第47話 動いた順番
扉が閉じた瞬間、星の光が道になった。
地下天文庫の回廊は、円形の床を何層も重ねた巨大な観測装置だった。床の隙間は底なしの闇へ落ち、浮遊する書架が歯車のようにゆっくり回っている。その間を、青い星光が一本の帯になって奥へ伸びていた。
「分かりやすい。あれを追えば観測室だな」
俺が光へ飛び乗ろうとすると、セレネの弓が進路を塞いだ。
「待ってください」
「何で? こういう光は道案内って、昔から決まってるだろ」
「誰が決めたのです」
「ゲームを作る人」
「この天文庫を作った者とは別人ですね」
正論で殴られた。しかも痛い。
星光は静かに瞬き、いかにも安全そうに俺たちを招いている。だが、光の両側には倒れかけた書架が並んでいた。青銅の骨組みは天井まで届き、石板を何百枚も抱えている。一つ倒れれば、スライムせんべいの完成だ。
背後の扉はもう開かない。腹のミミックは隔離したまま。食料一食、死骨四本、魔力三百八十二。進むしかない。
「じゃあ、俺が先にちょっとだけ」
体の先端を細く伸ばし、光へ触れた。
きん、と高い音が鳴った。
右側の書架が倒れた。
「うわあああっ!」
石板の壁が視界を埋める。俺は水流滑走で前へ飛んだ。ところが、着地点の床が一拍早く沈み、次の書架まで連鎖して傾く。
ごがん! がらがらがらっ!
無数の石板が星の雨のように降ってきた。きれい、などと思う余裕はない。一枚でも当たれば体内の核まで潰される。
「左へ!」
セレネの声に従い、俺は反射的に左へ滑った。直後、左の床がせり上がった。
「左って言ったじゃん!」
「私から見て左です!」
「先に言って!」
突き上げられ、俺の体が宙を舞う。死骨一本を吐き出し、魔材クラフトで鉤へ変えて書架の縁へ引っかけた。ぶら下がった俺の真下を、石板が唸りながら落ちていく。
セレネは細い足場へ身を伏せ、角すれすれを通った棚板をかわした。彼女の頬から血が一筋流れる。それでも目は星光でなく、書架の留め具を追っていた。
「光ではありません。動いた順です」
「今それを説明できる!?」
「第一留め具、床、第二留め具、光。その順で作動しました。光は案内ではなく、最後に灯る印です」
「つまり、光を見たときには罠はもう動いてる!」
理解した途端、別の棚が軋んだ。
ぎぎ、ぎいいい。
今度は光を見る前に、音のした方向から体を引く。石板が鼻先――鼻はないが気分としては鼻先――を掠めた。
「当たってない! 今の俺、ちょっと賢い!」
「喜ぶのは渡ってからにしてください。観測室は中央の銀扉です」
円形回廊の向こう、三本の浮遊橋を越えた先に銀色の扉が見えた。だが、一番近い橋は半分崩れている。残る橋には、書架から落ちた石板が山積みだ。
俺は胃袋から死骨を取り出そうとした。
暗い収納空間に、素材の輪郭がいくつも浮かぶ。ミミックがまだ死骨の形を真似ている。普通に検索すれば、偽物を掴む可能性がある。
その間にも、背後の床が沈み始めた。
「時間がない。収納時刻、材質。二条件、一回だけ」
「何をします」
「橋を作る。どの留め具が先に動くか読んで!」
セレネが目を見開いた。今まで彼女は情報を売り、俺は必要なぶんだけ買っていた。役割を合わせたことはない。
「第三列、上から二つ目。次に足元。七呼吸後、右棚が倒れます」
声に迷いはなかった。
俺は胃袋検索を起動する。時刻は昨日、材質は死骨。二つだけ。偽物の箱が割り込もうとする気配を、最後尾の封鎖で押し返す。
一本、二本。
本物の死骨が体表から飛び出した。残り四本のうち二本を、橋の欠けた部分へ渡す。骨縫いで端をつなぎ、魔材クラフトで星石の粉を薄くまとわせた。
一本目が短い。
「足りない!」
足元の床がもう一段沈み、骨の先と向こう岸の間に、拳一つぶんの闇が残った。前世なら板を足す場面だ。けれど胃袋に板はなく、書架の石板は重すぎる。俺は一瞬、星図板を橋へする案を考え、すぐに捨てた。セレネが命を懸けて守るものを、相談もなく足場にはできない。
「星図は使わない。俺の骨で足りないなら、形を変える」
セレネの耳がわずかに動いた。切迫した場面でも、その一言は届いたらしい。
「では、長さではなく落下の勢いを使って。橋の下から上向きの風が三拍ごとに来ます」
彼女は答えを作る代わりに、俺が使える観測だけを渡した。俺は風が骨橋を押し上げる瞬間を待ち、固定点を一つ減らす。丈夫さは落ちる。代わりに、骨は風を受けて向こう岸へ届く。
「右棚、来ます!」
「分かってるけど、足りないものは気合いで伸びない!」
石板の影が迫る。俺は骨橋の中央をまっすぐ支えるのを諦め、二本を斜めに交差させた。橋ではなく、ばねだ。前世の工事現場で見た足場とは比べものにならない雑さだが、荷重を一瞬受けるだけならいい。
「セレネ、先に!」
「あなたが作ったものを、先に私へ試せと?」
「言い方! 今だけは信頼って呼んで!」
彼女は一瞬だけ骨橋を見つめ、跳んだ。月角が青い光を切り、軽い足が交差点へ触れる。骨が大きくしなった。
だが、折れない。
セレネは向こう岸へ転がり込み、すぐ振り返った。
「来て!」
初めて敬語が消えた。
橋の向こうで、セレネは片膝をつきながら手を伸ばしていた。戻れば自分も落ちる。その怖さを分かっていて、それでも俺を見捨てない顔だった。胸が熱くなる。こんなときに格好よく渡れれば最高なのに、俺の足元では骨が今にも泣きそうな音を立てている。
「今行く! たぶん格好悪い行き方になる!」
「生きて来るなら、格好は問いません!」
その言葉で、失敗してはいけないという力みが抜けた。橋を完璧に渡る必要はない。向こう岸へ届けばいい。俺は体を前へ細長くし、重心をできるだけ低くした。
俺も滑走する。背後で右棚が倒れ、石板の雪崩が追ってきた。骨橋の手前で床が沈む。検索で素材を出すのが一拍遅ければ、ここで道ごと消えていた。
「水流滑走!」
水膜を床へ噴き、体を弾く。骨橋へ着地した瞬間、一本目が砕けた。
「壊れたああ!」
残る一本が弓なりに曲がり、俺を投石器みたいに飛ばした。観測室の扉へ正面からぶつかり、体が平たい円盤になる。
「痛っ……でも着いた。これは成功に数えていい?」
セレネが駆け寄り、俺の体を両手で床から剥がした。
「橋としては失敗です」
「厳しい!」
「生存手段としては、成功です」
俺を抱えた彼女の腕も震えていた。軽々と渡ったように見えたが、足場が折れる音を聞いた瞬間、戻ろうとしていたらしい。靴先が骨橋の方向へ向いたままだ。
「戻ろうとした?」
セレネは一度だけ視線を逸らした。
「取引相手を失えば、順序情報の代価を回収できません」
「はいはい。そういうことにしておく」
強がり方まで分かってきたことが、妙にうれしかった。昨日までの彼女なら、俺が落ちても観測事実として記録したかもしれない。今は違う。その変化を、勝手に仲間という言葉へ押し込むつもりはない。それでも、背中を預ける理由が一つ増えた。
その声には、隠しきれない安堵があった。俺も体を丸く戻し、遅れて湧いた恐怖を笑いへ変えた。
「よし。取引相手から、橋を渡ってもいい相手くらいには昇格したな」
「勝手に区分を増やさないでください」
彼女はそう言いながら、銀扉へ耳を当てた。
ずしん。
巨大な足音が、扉のすぐ向こうで止まる。
次いで、俺がまだ撃ってもいない場所の床が陥没した。円形の拳跡が、銀扉越しにこちら側まで浮き出る。
「……何だ、今の」
セレネの指が震えた。彼女は動いた順を読む。だからこそ、まだ動いていない俺たちの先へ拳が置かれた異常さが分かる。
「守護者です。こちらが次に立つ場所を、先に潰している」
「未来へ先回りするってこと?」
喉のない俺の声が、かすれた。
銀扉の向こうで、石の巨体が息をするように鳴った。
ごおおおおお。
レベルが上がった光が体内を走る。Lv16からLv17。最大HPは三百から三百十六へ、最大魔力は五百二十八から五百五十六へ。攻撃は九十八から百三、防御は四十六から四十八、速度は百八十一から百八十八へ伸び、進化ポイントも十五から十六になった。消耗していた魔力まで満ちる。一方、技能の習熟度はどれも変化していない。数値だけで技の手順まで飛び越えられるわけではないらしい。
俺は試しに、残った素材を二条件で一度だけ呼び出した。以前は崩落中に検索を始めると意識が止まり、足場を失った。今はセレネの声を聞きながら、必要なものだけを掴める。
ただし、二回目を続けようとすると、胃袋の輪郭がぼやけた。
「一回だけか。うれしいけど、そこは急に万能にならないんだな」
「十分です。一回で命をつないだ」
尊敬の混じった言葉に、体が熱くなる。だが銀扉の向こうの拳跡を見れば、浮かれてはいられない。
「じゃあ次は、その一回を未来を読む化け物に通す方法を考えよう」
銀扉が内側から、ゆっくり押し開かれた。
星明かりを背負った巨人が、俺たちの到着地点へもう拳を構えていた。




