第35話 契約を食べない勝ち方
北の鐘が日付の変わり目を告げ、契約は残り三日になった。
休んでいない。第6階層相当、番号未確定の死骸市場層入口で、俺たちは六体の回収兵と三本の杭に挟まれていた。
HP二百四十五。魔力二百十一。食料ゼロ。許可水一・二五リットル。黒牙片一、翼膜端一、還流皿片二、赤魔核一は隔離したまま。試験で大きく消耗した直後にしては、相手が多すぎる。
「一つ確認。六体は、二体ずつ来るとかいう優しい仕組みじゃない?」
ヴァルドが契約板の警告を見た。
「全機同時です」
「聞かなきゃよかった!」
六つの赤い命令核が一斉に光る。二体は鉤腕、二体は三本爪、残り二体は幅広い運搬板を胸の前へ構えていた。生き物のような雄叫びはない。代わりに、六つの喉から同じ金属音が重なる。
「供給停止。区画内在庫、全量回収」
足音だけで石粉が跳ねた。強い。昨日の解体兵一体なら、命令核を読んで止められた。六体を同時に相手にすれば、三対象までの鑑定では足りない。
怖さで外膜が薄くなる。逃げたい。南の水路へ落ちれば、俺だけなら逃げられるかもしれない。
けれど、背後にはミレアの水源とヴァルカが作った退路がある。逃げれば全部が在庫になる。
「無理そう。すごく無理そう。でも、俺を数える奴から逃げたら、次はもっと大きい札を貼られる」
震える体を丸く戻した。
「ヴァルカ、正面は何息?」
彼女は六体の肩幅と通路を見比べる。
「崩落材で二息。鉄槌で一息。四息目はない」
「ミレア、水を退避させて。俺が焼けた時だけ〇・五リットル」
「あなたが水路へ戻れる位置なら使う。奥へ行きすぎたら届かない」
「分かった。ヴァルド、停止鍵を持ってて。最後にあんたが選ぶことがある」
「何を選ばせるつもりです」
「まだ考えてる!」
正直に言ったら、ヴァルカが一瞬だけ笑った。すぐに顔を引き締め、崩落材を通路へ倒す。
一体目の鉤が材へ食い込んだ。二体目の運搬板が横から押す。木と骨を魔力で固めた壁が、悲鳴のように軋んだ。
俺は深層感知を三体へ絞る。先頭の鉤、左の爪、右の運搬板。それぞれの命令核へ魔力刻印の停止を送る。
一体目、停止。
二体目、停止。
三体目へ触れた瞬間、先頭の停止が薄くなる。
「二体まで! 三体目は保てない!」
俺は二つを残して横へ滑った。止めた二体が通路を塞げば、後ろの四体も詰まる――はずだった。
三本の契約杭が同時に鳴る。
二体ぶん停止した不足を埋めるように、第二杭の範囲枠が膨らんだ。後ろの四体へ青線がつながり、運搬板の幅が魔力で倍に広がる。
四体が停止兵を持ち上げ、盾として前へ押し出した。
「止めた方が壁にされた!?」
崩落材が砕ける。ヴァルカが鉄槌で板の端を弾くが、衝撃で石床を滑った。
「グルト! 止めるほど、残りが強くなる!」
「分かってる! いま、すごく分かった!」
俺は停止を切った。二体が再起動する。六体すべてが動く恐怖は戻ったが、膨らんだ範囲枠は少し縮む。
最初の作戦は失敗だ。
鉤腕が唸りを上げて飛ぶ。俺は水流滑走で避けたが、二本目が退路を塞ぐ。鉤の鎖が体表を削り、HPが落ちる。痛い。外膜が裂け、核の近くへ冷気が入った。
「うあっ! これは本当に痛い!」
床を転がりながら水刃を撃つ。狙いは兵ではなく、鉤と鎖の接合部。刃が青い火花を上げ、一呼吸だけ巻き取りを止めた。
その隙にミレアの水が俺を引く。
「戻って。体が薄い」
「まだ考えられる。止めるのが駄目なら、動かす」
「六体を?」
「違う。兵は命令どおり動いてるだけだ。命令の行き先を動かす!」
昨日作った三角形を見る。回収、停止、範囲拡大。兵を一体ずつ止めれば、残りが穴を埋める。なら、穴を作らず、三つの命令全部を輪に入れる。
ヴァルドが俺の視線を追った。
「杭同士を回収させる気ですか」
「一呼吸だけならできた。その一呼吸で、回収兵が杭を掴めばいい」
「設備を故意に回収対象へ入れるのは、契約妨害です」
「水源と生存個体を回収するのも、昨日の契約違反だ!」
声が坑道へ跳ね返る。
「俺は杭を壊さない。兵も壊さない。あんたの規則の中で、何を止めるか選ばせる。最後に停止鍵を回すのは、あんただ」
ヴァルドの顔から血の気が引いた。人間側の命令を止めれば、地上へ運ぶ食料も止まる。止めなければ、水源と俺たちが回収される。
簡単な正解ではない。だからこそ、俺が勝手に鍵を奪ってはいけない。
「決める時間を作る。ヴァルカ、皿片を一枚!」
残り二枚のうち一枚が飛ぶ。俺は魔材クラフトで皿片を三つの薄板へ割り、魔力を通して杭の間へ置いた。材料はこれで残り一枚。失敗しても替えはない。
六体がまた前へ出る。
「三息だけ持たせる!」
ヴァルカの鉄槌が運搬板を斜めへ逸らす。一息目。金属が擦れ、火花が角を照らす。
ミレアが床へ細い流れを走らせ、鉤兵の足を半歩ずらす。二息目。彼女は水を武器にしすぎず、すぐ水路へ戻した。
三息目。爪が俺の背へ届く。
俺は避けず、黒牙片の契約写しを第一の皿片へ押しつけた。対象は杭。第一杭の回収先を第二杭へ。第二を第三へ。第三を第一へ。
前と同じだけでは足りない。三角形ができても、兵は俺たちを回収し続ける。
だから、第三の命令片へ『停止』を重ねる。対象、方向、停止。三つの要素を一つずつ、順番に刻む。
「回収先は第一杭。止まるのは、杭を回収したあと!」
魔力が百五十、百二十、百を切る。頭の中で三枚の板が軋む。怖い。崩れれば兵の鉤が俺の核へ届く。
それでも、昨日は混ざった三つの形が、いまは単語のように分かれた。長い文章は読めない。嘘も見抜けない。けれど、対象と方向と停止なら、別々のまま並べられる。
青い三角形が閉じた。
三本の杭が互いへ在庫表示を貼る。
六体の回収兵が、一斉に首を杭へ向けた。
「区画設備、回収」
鉤が第一杭を掴む。三本爪が第二杭を抱える。運搬板が第三杭の根元へ差し込まれる。兵たちは俺たちを通り過ぎ、自分たちへ命令を出している杭を回収し始めた。
第一が第二を指定し、第二が第三を範囲へ入れ、第三が第一を停止させる。停止した第一を回収するため第二が動き、動いた第二を第三が範囲へ入れる。
輪が回る。
「できた! 食べてない、壊してない! 契約が契約を追いかけてる!」
喜んだ直後、運搬板の角が俺を跳ねた。集中を切らさないため避けきれず、HPがさらに落ちる。総損傷は三十七。残り二百八。
「喜ぶのは後!」
ヴァルカの怒声に、俺は歯のない口で食いしばる。
魔力も残り六十四。許可水〇・五リットルをミレアが浴びせ、乾いた刻印を一呼吸だけ保たせる。残り〇・七五リットル。
「ヴァルド! いま!」
補給官は停止鍵を握ったまま動かなかった。地上の兵。地下の水。どちらも彼の板では数だったはずだ。
六体の回収兵が杭を引き抜きかける。あと一呼吸で三角形が崩れる。
「選べ! 俺はあんたまで在庫にしたくない!」
ヴァルドが目を閉じた。
そして、停止鍵を最後まで回した。
「補給官ヴァルドの責任で、当区画の回収契約を凍結します。生存個体、水源、個体の保管領域は所有対象外。現場確認が終わるまで、全回収兵を停止」
赤い命令核が一つずつ消える。
鉤が落ちた。爪が開いた。三本の杭は互いを指したまま、青い光を失った。
静けさが来た。
俺は刻印を切り、床へべちゃりと潰れた。勝利の格好ではない。けれど、誰も壊れていない。黒牙片も、最後の皿片も残っている。水源は流れている。
「勝った……? 俺、契約を食べずに勝った?」
ミレアが俺のそばへ水を寄せた。
「一人では止められなかった」
「うん。最後はヴァルドが止めた」
ヴァルカが鉄槌を肩へ戻す。
「だから、次も同じとは限らない。忘れるな」
「忘れない。でも今だけ喜ばせて」
俺は力の残るぶんだけ丸くなり、小さく跳ねた。
「やったあああ! 腹は空っぽだけど、俺は在庫じゃない!」
声が水路の奥まで転がった。
三命令を循環させた手応えが、魔力刻印へ残る。技能の輪郭が一段深まり、魔力刻印はGランクLv1からGランクLv2へ上がった。長文は扱えない。四つ以上の意味も並べられない。それでも、対象、方向、停止の三要素なら、別々に保って一つの順番へできる。




