第18話 棚卸しの水音
横穴の空洞で最初にしたのは休息ではなく、在庫の確認だった。
赤い魔核は最奥。守護骨片は五。水晶片は三。保存肉は四分の三。藻は三つ。水は四単位半。数字にすれば短い。けれどどれか一つを使えば、次に作れるものが変わる。
素材を三つの区画へ分ける。今すぐ使うもの。試験に使うもの。食べても安全か分からないもの。赤い魔核の外側には水晶片を置いた。目印がある限り、空腹で取り出さない。
「赤い魔核は食べない。肉は半分残す。水晶は三枚……うわ、数えるたび貧しくなる。でも数えないと、俺は景気よく全部使う。信用ならないぞ、俺」
水中感知と流れ読みを重ね、横穴の入口から三つの水音を分ける。遅い流れ。砂を運ぶ流れ。一定の間隔で一度だけ弱くなる流れ。
水晶片を、壁際、入口の水路、自分の横へ置いた。
「一枚くらい素直に震えてくれ。俺の味方、今のところ石だけなんだ。……石に頼み込む人生、転生前にも想像しなかったな」
返事の代わりに、水晶は冷たく震えた。一度目は近すぎて反応が重なった。二度目は遠すぎて、変化がないのと区別できない。三度目、壁際の一枚だけを滴の落ちる場所へ寄せる。
他の二枚が揺れない間隔で、壁側だけが震えた。自然の排水なら、どこかで遅れる。ここは毎回、同じ拍で水が減る。
敵か、迷宮の仕組みか。まだ決められない。
「敵か仕掛けか分からない。分からないのに敵って決めたら、俺はびびって全部切る。今は『なんか嫌な水音』で保留だ」
次は水圧制御だ。帰路用の水には触れず、半単位より少ない水だけを浅い窪みへ集める。目的は力を測ることではない。重い骨片を、水が戻る前にどこまで動かせるかを測ることだった。
一度目は出口を狭めすぎた。骨片は動かず、反動だけが核へ返る。二度目は広げすぎ、水が骨の下へ潜る前に逃げた。三度目、流れ読みで戻る水が少ない瞬間を待つ。一瞬だけ押すと、骨片が一指ぶん滑った。
小さいが、帰れる動きだ。
守護骨片一つと水晶片一つで、仮のくさびを作る。骨は支え、水晶は水を返す。固定工程で同じ場所へ置くだけにして、秒を数えた。
三秒で水晶が傾く。四秒で骨の下の砂が抜ける。五秒で水晶だけが外れた。
ここで押し込めば、もう少し持つかもしれない。でも壊れた時の流れが読めない。俺は六秒を試さず固定を外した。成功した形より、崩れ始めた順番を残すほうが役立つ。
藻を半分だけ食べる。全部を使えば楽になる。だが壁の内側の一定の水音が、さっきより近い。見つかった時に一度だけ身体を濡らせる分を残す。
石が擦れる音がした。一度。間を置いて二度。
俺は思わず身体をすくめた。魔物の唸りとは違う。人間が、迷いなく近づく音だ。
「待った待った、来客なら三呼吸だけ待って! 罠は壊れかけ、家主は半乾き。歓迎できる要素が一個もない!」
俺は気配遮断を使わず、入口の水晶片を少し沈めた。さらに偽装流を水晶の横へ一筋だけ走らせた。Lv6の頃なら、囮を置いた時点で俺の魔力まで同じ場所に残った。今は違う。水晶の反射と偽の流れだけを先に揺らし、俺は乾いた壁際に残れる。餌ではない。相手が近づいた時に流れだけ変わるか、片そのものへ触れるかを測るためだ。
片は動かなかった。代わりに、水の量だけが一拍遅れて減った。
鉄槌を思い出す。返すべき道具を置いたままだった。煤けた重装具の女が亀裂の向こうに現れ、鉄槌の柄を見た。
「その鉄槌。どこで拾った」
「標識の脇。先に言っとくけど、食べてないぞ。俺だって持ち主がいそうな鉄槌まで献立には――今の間、疑ったな?」
俺が外へ出すと、女は柄の傷を確かめ、それから鉱殻片を見る。
「礼は受け取る。けど、その鉱殻を杭にするのはやめな。継ぎ目が死んでる。三呼吸目に水が抜けて、四呼吸目にはあんたの核が床飾りだ」
「床飾りは嫌だな。じゃあ、どこが死んでる? 俺にはまだ、硬くて便利そうにしか見えない」
女は答えず、鉱殻の端を鉄槌で軽く叩いた。高い音、濁った音、高い音。真ん中だけ水面が震えない。
「今の、説明だったのか? 職人の会話、難しすぎない?」
「聞き分けられないなら使うな。材料が泣く」
「泣かせたくはない。でも俺も死にたくない。三呼吸だけ、見ててくれ。壊す前に外す」
「二呼吸。三まで欲張る顔してる」
「顔ないのに!?」
俺は鉱殻を杭として押し込まず、流れへ斜めに立てた。一呼吸目、水が横へ逸れる。二呼吸目、濁った継ぎ目が白くなる。ここで外すはずだった。だが逃げた水が、狙った窪みへぴたりと入った。
「今の見たか? もう一呼吸なら――」
「馬鹿、手を離せ!」
三呼吸目。鉱殻が弾け、返った水が核を壁へ叩いた。
「痛ったあ! でも生きてる! 俺は! 鉱殻は……うん、そっちは割れた!」
「自慢する順番が違う。鉱殻は支柱じゃない。でも一度だけ流れを返す板にはなる。……今の外し方なら、悪くない。最後の一呼吸以外は」
「褒められた。九割くらい怒られてるけど、最後だけ大事に持って帰る」
「ヴァルカ。次に会った時、同じ失敗をしてたら鉄槌で止める」
「俺はグルト。止めるなら二呼吸目で頼む。三呼吸目は本当に痛い」
女は鉄槌を抱え、坑道の奥へ消えた。追えば相手の道を読む代わりに、俺の道を見せる。俺は追わない。
彼女を信じたわけではない。ただ鉱殻片を杭にしない理由と、三呼吸で割れるかを試す順番を手に入れた。棚卸しは、誰の言葉をいつ試すかまで先に決める作業だった。
女が消えた穴の前には、鉄槌を引きずった細い跡が残っていた。追えば、彼女がどこから来てどこへ帰るかが分かるかもしれない。けれど、その跡は俺が水を使わずに通れる乾いた道でもある。便利な道ほど、相手も戻る道にしている。
俺は追わず、跡の端へ水を一滴だけ置いた。滴は床に広がらず、赤い粉を少し浮かせた。粉は入口ではなく、横穴の壁へ寄った。女の道は下へ続くのではない。壁の内側に沿って曲がっている。
そこまで分かれば十分だった。次に必要なのは、道を知ることではなく、その道に入る前に戻る水をどこへ残すかだ。
鉱殻片も試した。杭にはしない。壁の傷へ、骨片の代わりに軽く押し当てる。三呼吸を数える。一呼吸目で表面に細い線が入る。二呼吸目で、水を返す角度が変わる。三呼吸目、片は割れなかったが、支えていた水が逃げた。
女の言葉は半分だけ正しかった。杭として使えば三呼吸で役目を失う。けれど、流れを一度だけ横へ返す板なら、割れる前に使える。
「ヴァルカの言うことを丸ごと信じるんじゃない。音を聞いて、壊れる前の二呼吸だけ借りる。鉱殻は支える杭じゃなくて、逃げる水を一回だけ曲げる板だ」
俺は鉱殻片の濁った部分を避け、守護骨の粉を縁へ薄く接合した。前なら、硬い素材は硬いまま押し込むことしかできなかった。今は魔力構造で、壊れる場所を残したまま、壊れる向きだけ選べる。
一度目は骨粉を厚くしすぎ、板がまったく曲がらなかった。二度目は接合を三点だけに減らす。水圧を受けた鉱殻板は、一呼吸目で水を横へ返し、二呼吸目で骨粉だけを剥がして元の片へ戻った。
「壊れたのに、素材は残った! 使い捨てじゃない、一回だけ働いて帰ってくる板だ! よし、お前は『一呼吸返し』。……名前はあとでヴァルカに怒られそうだけど、仕組みは成功だ!」
鉱殻片を回収する。新しい素材を得たわけではない。それでも同じ一枚で試せる回数を一回から二回へ増やせた。今の俺には、魔力が増えるのと同じくらい大きな成長だった。
その試行のあと、入口の水量がまた一拍遅れた。観察対象は俺が女と話したことまで見ているのか、それとも水の動きだけを測っているのか。答えを急ぐと、知らない相手を敵か味方に決めてしまう。
俺は鉄槌の跡も、女の言葉も、壁の傷も同じ区画へ入れた。今すぐ使わない情報。次に水路が変わった時、照らし合わせる情報。棚卸しが終わるたび、胃袋より先に頭の中の区画が増えていく。
入口の水がまた減った。今度は、さっきの一定の拍より半拍遅い。俺は女が通ったせいだと決めなかった。水を動かしたものが女なら、足跡と水量は同じ方向に変わるはずだ。けれど赤い粉は横穴側へ寄り、水だけが入口から減っている。
違う原因が二つ重なっているかもしれない。
だから、水晶片を一枚失うような大きな試行はしない。俺は入口の影へ身体を寄せ、流れ読みを三呼吸だけ使った。一呼吸目は水が減る。二呼吸目は壁の奥へ逃げる。三呼吸目には元へ戻る。
観察対象は、水路を閉じているのではなく、短い間だけ量を数えている。数えられているなら、俺も数え方を変えられる。次に入口を出る時は、水を一度に動かさず、二つの場所へ別の速さで流す。答えを得たわけではない。試す順番を一つ増やしただけだ。
俺はその場で次の試行をしなかった。今、自由に切れる試行は二回しかない。答えを急いで取りに行けば、帰るための水を答えの代金にする。棚卸しの最後に残すべきなのは、使い切った在庫ではなく、使わなかった一手だった。
空洞の奥には、女が残した赤い粉とは違う灰色の粉があった。俺は拾わない。粉の量も、流れで動いた形も、今は知らないまま残す。新しい素材を見つけるたび胃袋へ入れていたら、棚卸しはすぐに崩れる。取らないことも在庫を守る判断だ。
入口の水音が三度揃った時、俺は試行を終えた。今日は水圧の加減、固定の崩れ方、外から来た人間の言葉を手に入れた。これ以上を同じ日に取ろうとすれば、手に入れた順番まで曖昧になる。
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