第54話 曲がる水刃
大きな刃ほど強い。
そう思っていた。
水を集め、圧を上げ、速く撃つ。硬い敵にはもっと水を、もっと魔力を。実際、それで倒した敵もいる。
けれどアストラ・ゴーレムは、大きな一撃ほど早く読む。
俺の前に浮かぶ水刃は、これまでの半分より小さい。薄く、短く、正面から当てても背面核どころか外殻へ傷をつけられるか怪しい。
ゴーレムの天球儀がゆっくり回った。
床には二つの水膜。右足跡へ残った第一水膜と、砕けた八本目が背面へ散らした第二水膜。第一は刃を上へ、第二は下から内側へ返す角度を持つ。
俺はレベル十九。HP三百四十八、魔力六百十二。攻撃百十三、防御五十二、速度二百二。
満ちたばかりの魔力を全部撃ち込みたくなる。
「最大まで溜めたら、あいつはどこへ動く?」
セレネが星図棚の上から天球儀を読む。
「右へ二歩。左腕で第一水膜を潰し、背面を壁へ寄せます」
「やっぱり読んでる」
「あなたも守護者の予測を読んでいます」
「嫌な相思相愛だな」
俺は水刃を一度大きく見せた。
ゴーレムが右足へ力を入れる。セレネの言ったとおりだ。
そのまま撃てば、第一水膜が消される。
だから圧を抜いた。
刃が小さくなる。
天球儀の星が乱れた。
守護者は右へ動きかけ、止まる。最大水刃の未来が消えたため、次の姿勢を選び直している。
「今!」
小水刃を第一水膜へ撃つ。
正面の核へは向けない。床へ斜めに落とす。
刃が水膜へ入り、上へ曲がった。
ゴーレムは左腕を上げる。曲がった先を盾で防ぐつもりだ。
そこも予測どおり。
第一水膜を出た刃は、盾へ届く前に第二水膜へ触れた。
水面が凹む。
角度がもう一度変わる。
上へ向かっていた刃が、盾の下をくぐって背面へ回る。
「二回目!」
青い線が旋回軸の内側へ入った。
だが、浅い。
刃の先が赤白い核光を掠め、火花を散らすだけで抜けた。
「当たったのに止まらない!」
「威力が不足しています!」
「分かってる!」
核を掠めた水刃の感触を、流れ読みで追い直す。
一度目の反射で刃の外側が削れ、二度目でさらに細くなっていた。曲げるたびに水が反射面へ残り、速さも威力も落ちる。自由に曲げられる便利な刃ではない。道を変える代わりに、正面から押し切る力を支払っている。
「二回曲げたら、威力は半分以下」
「なら、一度目を浅くしてください」
「浅くしたら盾の下へ入らない」
「二度目を深く」
「床の水が足りない」
答えを言い合うほど、条件が狭くなる。
一度目は盾を避ける最小角。二度目は核へ入る最大角。そのためには、第一水膜を広く薄くし、第二水膜を小さく厚くする必要がある。
俺は残った水を二つへ分けた。量を同じにしない。第一へ三、第二へ一。試しに水滴を転がすと、一面目ではゆるく、二面目では急に向きが変わる。
「これなら」
ゴーレムの天球儀が水滴の軌道を読む。敵にも試験が見えている。
「見せて大丈夫ですか」
「同じ場所では撃たない。比率だけ覚える」
水膜をすぐ崩し、別の亀裂へ作り直す。守護者が読んだのは古い位置。俺が残すのは水量の手順だけだ。
三対一。
大きな刃一つではなく、弱い刃を曲げるための配分。その数字を核の周りへ刻む。
「強くなったのに、使う水は減らすんだな」
「増えた魔力を精度へ使うのでしょう」
セレネの言葉に、少しだけ胸が張った。
最大値が増えたから最大攻撃を撃つ。それだけでは、昨日までと同じだ。増えた余裕で失敗を測り、次の一射の条件を細くできる。
ゴーレムが反転する。背面核を壁へ隠し、星図棚の方へ踏み込んだ。
一歩で床が割れる。
二歩目の先には、持ち出せない中核星図がある。
「棚を踏む気だ!」
セレネは棚と敵の間へ立たなかった。立てば一撃で潰される。代わりに弓を天井へ向け、吊り下げられた軌道輪を射た。
輪が落ち、ゴーレムの肩へ当たる。
傷にはならない。それでも星図棚へ向いた視線が一拍ずれた。
「次の刃を!」
「水膜が崩れた!」
二度曲げた反動で、第一水膜は薄く散り、第二も床の亀裂へ流れている。同じ道はもう使えない。
俺は床へ体を押しつけた。水中感知で、散った水の行先を探す。
一本目の刃は消えていない。
核を掠めたあと壁へ当たり、細かな飛沫になってゴーレムの背後へ落ちている。
失敗した刃が、また次の鏡を作った。
「セレネ、あの飛沫の位置!」
「背面左、床から二メートル。ですが面になっていません」
「俺が面にする!」
水圧制御を伸ばす。遠い。床の水なら流路がつながるが、背面の飛沫は壁の凹凸へ散っている。一粒ずつを無理に集めれば、魔力が先に尽きる。
全部は集めない。
中心の三粒だけをつなぐ。
小さな三角の水膜ができた。
ゴーレムの二歩目が落ちる。
星図棚の外枠が砕け、古い星片が床へ散る。中心記録まではまだ届かない。次の一歩で潰れる。
「大きい刃じゃ間に合わない」
俺は二本目を作った。
さらに小さい。針のような水刃。
水圧を芯だけへ集める。直線威力は低いが、形を崩さず曲面へ入れる。
ゴーレムは天球儀を俺へ向けた。
小さすぎて未来が読みづらいらしい。星が一つではなく、第一水膜の残り、床の亀裂、背面の三角膜へ順に灯る。
「選べてない」
守護者が迷っている。
俺は正面へ撃つふりをして、床の亀裂へ落とした。
亀裂を流れる水が一度目の角度を作る。刃は右へ曲がり、ゴーレムの足の外側を通る。
敵は右腕を下げた。
二度目の反射面は、背面に作った三角膜。
届く直前、ゴーレムが左肩を壁へ寄せる。三角膜ごと潰す動きだ。
「そこも読んだか!」
俺は三角膜を守らなかった。
水膜を壁から剥がす。
面が一呼吸だけ前へ落ちる。
固定された鏡ではない。落ちる鏡だ。
水刃が空中の膜へ入り、予測より低い角度へ変わった。
左肩の下、旋回軸の内側。
背面核へ突き刺さる。
赤白い光が大きく揺れた。
ゴーレムの三歩目が止まる。
「入った!」
まだ停止していない。核の外層が割れただけだ。
俺は刃を太くするのではなく、刺さった細い水へ次の水を送った。流路切断とは逆に、一本の道だけを維持する。床、亀裂、落ちる膜、核。曲がった流路へ魔力を押し込む。
ゴーレムが振り返る。
右拳が俺へ来る。
避ければ流路が切れる。
受ければ核まで潰される。
「グルト、切って!」
セレネの声。
彼女は俺の攻撃を止めろと言っているのではない。拳と肩をつなぐ命令線を指している。
俺は核への水を維持したまま、流路切断を一筋だけ分けた。
拳へ伸びる赤白い線が切れる。
巨腕が俺の直前で落ち、床を擦った。
そのぶん魔力が一気に減る。六百十二から、残り四十二。
それでも核へ送った水は止めない。
細い刃が内側で開いた。
赤白い光が消える。
アストラ・ゴーレムの全身から力が抜けた。
巨体が星図棚へ傾く。
「倒れる方向!」
俺は残りの魔力で床の水を右側へ集めた。持ち上げられない。滑らせるだけだ。
セレネも弓の端を倒れかけた肩へ差し込み、梃子にする。
「弓が壊れる!」
「星図よりは直せます!」
俺たちは巨体を押し返せない。足元の摩擦を片側だけ減らし、倒れる線を水路側の空き床へ逸らす。
ゴーレムが落ちた。
観測室全体が跳ねる。
星図棚の外枠が揺れたが、中心記録は残った。
静かになった。
天球儀の星も、拳の命令光も消えている。
俺はしばらく動けなかった。魔力四十二。食料ゼロ。勝った実感より、次の一撃が来ないことを確かめる方が先だった。
セレネが倒れた巨体へ矢を向けたまま、一歩ずつ近づく。
「停止を確認。再起動光なし」
「本当に?」
「観測上は」
「その言い方、まだ怖い!」
背面核の割れ目から、小さな核片が一つ転がった。食料になる匂いがする。空腹で体が勝手に前へ出そうになる。
俺は止まった。
先にセレネを見る。
「これ、食べていい?」
「守護者の停止核から分離した余剰片です。中核星図の部品ではありません」
「許可が長い。でも、ありがとう」
核片を食料区画へ収納する。すぐには食べない。何が混じっているか、戦闘後に分ける。
巨体の周囲には星材が三つ残った。こちらも星図棚の破片ではなく、守護者の外殻から剥がれたものだけを選ぶ。
セレネの観測鏡片を一時保護区画から出した。
縁に小さな傷はあるが、割れていない。
「返す。一射って約束は、壊れた曲面鏡で使った。最後の二回は床の水だけ」
彼女は鏡片を光へ透かし、傷を確かめた。
「返却を確認しました」
「怒ってる?」
「傷は増えました」
「ごめん」
「ですが、星図棚は残りました」
彼女は鏡片を袋へ戻す。
「収支は、後で一緒に数えます」
胸の奥に、新しい技能の感触が沈んだ。
水刃曲射。ランクG、レベル一。
反射面か水膜が必要。直線より威力が落ちる。自由に曲げられるわけではない。準備した角度を二度まで通した結果が、技能として定着しただけだ。
便利だ。
そして、場所を選ぶ。
どこでも勝てる力ではない。
それでも、未来を読んだ敵の背中へ届いた。
俺は倒れたゴーレムと、残った星図を見上げた。
長い連敗のあとで、ようやく一つ、先へ進む道ができた。




