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食いしん坊スライムはダンジョン最深部を目指す  作者: バナナ


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毒を食べる瘴牙の幼体

四時間、濡れた岩のくぼみで身を丸めた。


水分を含んだ体へ、減っていた魔力が少しずつ戻ってくる。乾いた表皮もようやく柔らかくなった。けれど休息を終えた瞬間、半径を縮めた警報網が一本だけ震えた。


一方向。旧巣の外縁からだ。


「来た」


俺が告げると、十二個の卵を守るネフィラは触角を伏せた。返事より先に、毒を含んだ熱気が洞を舐める。水滴が白く濁り、石床すれすれに緑灰色の霧が這った。


現れたのは、昨夜追い払った幼体より二回り大きい瘴牙だった。節の間は赤く、牙から落ちる雫は岩を泡立たせる。成体ではない。それでも、熱と毒を同時にまとった相手へ、いつもの水刃を撃ち込むのは危険だった。


俺は警報糸を一度だけ弾き、曲射の角度を決めた。壁へ当てた水刃が弧を描き、瘴牙の横腹へ向かう。


命中する寸前、敵の表面が膨らんだ。


水刃は赤い膜に触れ、白い蒸気へ変わった。刃の芯まで届かない。熱膜だ。


「もう一度は撃つな」


ネフィラの声は短い。命令ではなく、卵を守る者の判断だった。


俺も同意した。攻撃が効かなかったからこそ、同じ失敗を重ねる意味はない。水刃を構え直すふりをしながら、体の一部を床へ薄く広げる。流れ読みで、霧と熱の動きを拾った。


瘴牙は毒霧を吐くたびに腹を膨らませる。吐き終えた直後、旧巣の下層から上がる熱流へ口器を差し込み、その熱を体の中心へ吸い込んでいた。熱膜は自前の力だけで維持されているわけではない。下の熱を食べている。


ならば熱流を断てばいい。そう考えた直後、俺は自分の考えを捨てた。今の警報網は一方向、しかも半径は半分。下層へ回り込めば、卵の側が見えなくなる。敵の正体を確かめるために十二個を危険へ置くのは、観察ではなく賭けだ。


俺は卵域へ続く細道を水膜で塞いだ。完全な壁ではない。毒霧を数秒遅らせるだけの薄い蓋だ。その数秒で、ネフィラが卵の前へ体を寄せた。


瘴牙が霧を吐く。熱に煽られた毒は一度浮き、天井で冷えてから降りてきた。


俺は天井へ細い水滴を散らした。冷えた粒が毒を抱え、重くなって床へ沈む。毒が消えたわけではない。高さを変えただけだ。だが卵の殻へ届く量は減った。


敵は毒を吸い戻し、さらに膨らんだ。薄い甲殻の下で黒い筋が脈打つ。毒を食べて大きくなる。題名どおりなら便利な能力に見えるが、俺の体で試す気にはならない。鑑定にも新しい技能の表示は出なかった。


俺はすぐ退かず、瘴牙と卵域の間に浅い水路を一本だけ作った。敵が毒霧を吐くたび、水面に緑の斑点が増える。斑点は流れず、熱の強い側へ寄った。毒そのものが熱を求めているのか、瘴牙が吸い戻すために動かしているのかは分からない。


確かめるため、囮水流を卵域と反対の壁へ走らせた。瘴牙の触角は水音へ向いたが、脚は熱流の上から離れない。音には反応する。けれど熱源を捨ててまでは追わない。俺は床へ短い線を二本刻んだ。誘導できる距離と、守りから外せない位置。戦えるかどうかより先に、動かせる範囲が分かった。


ネフィラが後脚で卵の列を押し、熱気の届かない岩陰へ一つずつ寄せた。十二個は同じ大きさではない。殻の薄いものは熱へ近づくと内側の動きが止まり、厚いものは低い音で二度震える。俺は卵へ触れず、床を伝う振動だけを水中感知で数えた。


「右端の一個、動きが弱い」


「触るな」


ネフィラは自分で殻を持ち上げ、冷えた砂を下へ敷いた。俺が正しく観測しても、卵を扱う権利まで得るわけではない。彼女が位置を変えた後、弱かった振動は三回へ戻った。治したのではない。悪化を遅らせただけだ。


瘴牙の二度目の霧は、最初より低かった。天井へ水滴を散らすだけでは全部を抱えられない。俺は右側の体を床溝へ流し、毒を含んだ結露だけを遠隔水流罠の受け皿へ引いた。緑灰色の液が溜まり、石を泡立たせる。胃袋へ入れれば鑑定できるかもしれないが、今は飲用水も、毒だけを隔離できる器もない。未知の毒を体内へ入れる案を捨てた。


「毒を食べるのは、あいつだけでいい」


ネフィラは返事をしなかったが、牙を一度鳴らした。受け皿は敵が吸い戻せない岩の割れ目へ押し込む。処分場所を誤れば、退路そのものが毒溜まりになる。帰る時に踏まないよう、水線へ三つの節を作って印にした。


俺は水刃曲射をもう一度使う代わりに、細い水滴を熱膜の上へ落とした。滴は蒸発するまで一呼吸。二滴目は半呼吸。瘴牙が下層の熱を吸った直後だけ、一呼吸半まで伸びる。吸収の直後、膜が厚くなるのではない。いったん体内へ熱を送るため、表面の供給が薄くなる瞬間がある。


攻撃の窓は見つかった。だが一呼吸半で甲殻を割る火力はない。失敗すれば蒸気が卵へ押し寄せる。俺は窓の位置だけを覚え、試さなかった。使える発見と、今使ってよい発見は違う。


外縁の警報糸がもう一度震えた。一体分の重さではない。最初の瘴牙が熱流の上で腹を膨らませる間、奥の岩壁から異なる間隔の擦過音が返る。長い音、短い音、長い音。少なくとももう一体いる。俺の半径を半分にした警報網では、姿も大きさも分からなかった。


俺は退路へ残した魔力を数えた。防水膜を重ねる余裕、水流滑走を一度使う余裕、卵域の薄い蓋を維持する余裕。全部を攻撃へ回せば瘴牙へ届くかもしれない。その代わり、ネフィラと十二個が戻れない。計算は迷うほど複雑ではなかった。


瘴牙が腹を膨らませるたび、右側の毒溜まりも小さく脈打った。毒霧と熱膜は別の器官ではなく、体内の循環で繋がっているらしい。俺は深層感知を床へだけ伸ばし、下層熱流の太さを測った。熱は一本ではない。細い三本が瘴牙の足元で合流している。一本を断っても残り二本が補う。流路切断を試すなら同時でなければならない。


だが同時に三本を切る魔力と位置情報はない。見えていない流路へ力を入れれば、卵域の下を通る温水まで止める恐れがある。卵の冷却を守るために、卵の温度を急変させる失敗になる。俺は流路図へ未確認の印を付け、切断案を保留した。


ネフィラは退路の最初の狭窄へ糸を二重に張った。瘴牙を捕らえる罠ではなく、卵を運ぶ時の手すりだ。俺の水膜が途切れても、運び手が壁へぶつからず進める。彼女は巣を守る牙だけでなく、出るための道を自分の方法で作っていた。


毒へ触れた右側を小さく切り離す案も考えた。スライムの体なら外膜の一部を捨てられる。しかし毒が魔力の流れへ入っていれば、切り離した後も鈍りが残る。解毒剤を使う前に自己処置を試して悪化させるより、症状の範囲をネフィラへ伝え、彼女が一個を使う判断をできる状態を保つ方がよかった。


退路へ入る前、俺は毒溜まりの位置をネフィラへ指し示した。彼女は同じ場所へ糸の結び目を作る。俺の水線が蒸発しても、卵を運ぶ者が踏まないための印だ。観察結果を自分だけの記憶へ置かず、相手が使える形へ渡してから移動を始めた。


ネフィラが退路の結び目を確かめる間、俺は結露の受け皿をもう一段低い穴へ移した。毒液が熱で再浮上しても卵域へ戻らない位置だ。移動後、水滴を一つ落として流向を確認し、緑の液が旧巣側へ沈むのを二人で見届けた。撤退は敵へ背を向ける瞬間ではなく、残した危険が追ってこない形まで整える作業だった。


「下がるぞ」


俺はネフィラへ退路を示した。


「追わないのか」


「倒す材料がない。熱膜を破れないまま毒を受け続ければ、先にこっちが尽きる」


ネフィラは卵を見た。悔しさで牙を鳴らしたが、否定はしなかった。


瘴牙が突進してくる。俺は旧巣の石柱へ水流を当て、蒸気を一気に広げた。視界が白く閉じる。その隙に、ネフィラとともに卵域の手前まで退く。


だが、毒はすでに俺の外膜へ触れていた。右側の感覚が鈍り、魔力の流れがざらつく。防水膜を重ねても、毒そのものを止めることはできない。


ネフィラが小さな黒い実を差し出した。彼女が持つ解毒剤は三つ。その一つだ。


「使え」


「これはお前たちの物だ」


「今倒れられる方が損だ。残り二つをどう使うかは、私が決める」


条件付きの停戦相手からの貸与だ。恩でも服従の証でもない。俺は確認してから実を胃袋へ入れた。苦味が全身へ広がり、鈍さがゆっくり薄れる。


白い蒸気の向こうで、瘴牙が吠えた。追撃はない。熱源から離れたくないらしい。


俺たちはさらに距離を取り、冷えた横穴で止まった。俺は見たことを石床へ水線で描く。熱膜。下層からの供給。毒を抱えて沈む結露。こちらに必要なのは、熱へ耐える素材だった。


「旧巣の西に、焼けても崩れない黒石がある」


ネフィラが言う。


「取りに行けるか」


「卵を置いては行けない。お前が取るなら、場所だけ教える」


同行するとは言わない。俺も求めなかった。互いの目的が重なる範囲だけ情報を交換する。それが今の関係だ。


俺は黒石の位置を覚え、警報糸を張り直した。瘴牙を倒せなかった。それでも、毒と熱の仕組みを持ち帰り、全員が生きて退いた。その判断が経験として体へ沈む。


輪郭が一回り強くなる。水の感覚も広がった。


レベルが上がった。


けれど喜ぶ暇はない。毒霧を沈められても、熱膜は一枚も破れていない。しかも黒石を取りに行く間、十二個の卵はここへ残る。


遠くで、瘴牙がもう一度吠えた。


今度の響きには、別の足音が混じっていた。


挿絵(By みてみん)

【主人公鑑定】

対象:グルト

種族:クラフトスライム・第一進化種

個体ランク:A

レベル:Lv.22

HP:396/396(ランク:B)

魔力:696/696(ランク:A)

攻撃:128(ランク:C)

防御:58(ランク:D)

速度:223(ランク:C)

技能:鑑定(スキルランク:F/Lv.2)

技能:無限胃袋(スキルランク:D/Lv.1、胃袋検索G/Lv.1を包含)

技能:水刃(スキルランク:G/Lv.3、水刃曲射G/Lv.1を包含)

技能:水中感知(スキルランク:F/Lv.2、流れ読みG/Lv.3・深層感知F/Lv.2・飢餓感知F/Lv.1を包含)

技能:防水膜(スキルランク:G/Lv.3)

技能:水圧制御(スキルランク:G/Lv.3、囮水流G/Lv.1・偽装流G/Lv.1・遠隔水流罠G/Lv.2・流路切断G/Lv.1・水流滑走G/Lv.1を包含)

技能:魔材クラフト(スキルランク:G/Lv.3、魔力構造G/Lv.1・魔力刻印G/Lv.2・骨縫いG/Lv.1を包含)

技能:気配遮断(スキルランク:G/Lv.2)

状態:進化ポイント21。食料0.5、携帯水0、星材1。ネフィラ所有の解毒剤は残り2。四時間の湿潤休息で全快し、毒と熱を持つ瘴牙の幼体を観察。結露で毒霧を沈めて撤退したが、熱膜は未突破

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