ゆき 4
誰も何も言わず、お茶を飲む音、紙をカサカサと開ける音が響いた。なんとなく学年主任の先生の前にも俺のポケットから出した飴を一つ置いてみた。
先生は苦い顔をしたが俺のあげた飴の包みを開けて口に入れた。
「ねぇ、ゆきには?それゆきも食べてみたい!」
ゆきの前に包みを開けた飴を一つこっそり置いた。
「ありがとう、落ち着いたわ。ごめんなさいね。
ヒステリックな母親だと思ったでしょう?」
「…………。」
「疲れてたのね…。色んな違和感を感じてるのに見ない振りしてあの子以外に原因を探してたのね。」
「………。」
「悪いのはうちの子じゃないって。あの子は普通の子だって思いたかった…。」
落ち着いた日野さんの母親は冷静に、悲しそうに、懺悔するように話し出した。
「あの子に違和感を覚えたのは幼稚園の頃だったわ。何の罪悪感もなく笑いながら虫を殺す姿を見てゾッとしたのを覚えてる。命は大切な物だと教えても分かったって言って隠れて殺すの…。何度も何度も…。その内私は見ないふりをするようになった。虫位なら良いじゃない。そんな言い訳をしてあの子と向き合うのを諦めたのよ。」
深く溜息をついて、
「あの子が大きくなるにつれて学校の先生から呼び出される事が増えてきたの。もっと家で人の気持ちが分かる子になるように教えて下さいって…。何度も教えたのよ。でも分かったって笑って同じ事を繰り返すのよ。中学に入ったら毎日楽しそうにしてたから安心してたの。そしたらある日、先生に呼ばれて学校に行ったら、1人の女性が待っていたの。泣きながら詰られたわ。私の娘のせいで病院に通ってるって。人生をめちゃくちゃにされたって…。」
顔を手で覆い疲れたように、
「それ以降は娘が何をしても何も言わなくなった。言っても仕方ないじゃない!変わらないんだもの。代わりに私は相手を責めるようになったわ。あの子は悪くないって…。悪いのはあの子をそうさせた相手だって。最低な母親で最低な人間だわ…。」
「………。」
「ごめんなさい。貴方にも同じ事をしたわ。」
学年主任が俺を見る。俺が何も言わないのを見て、何か言おうとするが俺は目で制する。
暫く沈黙が続いていたが、意を決したように顔を上げてぎこちなく笑った。
「あの子と向き合わなきゃね。病院にも相談しなきゃいけないかも知れない。でもそろそろ逃げるのを止めないとね…。貴方にもきっと酷い事をしたんでしょうね…。」
俺はやっと口を開いた。
「実は俺も結構酷い事を言いました。」
今まで黙っていた俺が口を開いたのでびっくりした顔をして、
「何を言ったの?」
「内面の醜さが顔に表れてる醜い顔だって。」
「………。」
「なかなか酷い事を言ったでしょう?しかも俺、その前に彼女に告白されてたんです。その男に鏡を見てみろって…。醜いぞって…。」
「………確かになかなか酷いわね……。」
「えぇ。なかなか酷いです。」
「何でそんな事言ったの?」
「彼女が俺の過去を調べて貶めようとしたからです。告白を断った腹いせに。皆の前で大声で昔虐められていたんだろうってね。」
「……ごめんなさい…。」
「いえ…、だから俺も皆の前で言ったんです。」
「「醜いって。」」
日野さんのお母さんと声を揃えて言った。
「ふふふ…、分かったわ。酷い事を言ったけど貴方は被害者だった。うちの子が元凶だった。」
「俺の言う事を信じるんですか?他の人の話も聞いてみた方が良いですよ。」
「ううん。きっと貴方の言い分は正しいと思うわ。あの子を見てきた私がそう言うんだもの。だからもう良いの。」
日野さんのお母さんは吹っ切れた顔をして、
「貴方不思議な子ね。貴方と話してたら気持ちが軽くなった気がする。肩の荷が降りたっていうかもう降ろしても良いって思えたっていうか…。」
「いいえ、俺は何も…。貴方は既に自分の中に答えを持っていたんです。疲れたでしょう?貴方の心が癒える事を願ってますね。」
「ふふふ。本当に不思議な子ね。うちの子は性根が悪いけど男を見る目はあったのかもね。」
「……初めて言われました……。」
「ねぇご主人、このおばあちゃんの事どうするの?」
ゆきがテーブルに乗って俺を見上げながら、シッポで日野さんのお母さんの方を示す。
う〜ん…、どうしようかなぁ…。
「ねぇ、こんなに頼んでるんだよ。可哀想だよ?」
「先生、少しだけ日野さんのお母さんと二人だけで話させてもらえませんか?」
日野さんのお母さんと先生はびっくりした顔をする。先生が、
「それは駄目だ。悪いが認められない。」
…だって…。諦めようよ…、ゆき…。
「駄目だよぉ…。こんなに頼んでるんだよぉ…。」
仕方がない…。もう少し粘るか……。
「先生お願いします。決して悪い話はしないです。」
「俺の前じゃ駄目なのか?」
「……これは俺の秘密の話だからです。先生にも知られたくない。でも日野さんのお母さんには必要な話です。」
「う〜ん…。」
先生は頭をガシガシ掻いて困っている。
「先生、もしも私を信用して頂けるならば私からもお願いします。この子に酷い事は言いません。」
「………、俺はちょっとトイレに行ってくる…。すぐに戻ってくるからな…!」
先生は席を立って部屋を出ていってくれた。
さて…、どう話そうか……。
日野さんのお母さんは不思議そうな顔をして、
「話って何かしら?」
「……俺が虐められてたって言う話…、あれはちょっと違くて…、正しくは怖がられてたんです…。」
「怖がられてた?貴方が…?」
「えぇ。俺…、普通の人には視えないものが視えるんです。」
日野さんのお母さんは、はっと息を呑んだ。
「何でこんな事を言い出したかと言うと…、貴方の後ろに年配の女性がいるんです。ずっと心配して貴方を見守ってる。お綺麗な方です。目元に泣き黒子があって、綺麗な花柄のワンピースを着てる。髪はお団子に結んでます。」
「……母です…。」
震える手で口元を覆う。
「ずっと心配かけてたのね……。親不孝者ね…。」
涙が頬を伝い落ちる。先程の感情的な涙とは違い、ただただ流れ出る涙だった。
「その方がですね、日野さんを…、お嬢さんを任せろと……。」
「……どういう事?」
「貴方をここまで苦しめた子を、孫とはいえ許せないと…。性根を叩き直してやるって…、怒ってるんです…。」
「……ふふふ…、そうです。母は嫋やかな見た目に反して厳しい人でした。小さい頃は怖かった。悪い事をすると、蔵に閉じ込められるんです。真っ暗な蔵に…。今でも泣きながら謝ったのを覚えているわ。」
懐かしそうに目を細めて微笑む。
「そう…、私一人で頑張らなくても良いのかしら…?母が一緒にいてくれるのならば、私…もう少し頑張れそう…。」
「任せろ…ですって…。ただし、少々お灸の据え方が厳しくなるけど、甘やかすなって。お前は手を出すなって…言ってます…。何をするのかは教えてくれません。」
「私はどうすればいいの?」
「今まで通りに。日野さんが何かをやったり考えたり人の道を外れそうな時には彼女がお灸を据えるそうです。その時は手を出すな、だそうです。見守れ、と。泣いても暴れてもただそこに居て見守りなさい、だそうです。」
「分かったわ。」
「貴方は昔からこうして視えてたの?」
「えぇ。」
「大変だったでしょう?」
「えぇ。だから不吉な事を言う子供だ、嘘つきだって、遠巻きにされてました。」
「そう…。大変だっわね。」
「幸い、母が神社の家系だったので身内には理解されていたので孤独ではなかったです。」
「そう…。でも隠しておきたかったでしょう?私たちの為にごめんなさいね。」
「いいえ。貴方のお母様にどうしても頼まれたので…。」
「………私からも頼んでもいい?母と話、出来ないかしら?貴方を疑ってる訳ではないの…。ただ私がもう一度母と話をしたいの…。」
う〜ん…、俺そういうのやった事ないからなぁ…。
せっかくだから望みを叶えてあげたい気持ちもあるが、どうすればいいのか分からないでいると、
「ご主人!ゆきがっ!ゆきが出来るよ!!」
”ゆきが?駄目です!そんな危ない事はさせられません!ゆきに何かあったらどうするんだ?“
「大丈夫だよ!だってゆきは、ゆきは…、出来るもん……。大丈夫だもん…。」
”でも…、俺…ゆきに何かあったら……。“
「大丈夫だよ。ゆき、出来る気がするもん!
ねぇ、ご主人。お願いぃ…。」
前足を俺の腕にかけて見上げられる。
くぅ……、可愛い…。
更に目がうるうると潤んできた…。
「ねぇ…ご主人、ゆき出来るからぁ…。」
「………何かあったらすぐに止めるからな…。」
急に黙りこみ、急に話し出した俺にびっくりしたのか日野さんのお母さんは不思議そうに俺を見つめた。
「日野さんのお母さん。貴方の願いを叶えるすべを俺は持ってません。」
日野さんのお母さんは少し悲しそうに頷いた。
「そう…。」
「だから助っ人に頼みます。」
「えっ?」
「ゆき、おいで。」
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ポンッと机の上に白い猫が現れた。
えっ……?…何…これ……?夢…?
「夢じゃないよ!ゆきだよ!」
喋ってる……?やっぱり夢かしら…?
「夢じゃないってば!ゆきだってば!」
私は混乱して娘が迷惑かけた同級生の男の子に目を向けると苦笑いして、
「俺の相棒でゆきっていいます。驚かしてすみません。」
「相棒?ご主人、相棒って何?」
「相棒っていうのは俺を助けてくれるなら仲間の事だよ。」
「相棒!ゆきご主人の相棒なんだねっ?」
白い猫はシッポとヒゲをピンッと伸ばしてクリクリの大きな目に喜びをのせた。
…可愛いわ……。
自分の目元が緩むのを感じる。
男の子、奏多君曰く、私の母をゆき君の中に入れてもらえば会話が出来るそうだ。
自分で頼んでおいて本当に出来るなんて……。
「ゆき君、大丈夫?無理しなくても大丈夫よ。おばさんが我儘言った事でゆき君に負担をかけちゃうのは申し訳ないわ。嫌なら嫌で良いのよ?」
「ゆき、出来るよ!ゆきは立派なオス猫で、立派な使い魔で、ご主人の立派な相棒だもん!」
胸を張ったゆき君はやる気満々で可愛かった…。
「じゃあお願いします。無理はしちゃダメよ?」
「分かった!おばさん怖かったけど良い人だね。
ゆきの事撫ででも良いよ!」
そうっと白い毛を撫でるとふわふわしていた。コトコトと近づいて来たので思わず抱き上げると、その温かさに泣きたくなった。
小さくて軽くて温かくて、あの子が産まれた時の事を思い出した。
(あの子をもう一度可愛いと思えるようになるかしら……。)
「なるよ。」
いきなりゆき君の口調が変わった。びっくりしていると、ゆき君が私の腕から抜け出して私の前に座った。先程までの可愛らしいゆき君ではない。凛とした表情で私をひたと見据えて、
「お前がまた香織を可愛いと思える日が来る。その為に私がいるんだ。」
「…お母さん?」
「あぁ。お前にそう呼ばれるのも久し振りだね。」
呆然としてしまったが考える前に涙が溢れてきた。
小さい頃母によく叱られた事。箸の持ち方が違うと怒られ泣きながらご飯を食べた事。公園で遊び疲れておぶわれて帰ってきた事。友達とケンカした時一緒に謝りに行ってくれた事。年頃になって母親に冷たくした事。死に目に会えなかった事。
次々と記憶が蘇る。
香織を育てる時、母がいてくれたらと幾度となく悩んだ事。助けて欲しかった事。
いつの間にか私は机に突っ伏して泣いていた。
母は黙って私の話を聞いて、ゆき君の前足で私の頭を撫ででくれていた。
やっと私の涙が止まった頃、
「相変わらず泣き虫だね。考え過ぎなんだよ。完璧な母親になろうとするから動けなくなっちまったんだよ。まぁ、少々難しい子供だからお前が悩むのもしょうがない。お前一人では手に余る子供だから、手を貸してやるよ。」
私は言葉にならずコクコクと頷く事しか出来ない。
「ならば私に良い考えがあってね。あの子が何かしでかした時には、食事全てが塩辛く感じるようにしてやるよ。」
「ゴホゴホ…」
奏多君がいきなり咳込んだのでそちらに目をやると「坊主が良い知識を持ってくれてたからね。」
母がニヤリと笑った。
「あの子はお前を責めるだろう。でもお前はいつも通りに暮らすんだ。ブレちゃいけないよ。いつも通り食事を作っていつも通り接するんだ。私は夢にでも出て警告しておくから、お前は毅然としておきな。」
「あの子の性格は持って生まれたものだ。お前の育て方じゃない。私が何かしても変わらないかも知れない。変わったとしても何年もかかるかも知れない。でも抑止力にはなるだろうよ。人様に迷惑をかけないで生きていく為の力にはなる。」
「お前はもう一人で頑張らなくて良いんだ。一緒にあの子を育てようじゃないか。」
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ゆきの雰囲気が変わってから俺はヒヤヒヤしながら二人を見ていた。申し訳ないけどゆきの負担になりそうな時にはすぐに祓うつもりだった。
結果、ゆきは優秀だった。依代としての役目をきちんとこなし、なおかつ元気に帰ってきてくれた。
俺はゆきを抱きあげてホッと息をついた。
お読み下さりありがとうございます。
明日も続きを投稿します。




