第53話 読ませる罠
観測室へ戻ると、アストラ・ゴーレムは俺たちより先に待っていた。
工房跡から外周溝を抜けたはずなのに、守護者は中央の星図棚と入口の間へ立ち、天球儀をこちらへ向けている。背面外殻は割れたまま。赤白い旋回軸が露出しているのに、その周囲へ左腕の盾を回し、後ろからの射線まで塞いでいた。
「学習が早すぎる!」
「私たちが工房で二度反射を試したことも観測されています」
「見てたの!?」
天球儀の星が二つ点滅した。工房の壁に残った水刃の跡と、俺たちの帰路。その両方から次の攻撃を計算したらしい。
俺は胃袋の入口に固定した曲面鏡を確かめる。
一回分。セレネの観測鏡片は返却条件付き。濁り骨はひび割れ、星屑砂はほぼない。
HP二百八十五。魔力百五十七。食料ゼロ。
撃てる回数は多くない。
それでも、まず前回を再現した。
一本目を正面へ。
ゴーレムは動かない。水刃は胸の手前で左腕に弾かれた。
二本目を床へ。
動かない。
三本目を右壁へ。四本目を重く。五本目を天井へ。六本目を浅い反射へ。
守護者は全部を無視した。
前は七本の外れ方から姿勢を固定した。今は、八本目が本命だと知っている。外れ弾へ反応しなければ、俺が魔力を減らすだけだ。
「これ、読まれてるというより、待たれてる!」
「同じ七本では足りません」
「思い描いたとおりに動いてくれない敵って嫌い!」
「何の票ですか」
「今のは忘れて!」
七本目を床すれすれへ撃つ。ゴーレムの足元へ細い水が残ったが、敵は一歩も動かない。
俺は曲面鏡を出した。
天球儀が回る。
やっと反応した。
「八本目!」
細い刃を鏡へ当てる。曲面が一呼吸だけ形を保ち、射線を背後へ送った。
ゴーレムは振り向かなかった。
左腕だけを背面へ回す。
水刃が盾へ当たり、二つに砕けた。青い飛沫が旋回軸の左右へ散る。核へ届かない。
しかも盾の縁が曲面鏡へぶつかった。
濁り骨が割れ、水膜が崩れる。セレネの鏡片は床へ跳ねた。
「返す物!」
俺は攻撃より先に鏡片へ滑った。ゴーレムの右拳が落ちる。鏡片を体内へ取り込み、所有棚ではなく一時保護区画へ押し込んだ直後、拳圧が背を撫でた。
床へ押し潰されるほどではない。それでも外膜が震え、核の位置が一瞬ずれた。
「グルト、左へ!」
セレネの矢が右床へ刺さる。矢を避けるように左へ滑ると、さっき立っていた場所へ天球儀の星光が落ちた。
「助かった!」
「次はありません。守護者は私の誘導も記録しました」
実際、二射目の矢を放つ前にゴーレムは左床へ光を置いた。セレネが次に指す場所を先回りしている。
俺たちは同じ手を二度使えない。
曲面鏡も壊れた。
なのに、床には水が残っている。
一本目から七本目までの外れ弾。八本目が盾へ砕かれた飛沫。どれも攻撃としては失敗だ。俺の魔力を使い、敵へ傷をつけなかった。
水中感知を広げる。
床の窪みごとに薄い水膜がある。右足の前、左腕の後ろ、星図棚へ続く溝。守護者が動かなかったから、踏まれずに残っている。
前回、失敗の順番を体へ刻んだ。
今回は、失敗した場所がそのまま残っている。
「鏡は一枚じゃない」
「もう鏡はありません」
「ある。床に」
セレネが下を見る。
「水膜は形を保てません」
「保たせない。踏ませる」
正面へもう一つ水刃を作るふりをした。実際には刃を薄くし、威力を捨てている。ゴーレムは反応しない。八本目を待っているからだ。
俺は撃たず、体を右へ大きく膨らませた。
左へ逃げる前の予備動作に見える。
天球儀が左床へ星光を置いた。
俺は右へ滑った。
「逆です!」
セレネの声に、ゴーレムが初めて足を動かした。俺が予測と違う方へ出たため、右足を一歩だけ踏み直す。
そこには二本目の外れ弾が残した水膜がある。
銀の足裏が水を踏んだ。
俺はその瞬間だけ、水圧制御をつないだ。
水膜を滑らせるのではない。足裏の前半を厚く、後半を薄くする。ほんの指一本分の傾き。
ゴーレムの重心がずれた。
右足を軸にしていた旋回姿勢が崩れ、背面を守る左腕が半歩遅れる。
「今、背中!」
セレネが叫ぶ。
俺は水刃を撃とうとして、止めた。
魔力は六十六しか残っていない。ここで正面から核へ撃っても、角度が足りない。露出したのは射線ではなく、次の角度だ。
代わりに、ゴーレムが踏んだ水膜から細い流れを伸ばす。右足、床、砕けた八本目の飛沫。その三つを一筋につなぐ。
外れ弾の水が、次の反射面になる。
守護者は左腕を戻そうとする。だが足元の水膜を踏んだため、旋回軸が予定より深く回った。背面の赤白い光が、星図棚と反対側へ完全に露出する。
「読ませた未来と、踏ませた床が違った」
胸の奥が熱くなる。
敵の予測を消したわけではない。読ませた。左へ逃げると読ませ、その答えを使って右の水膜へ踏み込ませた。
失敗が罠になった。
嬉しくて跳ねた瞬間、空腹で体が少し遅れた。ゴーレムの腕が戻り、端が俺へ当たる。
けれど衝撃が来るより先に、核から全身へ熱が走った。
レベル十八から十九。
HPの上限は三百三十二から三百四十八へ。魔力は五百八十四から六百十二へ。攻撃百八から百十三、防御五十から五十二、速度百九十五から二百二。進化ポイントは十七から十八。
消耗していたHPと魔力も、新しい上限まで満ちる。
戻ってきた腕へ体を薄くし、今度は間に合った。前なら壁へ飛ばされていた速度で横へ抜け、床の水膜を切らずに守る。
「速くなった!」
「喜ぶのはあとです!」
「分かってる、でも嬉しい!」
新しい力で水刃を最大にしない。まず床の二つの水膜を同時に持ち上げる。
以前は一面の形を保つだけで崩れた。今は右足下と背面の飛沫、二つを別の角度で一呼吸だけ維持できる。
一面目で曲げ、二面目でさらに変える。
まだ撃たない。角度だけを確かめる。
ゴーレムは俺ではなく、二つの水面を交互に見た。天球儀の星が一つに決まらず、激しく明滅する。
「予測候補が割れています」
ゴーレムは候補を減らそうと、右足を持ち上げた。足元の水膜を踏み潰すつもりだ。
俺は膜を逃がさない。逃がせば動いた流れから次の位置を読まれる。その代わり、水の厚さを半分にした。
銀の足が落ちる。
水膜は潰れたように見えた。
だが半分は床の細い溝へ入り、背面側へ残る。守護者の視界では消えた水が、俺の水中感知にはまだつながっている。
「消したと思ってる」
「本当に消えていないのですか」
「一筋だけ。刃を返せるかは分からない」
「なら、観測します」
セレネは断言を求めなかった。上段から小石を落とし、隠れた水筋へ当てる。水が揺れ、背面の飛沫も同じ拍で震えた。
つながっている。
もう一つ落としてもらう。今度は一拍遅く震えた。流路が細すぎて、圧が届くまで時間差がある。
「すぐ撃ったら曲がらない。水が揺れてから一拍待つ」
「待つ間に守護者も動きます」
「だから、動く先を読ませる」
これまで俺は、敵の予測を邪魔しようとしていた。星屑を散らし、鏡を揺らし、答えを増やした。
今度は逆だ。
分かりやすい答えを一つ見せる。俺が左へ滑り、正面から大きな刃を撃つ未来。敵がそこへ防御を寄せる間に、見えない細流を一拍遅れて使う。
「罠って、隠すだけじゃないんだな」
「見せる部分がなければ、相手は選びません」
グラトンへ匂いを撒いた時も、契約杭へ回収先を見せた時もそうだった。敵が欲しい答えを置き、その選択で別の道を開ける。
今回は未来そのものを餌にする。
俺は左床へ囮水流を走らせた。ゴーレムの天球儀が即座に追う。見えない細流は動かさない。
一拍。二拍。敵の左腕が完全に囮へ寄った。
三拍目で隠れた水を震わせる。
背面の飛沫が薄い面になった。短く、すぐ崩れる。それでも、次の小水刃を一度だけ返せる。
「できる」
核へ届く保証はない。けれど守護者が自分で選んだ姿勢の外側に道を作れた。
セレネは星図の軌道を見上げた。
「第一水膜からなら上。第二水膜からなら下。どちらを選びますか」
答えを命じない。
彼女は観測結果だけを渡し、発射の責任を俺へ返した。
俺は露出した背面核と、星図棚と、二つの水膜を見比べた。
最大の刃なら核を割れるかもしれない。だが予測される。小さい刃なら二度曲げられる。威力は落ちる。
強くなった直後ほど、大きい一撃を試したくなる。
それを我慢する。
「次は小さくする」
「核を止めるには不足します」
「最初から核へ向けない。二回曲げて、最後だけ核へ向ける」
守護者が足を水膜から引こうとする。俺は膜を追わせず、その場へ残した。
水は敵を縛らない。次の刃が通る道だけを残す。
胃袋の一時保護区画では、セレネの鏡片が割れずに残っている。もう戦闘には使わない。約束どおり返す。
その代わり、鏡片から学んだ曲面を床の水へ移した。
物は返せる。覚えたことは残る。
ゴーレムの背面核が赤く脈打った。
次の一射を予測しようと、天球儀が二つの水面の間で迷っている。
俺は細い水刃を作った。
大きさは、さっきまでの半分以下。
未来を読む守護者へ、最も弱そうな刃を見せた。




