第4話 鉱殻リザードマン
下流から響く音は、近づくほど不気味な規則を帯びた。
こつん。二歩。こつん。二歩。
水中感知を足音だけへ絞る。二本の脚。片側に大きな重み。反対側には細長い硬質物。蒼晶甲虫より軽いのに、歩みには迷いがない。
「二足歩行。大きい板と長い棒。……嫌な予感しかしない組み合わせだな」
岩陰から現れたのは、鉱石の殻を鱗へ重ねた人型の魔物だった。身長は俺の五倍以上。額の短い角の奥で赤い魔力が脈打ち、右腕には石盾、左手には黒い鉱石槍。盾の縁は水路の幅いっぱいに近く、槍先は歩くたび床を軽く叩いている。
それは音ではなく、測量だった。水深と床の硬さを確かめながら進んでいる。
「盾と槍を持ったトカゲ……って、雑に呼んでいい相手じゃないな。俺、丸いし、腕もないし、装備格差がひどすぎる」
鉱殻リザードマンは蒼晶甲虫の死骸跡で止まり、盾を前へ出した。槍先で水刃の溝をなぞる。俺の戦い方を調べている。
見つかる前に逃げるべきだ。
そう思ったとき、赤い眼が岩陰の俺へ向いた。
槍の石柄が、床を二度叩く。
こつん。こつん。
低い唸りが喉から漏れた。
「見つかったか。……その二回、挨拶ならもう少し優しく頼む」
返事は槍だった。
穂先が水面を裂く。俺は核を右へずらし、左へ水刃を出して牽制した。レベル二になって初めて、守りながら撃つ。
石盾が斜めに沈む。水刃は盾面を滑り、床へ逃がされた。続けて盾が前へ押し出され、水ごと俺を壁際へ追い込む。
「硬いだけじゃない、受け流すのか! 格好いいけど、敵がやると全然うれしくない!」
盾の横へ回る。速度五なら、昨日の俺より速い。ところが槍は突かず、水面を横へ薙いだ。槍先に押された水が身体へぶつかり、俺の進路を盾の正面へ戻す。
速くなったぶんを、相手は間合いで潰してくる。
俺は無限胃袋から水晶片を出し、盾の脇へ滑らせた。反射で視線をずらすつもりだった。リザードマンは見向きもせず、槍の石柄で片を弾いた。
「判断が早い! こっちは今、必死で思いついたのに!」
槍が返る。核をずらしたまま水刃は保てる。だが、刃を維持することと槍を避けることは別だ。穂先が表面を深く裂き、核のすぐ横を冷たい衝撃が抜けた。
「ああっ! 近い、今のは本当に近い!」
恐怖で身体が二つへ割れかけた。なら、そのまま片方を囮にできないか。左へ薄い水を残し、本体を右壁へ寄せる。
リザードマンは囮へ槍を出さなかった。
盾を横へ振り、壁ごと叩く。落ちた鉱粉と水が混ざり、右へ寄せた本体が巻き込まれた。分けた水を戻す間に、槍先が逃げ道へ置かれる。
「読まれた……違う、俺の囮が雑すぎた。薄い水と本体じゃ、重さが違う!」
出口は盾で塞がれ、槍は水場の縁を押さえている。ここで魔石の残りを吸収すれば、動けない時間に刺される。甲殻を出せば、重さでさらに逃げが遅れる。
勝てない。
認めたくなかった。蒼晶甲虫に勝ったばかりで、少しは強くなったと思っていた。だが、強くなったことと、誰にでも勝てることはまるで違う。
「悔しいけど、撤退。ここで意地を張ったら、俺の冒険、四話で終わる!」
保存した蒼晶甲虫の肉を、水場の反対側へ吐き出す。リザードマンは飛びつかなかった。槍で肉を突き、裏返し、罠がないか確かめる。
食いつかなかった。それでも、一呼吸だけ槍が出口から離れた。
俺は盾の下へ水を一滴押し込み、砂を噛ませる。盾の縁がわずかに浮く。その隙へ身体を薄くして滑り込んだ。
槍が背後から追う。穂先が身体の端を削った。
「うあっ――端だけだ、核までは届いてない!」
下流の裂け目へ飛び込む。リザードマンは追わなかった。盾を水場の中央へ置き、赤い眼だけをこちらへ向けている。俺を殺すより、水場を占領することを選んだのだ。
水を奪われた。
裂け目の奥で、壁から落ちる雫を一滴ずつ受ける。身体の傷はすぐには塞がらない。悔しさで震えるたび、傷口が開いて痛んだ。
「負けた。うん、負けた。あいつ、強い。ものすごく強い。……だからって、水まで『どうぞ』って渡したわけじゃないからな」
外で、槍の石柄が床を叩く。
こつん。
挑発か、警告か。言葉はなくても、出てくれば刺すという意思だけは嫌になるほど伝わる。
俺は小石を一つ、水場とは反対の壁へ転がした。リザードマンの槍が即座に飛び、石を岩へ縫い止める。砕けた欠片が水へ散った。
槍の届く距離は、裂け目の入口から小石三つぶん。刺した直後、盾がわずかに下がる。武器を引き戻すには一呼吸。
「そこまで届くのか……」
壁から剥がれた鉱殻の粉を集め、水へ落とす。流れの速い場所ではすぐ消え、弱い場所では砂の上へ溜まった。盾が置かれた左側は深く沈み、槍を突く右側は水が外へ逃げる。
盾そのものは壊せない。けれど盾は、腕と足と床が揃って初めて壁になる。
「盾を割る必要はない。立てない場所へ動かせばいい。……言うのは簡単だな。やるのは、すごく怖いけど」
石をもう一つ転がす。今度は槍の間合いより半歩外。リザードマンは突かず、盾をずらして音の方向を塞いだ。二度目には反応を変えた。こいつも学んでいる。
三度目の石は使わない。同じ試し方を続ければ、こちらの手札だけ教えることになる。
蒼晶甲殻を取り出し、雫を当てる。水は硬い表面を滑った。角度を変えると、戻ってきた水が俺の端を浅く切る。
「痛っ。素材まで持ち主に似なくていい。反射は使える。でも置く角度を間違えたら、俺が切れる」
魔石の残りにも触れない。吸収中に襲われれば終わる。まず安全な場所と、敵を一歩動かす方法が必要だ。
裂け目の水は少ない。半分を核の回復へ、半分を石の窪みに溜める。全部飲めば今は楽になるが、再戦の水がなくなる。肉も残りわずかだ。
腹が縮み、情けない音の代わりに身体がぷるりと鳴った。
「腹は減るし、傷は開くし、外には槍。泣くなら雫がもう少し溜まってからにしよう」
水晶片一枚。甲殻一枚。保存肉一回分。魔石の中心部。小石二つ。水は水刃二発ぶん。
それから、敵の情報。盾は左足と床へ重さを逃がす。槍を伸ばした瞬間だけ盾が下がる。柔らかい砂では踏ん張りが遅れる。
負けた代わりに、それだけは持ち帰った。
俺は小石を握る代わりに身体の奥へ沈めた。外へ出る怖さは消えない。それでも、槍を引く一呼吸だけは、もう知らない闇ではなかった。
外でリザードマンが低く唸った。
俺は返事をせず、核の震えが収まるまで雫を受けた。強がりを口にするのは簡単だ。もう一度あの槍の前へ出るのは、まるで別の話だった。
それでも、次に出るときは、ただの餌としてではない。
⠀




