空間にたどり着くらしい。
音が反響しやすいのか、他の冒険者達が話す声や、身につけている鎧や剣の鞘が擦れる音などが、いつも以上に耳に入ってくる気がする。
目の前には上へと続く階段が左右にあり、どうやら観覧席へと続いているようだった。
階段に挟まれるように道が真っ直ぐに伸びており、その先に光が見える。
その明かりに引き寄せられる様に、ほとんどの冒険者達がゾロゾロとそちらに向かっているので、きっとこの道がメイン会場に続いているのだろう。
(こっち……ぽい……)
緊張しながらもその先の空間に誘われる様に、真っ直ぐ進んでいく。
数十メートルほど歩き、薄暗かった壁の中の空間を抜けると、明るい光がユナを襲った。
(まぶしぃ!)
思わず目の前に手をかざし、瞼をギュッと閉じてしまう。
徐々に瞼の力を抜きながら、空の様に青い瞳にだんだんと光が取り込まれ始める。
眩しさに慣れ、ユナが瞳を大きく覗かせると、目の前には見たことのない光景が広がっていた。
広い砂地の空間が続き、見渡すと端が緩やかなカーブを描いているのが分かる。
少し顔を見上げれば、多くの人を収容できるであろう観覧席が階段状に続いている。
さらに上方を見れば、吹き抜けとなっている天井には青々とした空に白い雲が漂っていて、太陽の光が燦々と降り注いでいた。
「これがギュムナシオン……」
初めてギュムナシオンに足を踏み入れるユナは、その光景に呆然と立ち尽くした。
全身の筋肉が熱を帯び、自然に何かをやってやろうという闘争心が込み上がってくる。
戦いの聖地たる空気感がそうさせていた。
額に汗がつーっと流れるのを感じながら苦笑いを浮かべる。
昔から来てみたかったギュムナシオン。
故郷からユナが今住む町に引っ越した際、いつかは行こうと思っていたがタイミングが合わず。
まさか、こんな形で訪れる事になるとは思いもしなかった。
(仕事じゃなければねぇ……)
ユナはそう思わずにはいられなかった。
できればプライベートでゆっくりとこの光景を拝みたかったものだ。
『あそこはな、空気が違うんだ。行けばわかる。いつか連れて行ってやるよ』
あの人の声がユナの頭の中にふと蘇り、忘れ去ったはずの過去の一部が脳内に再生されていく。
この前思い出した時は苦しくて辛かった思い出の一部。
だが今、ユナの心は不思議と落ち着き払っていた。
ユナがギュムナシオンに到着して程なく、参加者は全員会場中央に集められた。
思っていたよりもずっと人数が多い。
ざっと見回して数千人近くいるのではないかとユナは思った。
この講習会は定期的に開催されているようだが、マウント先輩に言われるまで存在を全く知らなかった。
まぁ、ヒーラーのユナには本来全く関係のない講習会なので当然の話である。
ここに来るまでは参加者は居てもせいぜい五百人ぐらいだと思っていたが、現実はその予想を遥かに超えている。
元々参加者が多いのか、それとも剣王アーサーの存在がそうさせているのか。
しかし、参加者が多いのはユナにとって好都合だ。
(これで隠れやすい……)
ただでさえ参加者が多く、さらに剣技の講習会と言うこともあり、体格のいい男性が多い。
平均女性よりも少し小柄なユナは、自然と集団の中で埋もれがちになっていた。
あまりいない女性剣士が物珍しいようで、チラチラと視線を感じはするものの、参加者達はこれから現れるであろう剣王アーサーの方がよっぽど気になる様子。
周りから聞こえる話し声はもっぱら剣王アーサーについての話題ばかりだった。
目立たず、フランツにも見つからず、この任務を達成する事のみを考えているユナにとっては最高の状況である。
ふと、ざわめいていた空気に緊張が走る。
先ほどまで各々騒いでいた参加者達が、皆一様に口を閉じ始め、同じ方向に顔を向け始めた。
その視線の先をユナも辿ると、人混みの間から軍服を着た兵士が観客席最前列に立っている事が確認出来た。
「えー皆さんお待たせしました。これより、イレーネリア国、国営軍アスピーダ主催、第五十回剣技講習会を始めます」
そう言った兵士は両手で紙様なものを持ち、視線をやや下げながら司会進行し始める。
「今回は前回までの参加人数を遥かに上回り、二千四百五名となりました。皆さんが今日の講習会を通し、剣士として何か成長できることを、国営軍アスピーダ一同、心から願っています。そして、今回は国営軍アスピーダ第二部隊隊長アーサー・マーティンを特別講師とさせていただきます。では早速、アーサー隊長お願いします」
進行役の兵士が言い終わると同時に、颯爽と現れたのはすらっとした男だった。
金色に輝く髪。
辛うじて見える緋色の瞳。
離れている為よく見えないが、その歩く様は凄まじいオーラを放っていた。
「紹介に預かりました、アーサー・マーティンです。今日は一緒に頑張りましょう」
後ろの方にいるユナにも、その声はしっかりと届いた。
想像していたよりも柔らかく優しい声質に少し驚く。
フランツの兄というイメージが強く、てっきり筋肉バカみたいな人かと思っていた。
(なーんだ。身構えていたのが馬鹿みたい)
剣王アーサーが指導すると聞いて、てっきりしごかれまくると思っていたので、ユナはほっとした。
声も立ち振る舞いにもフランツの様な暑っ苦しさは一切感じず、むしろ爽やかと言っていい。
似ているところは綺麗なブロンドヘアと無駄に整った顔という、恵まれた外見ぐらいだろうか。
規格外に脳筋バカであるフランツに比べて、兄である剣王アーサーは至って常識人に見えた。
が、それはここまでの話である。
「自己紹介といきたいところですが、嬉しい事に僕の事は皆さんご存知のようなので割愛します。時間がもったいないからね。早速訓練メニューをしていきましょう。まずはウォーミングアップに、重りをつけた剣で素振り千回」
ニッコリと微笑みながら優しい声で放ったその言葉は、この場にいる人達の背筋を凍らせるのに充分な威力だった。
(……前言撤回。やっぱりフランツの兄やばい人だ……)
やはり、弟が弟なら、兄は兄であった。
挨拶も早々に終わると、各冒険者に刃先に重りの付いたロングソードが割り振られた。
見たところどれも全く同じものだ。
女性のユナにも容赦ない。
「まず私がやるので、真似してほしい。では始めようか」
観客席にいたアーサーは、いつの間にかメイン会場に降りてきていた。
アーサーは参加者達と全く同じ剣を持ち、ギュムナシオンの中心に立つ。
参加者達はその周りを取り囲む様に、少し間隔を開けて立っていた。
さすがはギュムナシオン。
これだけの人数が集まっても、剣を振る為の間隔は充分に確保できていた。
アーサーは片手に持った剣を軽々と頭上に持ち上げ、剣先を空の方へと向けた。
そして、前に一歩踏み込むと同時に剣先を上から自身の前方に下ろした。
「シュゥゥンッ!」
風を切る音が響き渡る。
その音があまりにも美しく、スパッと空間を切っているイメージが湧いてくる。
たったそれだけの動作で、洗礼されていることがよく分かった。
一太刀の威力が凄まじく、見ていた者達があんぐりと口を開けている。
ガッチリした体格ではないのに、何処からあんなパワーが出てくるのだろうか。
会場中が息を飲んで見ている中、今度は後ろに足を一歩引き、また剣を振り下ろした。
(なんて迫力。これが剣王と呼ばれる男……)
思わずユナは自分の手にしていた剣の柄を握りしめる。
「俺も負けねぇーっ! おりゃぁぁぁぁー!」
会場時中がアーサーの太刀で静まり返る中、何処からか馬鹿みたいな声が響いてきた。
「ブゥゥンッ!」
剣が振り下ろされる音がもう一つ増えた。
その音はまるで空気を乱暴に殴っているかのような音だった。
ユナはその声と剣の音がよく知った人物であるとすぐに思い立つ。
(あんのバカは……)
どうやら、フランツも無事に参加できたらしい。
不参加になれば良いと淡い期待を持っていたユナは、ガックシと肩を落とした。
しかし、ユナもこうしてぼーっとしている訳にもいかない。
周りの冒険者達も同じ思いらしく、気付けばバカ兄弟に続いて次々と剣を降り始める。
ユナも仕方なく剣を持ち構える。
そして剣を振り下ろし始めた。
やっているうちに、この単純な訓練の難しさが分かってくる。
当然の話だが、剣は重りのついている刃先の方が重い。
アーサーは剣を上からピッタリ自分の前方で止めている。
が、ユナを含め多くの人は重さや疲れに耐えかね、どうしても刃先を前方よりも下に振り切ってしまう。
そのズレが次の動作に響き、足のタイミングと腕の動きがこんがらがってくるのだ。
(単純なのに、なんて難しいのっ……)
ユナは心の中でそう思いながら必死に食らいつく。
「いいかい、無駄に入っている力は抜くんだ。そうすれば自ずと体が楽になる。重心の位置もブレる事が少なくなればなるほど、動きがより軽くなる」
涼しげな顔で剣を降り続けるアーサーがそう言い放つ。
ユナは頭の中で考えた。
(無駄な力を抜く……)
目を瞑って、自分の体の動きに集中した。
無駄に入った肩の力、剣を振り下ろす時の腕の力、重心の位置。
ユナはアーサーのアドバイス通りに自分の動作を確認し始めた。
器用なユナにとってそれはいつもやっている事であり、すぐに体が理解し適応し始める。
(なんか分かったかも!)
体が安定して、余計な力がなくなり、ユナの体にしっくりとくる。
それから、ユナ達はアーサーの考えた過酷なメニューをこなしていった。
途中脱落して休んでいた者もいたが、ユナは持ち前の負けず嫌いな性格で何とか耐え抜く。
その間、フランツにも見つかる事なく、うまーく講習をやり切ったユナは、疲れも相待って少し気が緩んでいくのだった。




