第36話 死骸市場の飢え
契約を凍らせた翌朝、俺は死骸市場の水槽で目を覚ました。
八時間、薄い水へ浸かって休んだおかげで、裂けていた外膜はふさがり、枯れかけていた魔力も満ちている。昨日は石に貼りつくのが精いっぱいだったのに、今は跳ねれば水槽の縁まで軽々届いた。
「回復した! 全快! つまり朝ご飯の時間だ!」
勢いよく飛び出し、着地した瞬間に腹が鳴った。
食料は、ゼロだった。
「……朝ご飯の時間ではありませんでした」
「知ってた」とヴァルカが言った。
角のある額へ煤けた布を巻き、鉄槌を肩に担いでいる。契約杭の奥から続く死骸市場を調べるため、今日は彼女も来る。ただし、俺の仲間になったわけではない。工房印の出所を確かめる間だけ、退路を共有する。それが条件だ。
ミレアは入口の水脈を守るため残った。使っていい水は残り〇・七五リットル。持ち歩く容器はないので、俺の体内に用途を分けて包んである。
「第六階層相当、死骸市場層の外周。契約を止めたせいで、奥の餌が足りていない。腹の減った魔物が何匹いるかは分からない」
「俺も腹が減ってる。話し合えば分かり合えるかも」
「同じ鍋を狙う相手同士としてな」
「駄目だ。分かり合った瞬間に戦争だ」
市場の通路は、前世で見た巨大な食肉処理場を、何百年も暗闇へ放置したようだった。天井から曲がった鉄鉤が列をなし、左右には石の解体台。床の溝には乾いた血が黒い樹脂のようにこびりつき、ところどころで青白い燐光苔が脈打っている。
けれど、いちばん不気味なのは匂いだった。
腐肉、薬草、油、錆びた鉄。そこへ、まだ生きている獣の熱い息が混じる。
「右の棚。何かいる」
ヴァルカが顎を動かした。
解体台の陰から、皮の半分が透けた四足獣が三匹、腹を床へ擦りながら現れた。狼に似ているが、顎が胸まで裂け、背中には肋骨のような白い棘が並んでいる。腐肉喰らいのハイエナ、とでも呼びたくなる姿だ。
二匹は俺を見た。残る一匹は、仲間の尾へ噛みついた。
「うわ。敵を見る前に身内を食べた」
「飢えてる。来るぞ」
喉の奥を擦るような咆哮が三つ重なった。
俺は鑑定を開く。




