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食いしん坊スライムはダンジョン最深部を目指す  作者: バナナ


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第21話 白眼を断つ三本の水刃

帰りの水路は、来たときよりも細く感じた。

実際に細くなったのかもしれない。けれど俺には、背後から見つめてくる白い眼の気配が、水路の壁を内側へ押しているように思えた。

ここは総階層すら分からないダンジョンの、中層水路域。さっき覗いた深層入口から、上流へ一つ、横穴を戻った場所だ。最深部へ近づくどころか、いったん背を向けている。それでも、戻ると決めた理由がある。

さっき帰路の印にした骨片を、回収しなければならない。

横穴側に置いた一個は、向きまで変わらず残っていた。帰路の右側に置いた一個は、深い側から押し返された水で半回転したまま。俺はまず周囲の泡を見て、白眼の反射がないことを確かめた。それから一本ずつ触れ、前に残した魔力と同じかを調べる。別の何かが入れ替えた様子はない。二個とも回収して、ようやく体内へ戻した。下流へ置いた鉱殻片は、やはり消えたままだ。

まずは慌てない。慌てると腹が減る。腹が減ると、食べてはいけないものまでおいしそうに見える。体内の奥にしまった赤い魔核が、まるでその考えを聞いていたように、ずきりと核を刺した。

「痛っ。いまのは忠告? それとも食べてほしいの? 後者なら、たいへん残念でした」

軽口を叩いても、痛みは引かなかった。

俺は流れの緩い窪みに体を押し込み、持ち物を吐き出さないぎりぎりまで表皮へ寄せた。いま回収した白い骨片が二個。赤い魔核が一個。食べられるものは、硬くなった苔の切れ端と、味まで思い出せないほど小さな肉片だけ。食料は、ほぼゼロだった。

水は、ここまで数えずに使ってきた。今度は体の周りへ薄い輪を作り、同じ大きさの水球へ分けていく。一つ、二つ、三つ。最後は半分にもならない。

戦いに使わなければ、移動しながら半日はもつ。水刃を何度も撃てば、その半分も怪しい。

「骨、二個。赤いの、一個。ごはん、ほとんどなし。水、半日ぶん。よし。……よくないけど、数えた俺はえらい」

褒めてくれる相手はいない。水面に映った自分が、わずかに丸く震えただけだった。

水路の先で、白いものが瞬いた。

岩壁に埋まった眼ではない。薄い膜が水の中で丸まり、瞬くたびに瞳の形を作っている。白眼は壁から壁へ滑り、こちらを正面から見ようと位置を変えた。

核の奥が冷える。

見られるたびに、深層感知が勝手に開きかける。あれは攻撃を待っているのではない。俺が深く見返すのを待っている。前に触れた管理核の冷たい感触が、体の内側でよみがえった。

登録を、終わらせる気だ。

「見つめ合うには、ちょっと仲良くなってなさすぎるよね」

白眼が細まった。

返事の代わりに、水路の流れが止まる。退路側の水まで引かれ、俺の体がぺたりと石へ沈んだ。

怖い。逃げたい。けれど、逃げれば背中から深層感知を引きずり出される。俺は震えを止めようとせず、その震えで水の位置を探った。

第一の水刃を、細く作る。

倒すためではない。測るためだ。

「まず一本。まばたき禁止!」

水刃が白眼の縁をかすめた。

切れなかった。刃が触れる寸前、白い膜だけが奥へたわみ、壁から伸びた細い光が一瞬太くなった。遅れて、水刃の半分が吸われる。

白眼は水刃を避けたのではない。水を抜いて、刃の形を崩したのだ。

その代わり、隠していた接続が見えた。右壁に二本、天井に一本。どれも白眼本体より細く、水の流れとは逆向きに脈打っている。

「三本。やっぱり一匹で見てないな。ずるい。俺なんて眼そのものがないのに」

白眼が迫った。水面いっぱいに瞳が広がり、俺の視界が白く染まる。

深層感知を閉じたまま、二個の骨片を左右へ投げた。一本は浅い溝へ、もう一本は天井から落ちる雫の下へ。白眼の瞳が左右へ揺れる。骨片に残った俺の魔力を、分かれた体と誤認している。

第二の水刃を放つ。

今度は眼を狙わない。左の壁を斜めに削り、水の逃げ道を一本だけ残す。刃は岩に浅い線を刻み、砕けた石粒を流れへ落とした。

白眼は残した道へ逃げた。

「そっちだよね。だって、そっちしか空けてないから」

喜びで体が弾みかけた、その瞬間だった。

白眼がくるりと裏返った。瞳のない白膜が水路を塞ぎ、上流からの水を丸ごと吸い上げる。第二の水刃は背後から引かれ、石壁へ叩きつけられて消えた。

俺の周囲から、水がなくなる。

乾いた石へ落ちた体が、焼けるように縮んだ。用意した逃げ道も、骨片へ結んだ細い流れも、すべて途中で千切れる。

「うそだろ。そこまで飲む? 遠慮ってものを知らないの?」

白眼は止まらない。乾いた路面を滑り、俺の目前まで来た。白い瞳の奥で、管理核へ続く文字にならない命令が回っている。

もう一度、深く見れば、何をされるか分からない。

だが、見なければ負ける。

俺は逃げかけた体を止めた。怖さが消えたわけではない。むしろ、白眼が近づくほど、赤い魔核まで震えて痛んだ。それでも、食料も水もないまま追い回されれば、次は考える力から奪われる。

「一回だけだ。俺の中まで勝手に見るな。俺も、お前を全部は見ない」

深層感知を開く。

白い光が、体の奥へ突き刺さった。

岩の向こうに、太すぎる流れがあった。管理核へ戻る本流。白眼を動かす三本の接続。そのうち二本は本流へ重なり、一本だけが、壁の割れ目を迂回している。

見えた瞬間、頭の中へ冷たい印が押し込まれた。

登録。従属。回収。

「いやだ!」

声と一緒に、俺は感知を閉じた。

全身がひどく震えた。怖かった。遅ければ、自分の体なのに、自分で動かせなくなるところだった。その怒りが、乾きで鈍りかけた思考をもう一度尖らせる。

白眼を切る必要はない。

太い本流にも勝てない。

切るのは、一本だけだ。

第三の水刃は、まだ作っていなかった。正確には、作る水が手元になかった。

だから、遠くに置いてきた水を使う。

最初に飛ばした二個の骨片。その表面には、投げる前に薄い水膜をまとわせてある。一本目は測るため、二本目は追い込むため。そして三本目は、二つの骨片と遠隔水流罠へ時間差で仕込むために残していた。

初案では、左右から水刃を合わせて白眼を挟むはずだった。だが、水を抜かれ、流れは途中で切れた。

ならば、合わせない。

「右の骨は囮。左の骨は――いま!」

遠隔水流罠を起動する。

天井の雫を受けていた骨片から、わずかな水膜が跳ねた。白眼はすぐに気づき、残った水まで吸おうと瞳を向ける。

その動きで、迂回していた接続一本が張った。

罠の水を刃にする。大きさはいらない。長さもいらない。骨の尖りに沿わせた、爪ほどの刃でいい。

白眼が水を奪う。

刃が細る。

それでも俺は、形を解かなかった。

「返せとは言わない。そこだけ、置いていけ!」

水刃が、張りつめた接続へ食い込んだ。

一度、弾かれる。骨片が石へぶつかり、向きがずれた。白眼がこちらへ向き直る。

俺は自分の体を石へ擦りつけ、残っていた表面の湿りを細い筋にして遠隔罠へ送った。これを使えば、動くための水さえなくなる。けれど、出し惜しみして登録されるよりましだった。

「骨、ちょっとだけ踏ん張って! 帰ったら磨くから!」

骨片が踏ん張れるはずはない。それでも、言わずにはいられなかった。

ずれた刃先が戻る。

白眼の瞳が見開かれた。

接続が、切れた。

白い膜がひしゃげ、水路の壁へ叩きつけられる。耳のない体にも分かるほど鋭い振動が走り、白眼は千切れた接続を巻き取りながら、管理核のある岩の奥へ退いた。

追わない。

勝ったわけではない。白眼も、管理核も、まだ生きている。切れたのは、細い接続一本だけだ。

それでも、閉じていた横穴の石扉が、低い音を立てて半分だけ開いた。中から冷たい水の匂いが流れ出す。

俺はすぐには入らなかった。まず左右の骨片を回収した。欠けを確かめ、二個とも体内へ戻す。次に、入口へ細い水筋を流して戻りを待つ。毒の刺激はない。強い吸引もない。奥には浅い水溜まりがあり、少なくとも今の体を潤すだけの水がある。

そのとき、離れた水脈から声が届いた。

『そこより先へ、すぐ入らないで』

ルナの声だった。

「じゃあ、どこが安全?」

『安全な場所は答えられない。私が選べば、あなたの退路まで私の責任になる』

「ええ……そこは、こう、親切に右とか左とか」

『言えるのは一つ。水が怯えているのは、右奥』

声はそれだけを置き、決定を返してきた。

俺は半開きの入口、右奥の暗がり、左手前の浅い水溜まりを順に見た。安全を保証してほしい気持ちはあった。今すぐ誰かに決めてもらい、そのせいにして休みたかった。

だが、白眼に登録されかけた直後だからこそ、分かった。

選ぶのは、自分だ。

「左手前にする。逃げ道が見えるし、右の水は……たしかに、怯えてる」

『分かった』

「それと、ルナ。骨に話しかけたこと、笑わないでね」

短い沈黙のあと、水がくすりと揺れた。

『その名は、観測用の名前』

「え?」

『私の正式名はミレア。今は、それだけ』

通信が切れた。

俺はしばらく動けなかった。やっと名前を教えてもらえた喜びが、遅れて体の端まで広がる。同時に、「骨の話を笑わない」という約束は返ってこなかったことにも気づく。

「ミレアか。うん。いい名前。……でも、そこは否定してほしかったな」

横穴へ入った途端、体の芯で熱が弾けた。

乾きも痛みも、一気に押し流される。体がひと回り強くまとまり、さっきまで遠く感じた水溜まりの震えが、輪郭を持って伝わってきた。レベルが上がったのだ。

以前、遠隔の水刃を保とうとして、少し距離が開いただけで霧にしてしまったことを思い出す。俺は入口に一滴だけ残し、左手前の水溜まりから細い刃を伸ばした。今度は離れても形が崩れない。刃を寝かせ、落ちかけていた小石だけを押し戻す。

「できた……! 前は三歩で霧になったのに、入口まで届いてる!」

嬉しくて刃をもう一本増やした途端、二本ともぶるぶる震えて水へ戻った。調子に乗るのが早い。俺はしぼんだ刃を見送り、笑いながら体を水へ沈めた。一筋なら遠くへ保てる。二筋同時は、まだ無理だ。それでも、白眼へ届かなかった昨日の俺とは違う。

強くなった。けれど、嬉しさに任せて何でもできると思うのは危ない。接続を切ったときの重い消耗感は、全快したはずの核にも鈍い記憶として残っている。流路切断で断てるのは、外へ伸びた細い接続一本だけ。生き物の体も、太い水脈も、区画そのものも切れない。次に間違えれば、白眼へ水を返すだけでは済まない。

体の変化は、数字を見るまでもなく分かった。前は一度伸ばしただけで霧になった水刃が、入口から水溜まりまで形を保っている。深層感知も、ただ怖い暗がりとしてしか拾えなかった奥行きを、上流と下流、近い亀裂と深い空洞へ分けて伝えてきた。力が増えたというより、できなかった失敗を一つずつ避けられるようになったのだ。

それでも気になって、俺は自分の内側をそっと読む。レベルは八から九。裂けていた体は上限ごと満ち、魔力の器もひと回り広がっていた。攻撃も速度も上がった。水刃と深層感知は一段深まり、細い流れだけを断つ新しい感覚が核の横へ増えている。

そして、進化ポイントという欄が初めて見えた。

七点は急に手に入ったのではない。Lv1からLv8まで、管理核の隠し表示に埋もれていた分だ。Lv9になった今の一点を加えて、八点。白眼の接続を一部切ったことで、ようやく読めるようになったらしい。

通常候補の名は、マスタークラフトスライム。もう一つの希少候補は、条件不足のまま黒く伏せられている。

体内の赤い魔核が、また小さく痛んだ。

「食べないよ。進化もしない。見えたからって、すぐ使うと思った?」

強がってから、俺は浅い水溜まりへ体を沈めた。水は冷たく、減った分を静かに満たしてくれる。だが、腹の空洞までは埋まらない。苔の切れ端と肉片は、今食べれば一度で終わる。

食料はほぼゼロ。水場は得た。骨片は二個とも無事。赤い魔核は食べていない。

白眼は退いただけ。管理核も健在だ。

それでも俺は、半開きの石扉を自分の体で少しだけ押し、逃げられる幅を確かめた。それから右奥を避け、左手前に丸くなる。

「今日はここ。明日はごはん探し。ミレアに会えたら、骨が勇敢だったこともちゃんと説明しよう」


挿絵(By みてみん)


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