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食いしん坊スライムはダンジョン最深部を目指す  作者: バナナ


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第17話 逃げ道を記録から外す

上段の亀裂は乾いていた。

安全だから乾いているのではない。白眼が水を送る価値を、まだ決めていないだけかもしれない。壁から身体を離すと表面が薄く裂け、戻れば下の水路へ繋がる。逃げた先で、俺は前より水に弱くなっていた。

保存肉を四分の一だけ溶かす。全部を使えば早く戻る。けれど次の退避中に飢えれば、赤い魔核へ手を伸ばす理由を自分で増やすことになる。

肉を核の周りへ回した時、壁の膜が一度だけ明滅した。

《保存資源:減少》

「そこまで書くなよ! 食事くらい見逃せ。腹が鳴るたび『ただいま弱っています』って旗を振ることになるだろ!」

なら地図に嘘を混ぜる。ただし大きな嘘は大きな損になる。俺は水晶片を上の段へ転がし、すぐ収納へ戻した。片を出す遅さも、しまう時の迷いも見せる動きだった。

階段の下から白い光が一本伸びる。

「来るなら来い! ……今のなし。できれば帰って。俺、まだ心の準備どころか罠の準備もできてない」

強がった声ほど、壁の冷たさに吸われて小さくなった。俺は水圧制御を使わない。昨日、最初に使った逃げ方だ。水を押す方向も、押した後に身体がずれる角度も、相手は知っている。そこで上半分だけを薄くし、流れを変えずに壁へ貼りついた。

「囮を置いた俺が、真っ先に囮へ戻ってどうする! ……でも光は濡れた場所しか追ってない。乾くのは嫌だ、痛い、ものすごく嫌だ。だから乾いた裂け目へ行く」

光はさっきまで俺がいた場所をなぞり、触れた水を細い板にした。攻撃ではない。次に逃げる空間を先に消している。

見せた水晶片は囮にならなかった。監視者は片より先に、俺が囮を置いた後でどこへ戻るかを見ていた。

「また帰り道から潰すのか。腹が立つな。だったら、俺じゃない帰り跡を食わせてやる」

守護骨片を一つ出した。重くて、水圧だけでは動かしにくい骨だ。表面へ水を薄くまとわせ、下の段へ押し出す。盾にはならない。守り獣の流路の残りを、俺の身体とは別の反応として混ぜるためだ。

白眼が三つ、骨片へ向いた。骨の青い跡が光を受けて明滅すると、三眼は俺から離れ、骨片の進路を塞ぐように下段へ並び直す。四つ目だけは動かず、俺が次に濡らす場所を待っていた。

全部を騙せないなら、一呼吸ぶんでいい。俺が上の乾いた裂け目へ身体を寄せると、四つ目の眼が細まり、入口の水を引き抜いた。乾いた側へ追いやり、痛みに耐えられず水へ戻る瞬間を狙っている。

俺は戻らず、守護骨片をもう半歩だけ下へ押した。三眼が骨を追って沈む。四つ目がこちらへ向き直る前に、核を後ろへ寄せ、壁のざらつきだけを頼りに裂け目へ滑った。水刃は作らない。

先には、守り獣が倒れた後にできた細い亀裂があった。水中感知では、主流路へ落ちる流れと、横へ抜ける流れが分かる。下へ行けば水はある。横へ行けば乾くが、管理の線は薄い。

迷った。水があるほうは今の俺には魅力的だ。けれど魅力的だから敵も俺が選ぶと読む。そこで壁の粉を一粒だけ流した。粉は横穴の途中で止まらず、奥へ吸われる。完全な行き止まりではない。

次に、自分の表面から水を一滴だけ落とす。下へ落ちた滴はすぐ中央へ寄った。横へ落とした滴は壁際へ残った。戻る時に水を残せるのは横だ。

「水のある下は、おいしそうで強くなれそう。横は乾いて痛そう。……くそ、俺の腹が選挙権を持ってたら絶対負ける。今日は横だ。長く悩めるほうへ逃げる」

俺は横へ入った。

骨片の周りに文字が浮く。

《守護骨:由来照合中》

「保留」

《優先度:低》

骨片の由来が定まらない間、三眼は下段に留まった。四つ目の白い光は入口まで伸びたが、乾いた岩へ触れると輪郭が崩れ、壁際の水だけを削って止まる。その止まった一呼吸が、俺の時間になった。亀裂は乾き、進むほど防水膜が薄くなる。それでも今は、濡れた道へ押し戻されるよりましだった。

もう一つだけ試す。流れ読みで、壁の表面ではなく水が消えている境目を読む。奥には小さな空洞があり、湿った藻が二つ残っていた。片方だけを胃袋にしまい、もう片方は入口近くに残す。採り尽くせば、ここへ戻る意味まで失う。

戦闘には勝っていない。けれど管理核が整えた一本道から外れた。入口の外で白い光が揺れる。追ってくるかを知りたくなったが、確認のために顔を出すのは、首を差し出すのと同じだ。俺は見なかった。

赤い魔核は食べない。骨片がなぜ低いと判断されたのかを調べ、乾いた場所で水を使わずに動ける距離を知る。敵が記録の外へ置いたものを、俺の手順にする。

空洞の壁には、細い傷が三本あった。最初は岩の割れ目だと思ったが、流れ読みを重ねると、三本とも同じ場所で水を止めている。一つ目は入口の水を少し逃がす。二つ目は壁の奥へ吸う。三つ目は何もしないように見えて、滴が触れるとだけ冷たくなる。

俺は三つ目へ藻の欠片を置いた。藻は軽い。もし壁の向こうに流れがあれば、すぐ動く。しばらく待っても動かない。代わりに、藻の表面だけが少し硬くなった。水ではなく、壁の冷たさを吸っている。

「動かないなら隠れ場所にはなる。でも食料庫には駄目だ。藻が干物になる前に、俺が干物になる」

試す価値はある。ただし長く触れれば、先に俺が薄くなる。俺は壁へ触れる時間を、遠い水滴が二つ落ちるまでと決めた。一滴目で表面の揺れが小さくなる。二滴目で核の周りが痛くなる。三滴目は待たない。

戻ると、入口の外で白い光が一度だけ移った。こちらを見つけたのか、骨片の照合が終わったのかは分からない。だから、壁の冷たさを逃げ道にする結論も保留にした。使える場所を見つけることと、使う順番を決めることは別だ。

入口側の粉だけが少し崩れた。外から流れが入った。奥の二つは動かない。白眼が中まで来ていないという証拠ではない。けれど、入って来るなら入口の水を先に動かすという仮説には使える。

「完璧な隠れ家なんて無理だ。だったら、見つかる一呼吸前に『来たぞ』って教えてくれる穴にする。……家賃が怖さなのは高すぎるけど」

俺は粉を残したまま、核を壁から離した。安心して眠るためではない。次に音が変わった時、何を捨ててどちらへ出るかを決めるためだ。退避路は隠れ場所ではなく、判断を一呼吸遅らせてくれる場所だった。

入口へ戻る時は、来た時の壁際を使わなかった。粉のない側を、核を小さくして通る。敵が粉を見ているなら、俺が粉の外側を選ぶことも読むかもしれない。それでも同じ壁を二度なぞるよりは、記録に残る形を少し崩せる。

外へ出る直前、入口の水が一度だけ増えた。外から来た流れが戻ったのか、誰かが測り終えたのかは分からない。俺は増えた水を回復に使わず、壁へ薄く広げた。水量が多い時ほど、急いで使った痕が残る。今は、戻ったという事実だけを覚える。

水が増えた時に何をしないかも、退避路の規則に加えた。

横穴の奥で、乾いた石が小さく弾けた。音は軽いのに、俺は反射で核を縮めていた。入口の外から白い光が差したのではない。ただ天井から砂が落ちただけだった。

「ぎゃっ! ……石? お前、石のくせに良い叫びを取るなよ。返せ、今の悲鳴。恥ずかしいだろ」

笑おうとして、うまく笑えなかった。怖さが消えたわけではない。それでも、怖いと口に出せたことで、身体の端に戻っていた力が少しだけ整った。

「笑うなよ、誰もいないけど。……待て。俺が縮んだのに、奥の粉は動いてない。来たのは入口の振動だけだ。だったら奥で一回、落ち着ける」

入口の粉印が、風もないのに一粒だけ転がる。俺は追いかけず、藻の欠片を抱えたまま奥へ退いた。ここで正体を確かめるより、次の一手を残すほうが大事だった。

核の底で、急に水の重さがほどけた。さっきまで一筋しか作れなかった薄い流れが、俺の身体から離れた場所で、もう一本だけ遅れて揺れる。Lv6のままなら、水を動かした瞬間に俺自身の輪郭まで引っ張られた。今は違う。俺が壁に貼りついても、反対側の浅瀬にだけ、俺が逃げたような小さな流れを残せる。

「え、今の俺、動いてないよな? なのに向こうだけ揺れた。……できた。俺じゃない『俺が逃げた跡』だ! やった、すごい、ちょっと待って、喜んで出ていくな俺の身体!」

勢いで入口へ半身を出し、白い光に縁を焼かれた。

「熱っ! 成功した直後に成功を台無しにするな! 分かった、一回だけ。偽装流は勝つ技じゃない。一呼吸、逃げ先を選ぶ技だ」

俺は偽の流れを一度だけ入口へ走らせ、白い光がそちらへ半拍遅れて向くのを見た。十呼吸は持たない。けれど、逃げるか隠れるかを決める一呼吸なら買える。偽装流は、敵を倒す技ではない。前の俺には作れなかった、俺以外の逃げ道だった。

《偽装流Lv1を獲得》


挿絵(By みてみん)


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