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3 氷河を越えて

 この日、ニールとカーラの家は夕食の時を迎えていた。アフマドは帰宅していたのだが、ハディージャだけが夕闇のころになっても帰宅しなかった。

「息子よ、ハディージャはどうして帰宅しないのか? 何か事情を知っているか?」

 ニールとカーラは、不安をうまく隠すように、つとめて穏やかな口調でアフマドに質問した。だが、アフマドも思い当たることはなかった。

「僕も知らない」

 ニールとカーラは何か尋常ではないことが起こっていると感じた。先日の牛鬼襲来と撃退騒ぎ以来、ハディージャとアフマドの周囲は、何かと彼ら家族を特別視ししていた。ニールとカーラは心を騒がしつつ、近所に聞き回った。

 父母二人の様子を見て、アフマドもハディージャの身の上に何かが起きているのではないかと考え始めた。彼もまた、考えつく限りの準備を整えてハディージャを探しに出かけた。


 近所の人々は、誰もハディージャを見かけてはいなかった。ニールとカーラは最後に神官ケチェット・ベリナウアーの住まう住居を訪ねた。

「神官様、ハディージャが失踪しました。近所の人たちにも聞き回ったけど、誰も見かけなかった、というんだ。先日の騒ぎのこともあるし、心配で…」

「そうか……あいにくだが、私は力になれない。あんた達のところの子供達は、我々の間では触りたくない存在なのだよ…あんた達の子供は、まるで牛鬼達を吹き飛ばしたように見えたから……」


 だが、この神官は心の中で独り言を言った。

「ただ、カミーユブーバル様は、彼ら二人をなぜか興味ぶかそうに見つめていたな…だが、アフマドとハディージャは恐ろしい現象を起こしたかもしれない存在なのに、守護神様はどこに興味を持つというのだろうか?」

 ケチェットは、何か胸騒ぎのようなものを覚えて、彼らの守護神カミーユブーバルの神殿をたずねた。


 カミーユブーバルの神殿は、村から少し離れた小高い丘にあった。神殿へ昇っていく階段の周囲やそのほかの神域は、全て森と静寂とにおおわれていた。階段を上り詰めた境内には、小さな祠のような神殿とベッドほどの大きさの石製祭壇だけがあるだけで、その周囲は背の高い針葉樹林が迫っていた。

 階段を登っていくと、境内から時々娘の悲鳴のような声がかすかに聞こえた。ケチェットは、まさか、と心を騒がせながら階段を登った。境内に辿り着いた時、彼が見つけたのは石の祭壇に縛り付けられたハディージャだった。


 祭壇の前では、ケチェットの息子のひとりである神官スレクレットが、仰々しく声を上げていた。

「われらが守護神よ、人間を雷同させて導き、人間を飼い、人間を活用し、それにより力を現わされる守護神よ、強く、強く、強く守り導き給え」

「われらが守護神よ、人間を雷同させて導き、人間を飼い、人間を活用し、それにより力を現わされる守護神よ、強く、強く、強く守り導き給え」

 何度もそのような言葉が語られると、神官スレクレットは祭壇上のハディージャに話しかけた。

「ハディージャ、お前はカミーユブーバル様へ栄誉ある生け贄として、此処に供えられるのだぞ…光栄に思えよ…」

「放してください! 私はそんなこと、望んでいません!」

 ハディージャは、神官達に食ってかかるように、声を張り上げた。神官達は、すこしばかり気圧されながら、空威張りを続けた。

「なんだと! 人類はこのような生きの良い生贄を得るために、放牧して自由を与えられているのだ」

 神官スレクレットはハディージャをなんとか黙らせようと、彼女の体を押さえ込んだ。

「いやー!」

 ハディージャの悲鳴を聞いて、ケチェットはは顔を蒼白にして息子達を怒鳴りつけた。

「何をしているのだ!」


 スレクレットは、平然とした顔を父に向けて答えた。

「父上、これは我らの神、カミーユブーバル様のご意向ですぞ! まずは、この娘をカミーユブーバル様に味わっていただき、そして、我々神官が味わい、あとは牛鬼ともにくれてやります」

「うぉー」

 神殿の周囲にいつの間にか潜んで集まっていた他の神官たちが歓声を上げた。それを聞き、神官スレクレットは大きな声で宣言した。

「さあ、儀式を準備せよ」

 その掛け声と共に神官たちはハディージャに殺到し、彼女の衣服をむしり取り始めた。この時、ハディージャは断末魔のような悲鳴を上げた。

「ぎゃー!」


 神殿から遠く離れた村で、彼女の悲鳴を聞いたものは、当然ながら誰もいなかった。アフマドも、それを聞いてはいなかった。だが、祭壇の奥の神殿にはハディージャとアフマドの杖が奉納されており、その杖からの知らせが神殿からアフマドに届いた。彼は具体的なことを把握できないまでも、心のざわめきを覚えて神殿に様子を見に行くことにした。


 アフマドが神殿への階段に取り付くと、その上空には黒雲が漂っていた。そのうえには、地区の守り神カミーユブーバルが座乗していた。また、境内の周囲の森には、既に多くの牛鬼達が密かに集結していた。彼らは、そこで、ハディージャの悲鳴を聞きながら、この獲物が捧げられるのを舌なめずりしながら待っていたのだった。


 神官の一人が解体用の長刀を運んできた。それを見たハディージャは、一層激しく抵抗を始めた。神官たちは激しく抵抗するハディージャを押さえつけ、彼女の服を剥ぎつづけた。


「ハディージャ!」

 その時、ちょうどアフマドが階段を登り切ったところだった。アフマドは、その恐ろしい光景を前にして、思わず祭壇のハディージャへ走り寄って大声を出した。彼は神官たちを弾き飛ばし、解体用の刃物を右手にとった。同時に、奉納してあった杖がアフマドの左手に飛来した。

 彼は、あっけにとられた周囲の者達を睨むと、服を剥ぎ取られたままのハディージャの束縛を解き、そのまま彼女を肩に抱えて逃げ出した。


「に、にがすな! とらえよ」

 上空のカミーユブーバルは、この地で今まで人類たちに抵抗されることが無かった。そのせいか、アフマドがあからさまに反抗して走り去ったことに驚き、彼の反応が遅れた。それでも、神官達や牛鬼達にすぐに指示を出した。


 恐ろしい唸り声、吠える声とともに牛鬼が追いかけてきた。彼らは、味わうはずだったハディージャを横取されて激怒していた。そのうしろには、牛鬼たちをけしかけるように指示をしている牧者、カミーユ・ブーバルの巨大な影が見えた。カミーユ・ブーバルの本性は巨大な黒い怪物だった。


 アフマドは、ハディージャを抱えたまま村を飛び出し、広大で薄暗い樹林地帯を走り抜けた。そこでようやく後続の牛鬼たちを振り切れたようだった。

 アフマドは、以前両親に聞かされていた森林地帯に隠された廃屋に潜んだ。廃屋の隣には、やはり廃屋となった室があった。室の廃屋には、彼らの父母が数年前に用意した様々な装備があった。彼らの衣服、父が捕らえ母が縫い上げた毛皮製の外套とマント、ハディージャがいつも被っているベールの替え、そして毛皮製のブーツ、数週間分の干し肉と干し果実と、そして地図が用意されていた。ここで、ようやく二人は落ち着いた。

「あ、あの…ハディージャ? 怪我はない、かな?」

 アフマドは十歳を過ぎてから、肌を晒したままの彼女を抱えたことはもちろん、そんな状態の彼女にふれたことなどなかった。それもあって、彼は彼が抱えてきた彼女がまだまともな物を身につけていないことを気にして、いつにも増して気を遣って恐る恐る質問した.ハディージャは、彼が必死の思いで助けてくれたことにより、安心と感謝そして彼への想いと恥じらいなど、いろいろな感情が湧き出て、何を返事したら良いかわからなかった。

「う、うん……」

「ここの周囲には、何があるんだろうか? 地図があるから周囲を見て来るよ……その間に、なにか服を着ておいて!」

「うん、でも気を付けてね」


 地図によれば、そこからさらに北へ行けば、裸の牛鬼たちが耐えることのできないツンドラと氷河の世界が広がっているということだった。アドマフは、森林地帯の先にあるツンドラ、そしてその遠くに見える山岳地帯と氷河とを確認した。そこは、人類はおろか守護神カミーユブーバルの手の届かない未踏の地だった。地図によれば、その谷あいの氷河地域に「氷河の中の残骸?」という印がつけられていた。またその地点について、地図には「ハディージャとアフマドの眠っていたところ」とも記されていた。

 アドマフは、森林地帯から出ることなく、外のツンドラ、山岳地帯の氷河を見渡しながら、地図と実際の地形とを確認した。

「森林までは村の人々もさすがに来たこともあるだろうな......でも、この先には何がいるか、分からない......お父さんの字で『氷河の中の残骸』と書き込んであったから、お父さんたちは氷河まで行ったのか......それなら僕たちも......」

 アフマドはそう独り言ちながら、ハディージャの待つ廃屋に戻った。だが、まだハディージャはろくに服を身に着けていなかった。

「ええ!? ハディージャ!? どうして? 何か問題があったのかな?」

「あ、アフマド、こっちを見ないで! あのぅ、ここに準備されていた服は数年前の子供用のセットなの……今の私にはどうしても足りない下着があって...」

「え!? そうなの? ぼ、僕、女の子の服装が分からないから…」

「でも、アフマドは、私と一緒に生活しているのに......私が普段身に着けている装具を知らない筈は......」

「ぼ、僕は見ないようにしていたから……見ちゃいけないから……」

「でも、貴方もわたしも幼い時から一緒に生活して来たじゃない......それなのに、何を恥ずかしがっているの?」

「僕は、十歳から貴女に対して、目を合わすことも見ることも出来なかったんだ......」

「でも、私が最初に身に着けたいものがないの......」

「最初に身に着けたいものって?」

「もう! わからないの!? 胸の下着のことよ!」

「ええ? それを僕が見つけて来い、というの?」

「でも、私、こんな格好で外へはいけないわ! むろに行くには一端は外に出なければならないのよ!」

「僕が、探すの?」


 アフマドにとっては、室の中で、彼にとって見てはいけないものを探すということは、非常に困難な作業だった。

「こんなこと、いやだなあ 目にしたくないのに......目にしちゃいけないのに......」

「あ、あの、アフマド......見つかったかしら……」

 隣の廃屋から、ハディージャの不安そうな声が聞こえてきた。いくら引っ込み思案のアフマドであっても、ハディージャをいつまでも待たせておくことはできなかった。

「胸の下着って、こ、これなのかな?」

「あ、ありがとう……え!? これって単なる白い布帯よ……胸に巻き付けろ、というのかしら……」


 二人はすっかり毛皮製の装備を身に着けて装備装束の準備は完了した。最後にハディージャがベールをかぶると、二人はニールとカーラがが用意してくれた室などに別れを告げ、ニールとカーラが二人を見つけたという、氷河を目指した。このあとの二人の道行きを、誰も見ることはなかった。


 ツンドラには、管理された牛鬼とは異なって、野生の獰猛な魔獣がうろついていた。

「あ、あれは?」

「そうだ、牛鬼たちをも襲う獰猛な魔獣だ」

「あんなにたくさんの魔獣たちが徘徊しているなんて......」

「どうしようね」

 元はこれらの魔獣も、かつては、今の牛鬼たちと同様、カミーユブーバルのような魔族たちが家畜として持ち込んだ筈だった。二人が、これらの魔獣たちを目にしてうろたえているとき、シェイベットは、細かく震えた。そこから小さな電がそれらの魔獣めがけて飛来していくと、先ほどまでツンドラ中を走り回っていた魔獣が何かに追われるようにして、走り去ってしまった。こうして、ハディージャとアフマドは、住み慣れた地域をあとにしてツンドラに足を踏み入れ、真っ直ぐに氷河の広がる山脈へと進んでいった。


挿絵(By みてみん)


「ねえ、アフマド......私たち、何処へ行くの?」

「あそこには、村を監視する神殿がある......村にも戻れない」

 二人は、後ろを振り返りながら、言葉を交わした。

「お父さんとお母さんが用意してくれた旅の装束....どう見ても婦人用というより大きな子供用といったところだったけど」

「そうかい? でも、何とかなったな」

 アフマドはそう言って一人で納得していた。ハディージャの方は、もじもじしながら歩いていた。彼女にとって、ある程度大きいからとはいえ、所詮女児用に過ぎない服装は着用した具合に大きな違和感があった。

「ねえ、アフマド、もしちゃんとした服があったら、買いたいな」

「ちゃんとした服? 足りないなら、僕の予備を使う? パンツもシャツもあるよ」

 アフマドがそういうと、ハディージャは彼を睨んだ。

「ねえ、アフマド、それを私に着せるつもりなの?」

「そうだよ、もちろん洗濯したものだよ……ハディージャの見つけた女児用よりは大きいから、着用できるよ……穿き方が分からなかったら、僕が教えてあげるよ」

 ハディージャは、彼女の連れ合いがあまりに知識不足であることに驚いたものの、顔には出さずに済ませることが出来た。ただし、彼女は暫く口を聞かなかった。アフマドは、何か悪いことを言ったらしいと気づいたものの、何が悪かったのかを悟ることは、彼にとって極めて困難なことだった。

 こうして、二人はツンドラを越えた。


挿絵(By みてみん)


 ふと二人は後ろを振り返った。彼らが進んできたはるか後ろには、月に照らされた針葉樹林があり、その向こうに神殿のあった山と村のある丘が見えた。麓の混合樹林の先には牛鬼たちが棲む湿地帯が広がっているはずだった。


 氷河地帯に入ると、いたるところにクレバスがあった。二人は助け合いながら、黙ったままバスを越え、急峻な氷の崖を越えていった。

「あの、アフマド、お願いがあるの......」

 アフマドは、ハディージャがクレバスを跳び越えようとする都度に、手を差し伸べていた。クレバスを越え、氷の崖を越えてしばらく行った時、ハディージャは恥じらい思いつめたように、アフマドに声をかけた。今まで寡黙だったアフマドも、驚いたようにハディージャの顔を見つめた。 

「え、なに?」

「あ、あのね……私の手をずっと握っていてね……」

「え、手をつなぐの? だって、僕なんかがハディージャとそんなことをしちゃあいけないんじゃないの?」

「ねえ、お願い……」

 アフマドは、ハディージャの口調に不安感を感じ取って、恐る恐るハディージャの手を取ってつないだ。このあとの二人は、手をつないだままであったこともあって、多少ギクシャクしながらも氷河を渡って行った。


 こうして氷河の終えた辺りに、地図で示された洞くつが見えてきた。

「あそこに、洞窟があるわ」

「あのどれかに、僕たちが眠ったまま納められていたゆりかごが残っているらしいよ」

「ゆりかご?」

「お父さんとお母さんが、そのゆりかごの中に眠っていた僕たちを見つけてくれたんだ」

「このシェイベットも、ゆりかごの中にあったということだったわ」

「お父さんたちは、ここまで来たということだよな......何をしにここまで来たんだろうか?」

「二人は、ここにきて私たちを見出したことをきっかけにして、二人だけで家庭を築くことにしたらしいわ」

「ここに導かれて、二人だけで家庭を持つ約束を交わすことになった……村のおきてと異なった行動は、そこから始まったのかな」

「ここに何かがあったから?」

 二人は様々なことを思い出しながら、ここまでの考察を展開した。二人は村の誰よりも頭脳が明晰だった。こう言いながら、二人はある一つの洞窟を探り当てた。その中には、二人が赤ん坊の時に眠っていた双胴の搭乗カプセルと涙滴型の細長いカヤックのような飛行装置の残骸とが残っていた。この時の二人にはわからなかったが、それらはこの時のこの星が有している涙滴型氷柱の宇宙船と形は似ていたものの、放射線の減速材になりえる氷柱で形成されているのとはちがって、放射線を簡単に通してしまうチタニウムカーバイト製であり、放射線は電磁場によってよける構造となっていた。ただ、不思議なことに動力源がなにも見当たらなかった。


「ここまで、どうやって飛んできたのかしら?」

 ハディージャは、ポツリと口走った。アフマドも、驚いたまま戸惑ったままの口調で、答えた。

「そ、そうだね……打ち上げ花火だって、推進装置を備えているものね」

「推進装置? そんな噴き出し口らしいものだけは....…どこにも見当たらないわ」

 その意味を、アフマドが補った。

「ということは、誰かが運んできたのだろうか?」

「誰かって? 空を飛べる何かが運んできたのかしら? コウノトリの伝説は本当なのかしら?」

 ハディージャは推定の結論に驚いた。アフマドも驚いた口調で続けた。

「コウノトリ? そんなバカな?」

「じゃあ......どういうことかしら? 何が運んできてくれたのかしら?」

 ハディージャは、ふたたび、ぽつぽつと独り言のようにつづけた。

 こう言いながら、二人は双胴のカプセルを調べた。すると、カプセルのあった搭乗席には、謎の言葉の羊皮布があった。

「氷河の向こう、幻の都市、神殿都市こそは、魔族の巣窟......警戒すべし」

 そこには そう書いてあった。


「これは、どういう意味なのかしら?」

「誰かに当てたメモ? それとも覚書? かな?」

 アフマドはハディージャの思考を辿っていた。ハディージャはアフマドの出した言葉を、さらに展開した。

「ここに私たちを運んでくれた誰かが、誰かにこのメモを遺してくれたのかしら? それとも決意を固めるために、このおぼえを書き留めたのかしら?」

「いずれにしても、僕たちを此処まで運んでくれた誰かは、何をしようとしたのか......つまりは、氷河の向こうにあるという神殿都市に行けば、分かるんだろうね」

「え? 魔族の巣窟だって書いてあるわ……そこへ行くの?」

「でも、ここに残っていても、袋小路だから……じゃあ、ハディージャはここで待っていて! 僕がその神殿都市へ行ってみるよ」

「そんなのヤダ!」

 普段のハディージャとは違って、猛然とした剣幕でアフマドに食って掛かった。アフマドは驚いてしばらく口がきけなかった。

「で、でも、危ないところに行くんだよ」

「私も行く! 一緒に行く!」

 ハディージャは、さらに強い剣幕でアフマドに迫った。アフマドは、普段のハディージャとは違った激しさに戸惑った。

「僕は貴女を守れる自信がない……」

「いいわ、私の命は貴方のものだもの......」

 ハディージャは、思わず心に秘めていたアフマドへの思いを口にしていた。アフマドは驚きの余り、彼女のセリフにつられて彼の心の中を口走った。

「それ、どういう意味? 僕の命は、たしかにハディージャのものだけど......」

 ハディージャは、それを聞いて、ウフフと笑った。アフマドもつられて笑った。こうして二人は、手を取り合って氷河の向こうへ行くことにした。


 二人は再び氷河を遡る道をたどり始めた。

 辿り始めた際には、天空へと続くかに見えた氷河だった。それがこの氷河の上流部では、下流部よりも幅が3倍以上の巨大な氷の欠片たちを抱く大氷河になっていた。その氷河を、二人は今まで以上に時間をかけて、横切って行った。

 この辺りではは、上流ならではのクレバスの深さ、今までより大きくそびえる崖のような氷の断崖、そして氷の断崖から降り注ぐ冷水の滝、が彼らの行く手を阻んだ。天空はスカイブルーからグレーブルーの深い青となっていた。二人は迂回し、時には跳び越え、時には道なきところに道を見出しながら、進んでいった。

 やがて二人は、吹雪の中を氷河が削った崖の淵へたどり着いた。激しい吹雪に吹きとばされそうになりながら、崖の淵から見下ろした眼下には、二人が渡ってきた氷河と別の氷河に挟まれた広大な平坦部がかすかに見えた。そして二人が目を疑ったのは、今までの山間部とは似ても似つかない広大な都市空間が広がっていることだった。


「あ、あれは!?」

「周囲は氷河なのに、あそこだけ平坦だ」

「でも、U字型の鍋の底のような形状ね……ということは、おそらくやはり氷河によって形成された谷あいね」

 その平坦に見えたところは、おそらく地殻変動以前に氷河によって削られて形成された谷のようだった。ただし、吹雪の中かつ距離が遠いこともあって、都市空間をはっきり観察することはできなかった。


「私たちの村に比べても、はるかに大きい規模の町ね」

「ここは、町というより都市といったほうがいいね……何かが動いているように見えるけど....なんだろう?」

「おかしいわ……こんなところに都市があるなんて?」

「何かが動きまわっているね」

「虫かしら?」

「虫? こんな寒いところに虫がいるはずないよ……それに虫にしては巨大だよ」

「あの奥の大きなものは何かしら?」

「あれは城郭なのかな? 大きな建物だね」

 彼らに見えたのは、都市空間に蠢く黒い虫、その最奥に見える巨大な城郭のような建物だった。


 二人は、その光景にしばらく身動きをすることさえ忘れた。今まで見たことのない規模の都市が、こんな山奥にあるなどと、見ている彼ら自身が信じられなかった。

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