第34話 回収先は、あっち
レベルアップの熱がまだ体に残るうちに、俺たちは三本の杭が作る三角形へ入った。
第6階層相当、番号未確定の死骸市場層。契約は残り四日。食料ゼロ、携帯水ゼロ、許可水一・七五リットル。黒牙片一つ、翼膜端一枚、還流皿片二枚、隔離した赤魔核一つ。
「先に言っておく。杭がおいしそうに見える」
「見えない」とミレア。
「おまえの飢餓感知、壊れてないか」とヴァルカ。
「壊れてるのは腹だ。だから先に申告した。俺、成長してる」
得意げに丸くなると、ヴァルカは呆れながらも鉄槌を下ろした。黙って試さなかったことだけは認めてくれたらしい。
ヴァルドが古い荷札を三枚、三角形の中央へ置く。木札には所有印を刻まず、炭で一、二、三と番号だけを書いた。
木札だけで始める前に、ヴァルカは三本の杭の間へ糸を張った。糸は翼膜ではない。崩落材を束ねていた普通の麻で、魔力を流せばすぐ焦げる。だからこそ、命令の通り道を目で追う印になる。
第一杭が第二杭を向けば、一本目の糸が青くなる。第二から第三なら二本目。三本目が俺へ向けば、最後の糸ではなく俺の外膜が光る。
「最後だけ嫌な仕組み!」
「嫌なら、先に対象を置け」とヴァルカ。
俺は木札三を第一杭のすぐそばへ置いた。だが、所有印のない木札には第三杭が反応しない。黒牙片を置けば反応するが、そのまま回収される危険がある。
「ただの札じゃ弱い。黒牙そのものは強すぎる。写しだけを札へ乗せればいい?」
「乗せすぎれば、札ごと所有物になる」とヴァルドが板を見た。「刻印を一画だけにしてください。完全な写しは避けるべきです」
昨日までなら命令する側の都合しか言わなかった男が、今日は黒牙を守る前提で話している。俺は少し驚き、すぐ木札へ向き直った。
黒牙の刻印から一画だけを魔力刻印で写す。木札が青く光り、第三杭の頭がわずかに揺れた。完全な回収対象にはならないが、候補としては認識されたらしい。
「これなら、最後の向きを誘える。でも一画じゃ、決め手にはならない」
ミレアが糸の交点へ水滴を一つ置いた。水滴は第一の線で右へ、第二の線で奥へ揺れる。三つ目が動かないうちは、その場に留まった。
「二つを作ってから三つ目を呼ぶ。最初に三つ全部を持たない」
「順番に持ち替える。いける。昨日できるようになったやつだ」
俺は嬉しくなり、木札の上を一周した。速くなった体は小さな円なら滑らず回れる。前は曲がるたび壁にぶつかっていた。
「見た? 急な向き替えも、これくらいならできる!」
「本番で回るなよ」とヴァルカ。
「回らない。たぶん」
「断言しろ」
軽口のあいだも、三本の音は止まらない。カチ、ゴン、カチ。俺たちは音の間隔を五巡ぶん数え、第一と第二を向ける猶予が最短でも二呼吸あると確かめた。
試験に使った魔力も、最後の消費二百三十三へ含めて数える。許可水は一度に全部使わず、膜が乾いた時だけ〇・一リットルずつ。残量をミレアが指で示し、俺が復唱した。
「始める時点で一・七五。終わった時に一・二五を下回ったら中止」
「分かった。食料ゼロ。水は一・七五。黒牙一、翼膜一、皿片二。頭の中だけで数えない」
声に出すと、失敗できる回数がほとんどないことまで明瞭になった。
「目的を確認します。第一杭の回収先を第二杭へ。第二杭の回収先を第三杭へ。第三杭の回収先を第一杭へ。三つが互いを対象に取れば、水源と保管物から命令を逸らせる」
「その通り。でも、二本向けたら三本目も空気を読んで従うかもしれない」
「契約設備に空気を期待するな」
ヴァルカが即座に切った。
「言ってみただけ。俺も期待してない」
本当は少し期待していた。いまの俺は二つの刻印を順番に保てる。第一から第二、第二から第三まで通せば、最後の一本は流れに引かれるのではないか。
まず第一杭の前へ木札一を置く。魔力刻印で、第一杭が持つ回収方向だけを薄く写す。文章には触れない。矢印の形を、第二杭へ向けて曲げる。
青線が動いた。第一杭の頭が、ゆっくり第二杭を指す。
「一つ!」
喜びかけた口を自分で閉じる。まだ早い。
第二杭へ木札二。第一の刻印を保ったまま、二つ目を作る。魔力の板を両手で持つような感覚だ。昨日までなら一枚目が崩れていた。レベル十三のいまは、二つの輪郭が混ざらない。
「第二から第三。行け」
青線が第三杭へ伸びた。
「二つ!」
今度は小声にした。ヴァルカが頷き、ミレアは許可水を俺の背後へ寄せる。
第三杭が鳴る。
俺は木札三を置き、第一杭へ向けた。三つ目の刻印を作ろうとした瞬間、頭の中の二枚が激しく震えた。
「っ、待って。やっぱり三つは重い!」
第一を薄くし、第二を濃くする。持ち替える。昨日できるようになった手順だ。だが第三杭の命令は、俺の予想した矢印ではなかった。
黒い線が俺へ伸びた。
「なんで俺!? あっち! 回収先は、あっち!」
第三杭の青い頭が俺を向く。二本分の回収命令を受けた第三杭は、いちばん近くて魔力の大きい対象――命令を書き換えている俺を在庫に選んだ。
青線が外膜へ食い込み、体が三角形の中央へ引かれる。踏ん張ろうにも液体の腹が石を滑る。
「刻印を切れ!」
ヴァルカが鉄槌の柄を差し込んだ。俺は巻きつくが、第三杭の力が強い。HPが七削られ、外膜の一部が細長く引き延ばされた。
「切ったら最初からだ! いま原因が見えた。第三は向きだけじゃない、対象も俺にしてる!」
「欲張ると核まで持っていかれる」
ミレアの水が俺の背を押し戻す。
「分かってる。だから、欲しがる相手を変える!」
胃袋から黒牙片を出す。契約写しを焼かれながら残った黒い牙。杭が最初に回収対象へ指定した物だ。
俺は牙の刻印面を木札三へ重ねた。対象は黒牙の写し。方向は第一杭。二つを一度に作らず、先に対象を固定し、そのあと矢印だけを曲げる。
第三杭の線が俺から剥がれた。
「いっ……痛い! でも離れた!」
青線は黒牙の写しへ移り、そこから第一杭へ向く。
第一は第二へ。第二は第三へ。第三は第一へ。
三角形が閉じた。
ゴン、ゴン、ゴン。
三本が順番に鳴り、互いの頭へ在庫表示を貼る。第一が第二を引こうとし、第二が第三の範囲を囲い、第三が第一の停止を解除しようとする。命令が輪になり、入口外へ伸びていた線が消えた。
「できた! ほら、俺じゃない! あっちだ!」
嬉しくなって跳ねた瞬間、三つの刻印が一斉に軋んだ。
一呼吸。それだけで魔力が滝のように抜ける。四百四十四あった魔力が、三百、二百五十と落ちていく。
二呼吸目に入れば保てない。
「切る!」
俺は第三、第二、第一の順に刻印を外した。逆順なら命令が入口へ飛び出さない。青い三角形がほどけ、三本の杭は元の向きへ戻った。
体の中に残った魔力は二百十一。二百三十三も使った。乾いた外膜へ、ミレアが許可水〇・五リットルをかける。残り一・二五リットル。
「一呼吸だけ」と彼女が言った。
「うん。一呼吸だけ。でも、前は三つ作ったら全部崩れた。いまは順番に作れば、一呼吸だけ閉じられる」
俺は念のため、青線が消えた床へ深層感知を残した。見た目には元へ戻っていても、岩の中には三本を結んだ熱が薄く残っている。第一から第二、第二から第三、第三から第一。消える順番まで同じだ。
「本番で切る順番を間違えたら?」
ヴァルドが答える前に、ヴァルカが木札を逆順に倒した。
「第三を残して第一を切れば、第三の回収先がまたグルトになる。第二を先に切れば、範囲が水路へ戻る。終わりは第三、第二、第一。作る順番の逆だ」
「唱える。作る時は一、二、三。切る時は三、二、一」
「焦った時ほど声に出して」
ミレアの言葉に、俺はもう一度復唱した。怖くなれば、俺は最短の手順へ飛びつく。昨日、継ぎ目をもう一押しした時と同じだ。覚えたつもりでは足りない。
俺たちは魔力を流さず、木札だけで手順を三度なぞった。一度目は俺が第二と第三を取り違えた。二度目はヴァルドの「停止」という声につられ、第一を先に切りかけた。三度目でようやく、誰にも直されず最後まで通せた。
「よし。今のなら、頭が真っ白でも体が動く」
「一度間違えた奴が、よく胸を張れるな」
「間違えたからだよ。いま間違えておけば、本番の俺が少し楽になる」
ヴァルカは返事の代わりに、木札三を俺の前へ戻した。認めた時ほど口数が減る。
魔力は二百十一しかない。次に三角形を作れるのは、おそらく一回。それも一呼吸。練習を終えた俺は、木札と黒牙を無限胃袋へ別々にしまった。重ねれば契約写しが木札へ移るかもしれないからだ。
できることが増えたぶん、間違えられる場所も増えた。それでも、昨日の俺には存在しなかった一手が、今は体の中にある。
「次は一呼吸で終わる時に使え」
「回収兵が杭を回収し始める瞬間」とヴァルカが続けた。「動き出してから向きを変えれば、命令自身に運ばせられる」
俺は三本を見上げた。壊せない。止め続けられない。けれど、向きを変える一呼吸なら作れる。
ヴァルドは試験結果を板へ刻み、長く黙ったあとで口を開いた。
「人間側の恒久停止権は、死骸市場本部の承認が必要です。私一人では出せません」
「昨日は言わなかった」
ミレアの水が冷える。
「七日の現場停止は私の権限です。ですが、この杭は古い自律規則で動いている。完全に凍結するには本部の停止が要る」
「で、本部はいつ来る?」
俺の問いへ答えたのは、ヴァルドではなかった。
入口の北側から、六つの足音が響く。
ガン。ガン。ガン。
揃っているのに、生き物の歩調ではない。鉄の踵が同じ重さ、同じ間隔で石を打つ。角灯の向こうへ、胸に赤い命令核を持つ影が六つ並んだ。
「本部の返答より先に、回収兵が来ました」
ヴァルドの平らな声が初めて掠れた。
「回収命令は?」
「供給停止区画の全量回収です」
六体が一斉に首を上げた。
「在庫、確認。回収、開始」
残り四日の夜。俺たちの一呼吸を試す相手が、予定より早く到着した。




