第十話 石を、積む
式が終わっても、僕は王都を出してもらえなかった。
館に戻された次の朝、見たことのない、若い役人が来た。
「英雄殿の追放は、取り消されています。ですが、裁きの日まで、王都に留まっていただきます。この件の証人ですので」
裁きは、式から三日後、同じ広場で開かれるという。民の怒りが大きいので、王がすぐに裁くよう命じたのだと、若い役人は言った。
*
裁きの日の朝、広場は、式の日よりも人でいっぱいだった。
壇の上に、縄をかけられた男たちが並べられていた。白い衣の神官。恰幅のいい男。年のいった役人。その後ろに、同じように縄をかけられて、上等な服を着た男が三人いた。
僕は壇の端に立たされた。反対の端には、ベズナさんが立っていた。
若い役人が書類を開いて読み上げた。
「戦掛のベズナ様は、ヴァハギレ峠の手前の集落と、ヴァハノレの村をお預かりになる代官に任じられてございます。伏せ火をすべて片づけ、変わり水を元の水に戻すまで、王都へはお戻りになれません」
ベズナさんが一歩前へ出た。
「火筒に許しを出したのは、私だ。その責めは、自分で負う」
それだけ言って、ベズナさんは元の場所に戻った。代官のお役は、自分から願い出たものなのだと、あとで若い役人が教えてくれた。
伏せ火がどこにいくつ埋まっているのかは、誰も知らない。埋めた場所を書いた紙は、どこにも残っていないのだ。変わり水が元に戻る見込みも、今のところ無い。
つまりベズナさんは、死ぬまで王都へ戻れない。
若い役人は書類をめくった。
「伏せ火を道に埋めさせ、鳴る火のかすを峠の上の水場へ捨てさせると決めた三人は、役を解き、館と財をすべて取り上げ、水場にいちばん近い、峠の手前の集落へ移して、その水で暮らすよう申し渡してございます。山の石を焼く釜も、水場へかすを運ぶことも、今日かぎり止めさせてございます。また、英雄殿の名で、効かぬと知りながら火筒を売っていた市の売り手たちも、残らず捕らえるよう、国じゅうに触れを出してございます」
上等な服の三人のうち、一人は両手で顔を覆った。もう一人は、「知らなかった、知らなかった」と繰り返していた。何を知らなかったのかは、最後まで言わなかった。
残りの一人はあの白い髭の男だった。呼ばれたばかりの僕に「役に立たない者は、要らない」と言い、僕が王都へ戻った日には、ほかの人たちと同じ速さで僕に頭を下げた人だ。
その人だけは、その集落へ移すと読まれたときから、膝が崩れて、立てなくなっていた。
「変わり水の土地など、人の住むところではない」
誰にともなく、そう言った。
その水を、峠の手前の集落の人たちも、ヴァハノレの人たちも、毎日飲んでいる。
若い役人が、恰幅のいい男の前に立った。
「商人。大きな魔物に効かぬと知りながら、英雄殿の名を使って火筒を売り、人を死なせた罪で、縛り首にいたします」
恰幅のいい男は、縄をかけられたまま膝をつき、壇の板に額をこすりつけた。
「お、お助けください! 命だけは、命だけはお助けください! 私は、言われたとおりにしただけでございます! 火筒の商いを任せたのも、英雄様が逃げたと言いふらせと言ったのも、そこのお役人様でございます! 私だけが悪いのではございません!」
額を板につけたまま、首だけを隣の年のいった役人のほうへねじ向けて、叫んでいた。役人は顔も向けなかった。
「ギドを返せ!」
広場の前のほうから、声が飛んだ。峠の手前の集落の、あの男の声だった。
恰幅のいい男は、それでも額をこすりつけたまま、命乞いをやめなかった。
若い役人が僕のほうを向いた。
「英雄殿に、一つだけお尋ねします。本陣で水のことを聞かれたとき、最初に何と答えられましたか」
式の日に千人の前で言ったことを、もう一度言えばいい。それなのに、声が震えた。
「……危ない、と答えました」
若い役人は頷いて神官の前に立った。
「神官。英雄殿の申し立てを偽り、民を欺いた罪で、縛り首にいたします」
神官は目を閉じなかった。
「私は、国のためにやったのだ! 国のためにやったのだ!」
同じ言葉を、何度も叫んだ。叫ぶたびに、広場じゅうが怒鳴り返した。
兵が、神官と恰幅のいい男の腕を取って、壇から下ろした。広場の端には台が組んであった。
僕はそちらを見なかった。見られなかった。
しばらくして、広場のざわめきが、一度だけ大きくなった。それから、もう一度。
あの二度のざわめきが、二人の縛り首だった。
最後に、若い役人は、年のいった役人の前に立った。
「役人。神官の偽りも、火筒が大きな魔物に効かぬことも知りながら黙り、替え玉に都の水を飲ませて民を欺こうとし、英雄殿が逃げたと町に偽りを流させ、商人から金を受け取った罪で、役を解き、分け前は一粒残らず取り上げてございます。ただし、写しを残し、その偽りを明かしたことを数えて、縛り首にはいたしません」
役人の肩がほんの少しだけ下がった。
若い役人は別の紙を開いた。
「本日をもって、あなたをこの国から追放いたします」
広場がしんとなった。
あの日、広間で僕が聞いたのと、同じ言葉だった。
「一つ。王都の門の内側へ、二度と入らぬこと」
「一つ。どこにおいても、名を名乗らぬこと」
「一つ。これを破りましたときは、縛り首にいたします」
役人は若い役人の顔を見た。
「写しを残したのは、私でございます。私がいなければ、何ひとつ明かされなかった。写しを残したのは、私で……」
若い役人は答えなかった。紙を巻きながら、一言だけ言い足した。
「日のあるうちに、王都から出ていっていただきます」
あの日、あの人が僕に言ったことだった。
*
兵が二人、役人の両脇についた。屋敷にも寄らせてもらえないまま、役人は門のほうへ連れていかれた。
僕も、その日のうちに王都を出ることにした。
国がくれると言った位も、英雄の名も、何一つ受け取らなかった。あとから館に運び込まれていた、布をかけた贈り物も、そのままにしてきた。持って出たのは、館で出された水を詰めた袋と、干した芋を少しだけだった。
もう、英雄様と呼ばれなくていい。
ほとんど何も持たずに、また壁の外へ出ていくのだから、怖かった。でも、少しだけ、息が楽になった。
門へ向かう途中で、市場の井戸の前を通った。井戸のまわりには縄が張られていて、そばへ寄る人さえいなかった。王都の人たちも、これからは遠くまで水を汲みに行くことになる。
門を出ると、石垣に沿って、荷物を枕にした人たちが並んでいた。
その端に、年のいった役人が立っていた。
手には何も持っていなかった。着ている物の裾だけが、泥で汚れていた。
役人は、門番のほうを振り返って、小さな声で聞いた。
「……今夜、私は、どこで寝ればよいのだ」
門番は黙って前を向いたままだった。
あの日、僕がこの門の外で口にしたのと、同じことだった。
役人が僕に気づいた。何か言おうとして口を開け、一度閉じて、それから聞いた。
「……ギドという荷運びは、どんな若者でしたか」
「焼き菓子を割って、大きいほうを人に渡す子でした」
「……そうか」
役人は、小さく頷いて、また前を向いた。
僕もそれ以上は口を開かなかった。
ざまあみろ、とは思えなかった。かわいそうだとも思えなかった。僕はあの人の横を通りすぎた。
石垣の端には、空っぽの桶が、まだ置いてあった。
門のわきでは、お札を売る男が、まだ立っていた。
「魔物よけのお札、いかがですかい。安くしときますぜ」
売り文句から、「英雄様が請け合った」が抜けていた。値段も下がっていた。それでも、足を止める人は一人もいなかった。
あのお札の絵が、本当は人を殺す道具の絵だということを、王都の人は、今も誰も知らない。
しばらくして後ろで馬の足音がした。
振り向くと、ベズナさんが、王都を出ていくところだった。荷は一つだけでお供もいなかった。向かう先は、僕がこれから帰る道と同じほうだった。
少し先で、通りかかった男が、連れに話しているのが聞こえた。
「火筒ってのは、でかい魔物には効かんそうだぞ。英雄様が、広場でそう言いなすったんだと」
「へえ。おれなら、でかいのに効くやつが出たら、高くても買うね」
足が止まった。
僕が広場で「火筒は、大きな魔物には効きません」と言ったせいで、今度は、もっと強い火筒が作られるのかもしれない。僕が何を言っても、何かが作られて、それでまた人が死ぬのかもしれない。
それでも、歩くしかなかった。
*
ヴァハノレの村に着いたのは、それから九日後だった。元気な人なら五日で着く道のりだ。変わり水で一度倒れてから、僕の足は、前よりずっと遅くなっていた。
村は三十二軒のままだった。
「おや、旅の人。戻ってきたのか」
見張りの若い男が、驚いた顔をして戸口を開けてくれた。村の人たちは、旅の者が戻ってきたくらいの顔で僕を迎えた。僕が英雄と呼ばれていた者だという話も、たぶん、もう回ってきていた。それでも、誰も、どこへ行っていたのかは聞かなかった。
ドゥーカさんだけが、鍋の前から僕を手招きした。
「食え。二度目に温めたやつだ」
差し出された芋はあったかかった。
「……峠下から、荷運びの若いのが一人死んだと回ってきとる。一緒に峠へ行った旅の男が、荷を引きずって戻ったともな。あんたのことだろう」
「……はい。ギドっていう子でした。僕は、そのとき、そばにいたのに、声を出せませんでした」
「そうか」
ドゥーカさんは、それ以上は何も聞かなかった。鍋をかき回しながら、一度だけ言った。
「王都の広場で、英雄が『分からん』と言ったそうだな。ここまで話が回ってきとる」
僕は何も答えなかった。ドゥーカさんも答えを待たなかった。
ギドのお母さんと妹さんに、会いに行かなければいけないと思った。でも、すぐには行けなかった。何と言えばいいのか、分からなかった。行けないまま、日がたっていった。
*
しばらくして、きれいな水を積んだ荷車が、村へ回ってくるようになった。十日に一度、二台だけだった。
「代官様が、遠くの泉から回してくださいました。ベズナ様が代官様になって、いちばん最初にしてくださったことだそうです」
グレナさんが、荷車から水を汲みながら教えてくれた。
でも、村に下ろすのは一台ぶんだけで、もう一台は峠の手前の集落へ回る。一台ぶんでは三十二軒には足りない。一軒に回ってくる水は、桶に一つだけだ。
「それでも、ゾナが川まで下りなくていい日が、十日に一度できました」
十日のうちの、一日だけだ。残りの九日は、前と同じように、みんなで川へ下りていく。
*
二度目の荷車が来た日、僕は、集落へ回るほうの一台に乗せてもらった。
集落の市に、あの火筒の売り手はいなかった。効かないと知りながら英雄の名で火筒を売った罪で、触れが届いた日に兵に引っぱられていったのだと、市の人が教えてくれた。店に残っていた火筒は一本残らず取り上げられ、本人は王都の牢に送られたという。
市の外れの川べりには、水を汲む順を待つ人の列ができていた。その列の中ほどに、あの白い髭の男がいた。上等な服はもう着ていなかった。
きれいな水の荷車には、並ばせてもらえないのだという。自分の番が来ると、男は苦い水を桶に汲んで、両手で提げて帰っていった。
僕は声をかけなかった。
ギドの家は市の外れにあった。板と布の家だった。
戸口に出てきたのは、ギドのお母さんだった。
「……ギドと、峠へ行った者です」
そこまでしか、言えなかった。それから、全部を話した。大きいのが出たこと。火筒が効かなかったこと。ギドが僕を呼んだとき、僕が、怖くて返事をしなかったこと。ギドが信じて火筒を買った、その英雄が、僕だということ。
お母さんは、最後まで黙って聞いていた。
「……そうですか」
しばらくしてから、それだけ言った。
家の奥から、女の子が顔を出した。手に新しい糸巻きを持っていた。
峠の道で、ギドが妹に買うと言っていた物だった。
「先にいい道具を持たせたほうが上手くなるって、出る前に、あの子に言っといたんで。荷の中に銭袋があったんで、それで買いました。……荷を持って帰ってくれたのは、あなただと聞きました。それだけは、ありがとうございました」
お母さんは、糸巻きのほうを見たまま言った。一度も僕の顔を見なかった。許してもらえたわけではないことは、分かっていた。
帰りの荷車の上で、僕は、ギドが割ってくれた焼き菓子の、大きいほうの形ばかり思い出していた。
*
火筒は今もどこの村にもある。国が集めようという話も出たけれど、集めてしまったら誰が小さい魔物から村を守るのか、という話になって、立ち消えになった。
今では、火筒で人が撃たれたという話のほうが、魔物に襲われたという話より多い。
村に戻ったとき、僕がいないあいだに上の道で二度鳴っていたと、見張りの男から聞いた。石は積まれていなかった。村の人たちは上の道には入らない。次に鳴ったら積みに行くと言ったのは、僕だった。
上の道へ行く日は、半日歩いて、半日休む。それが今の僕の体でできる精いっぱいだ。急いだ日もあったけれど、急いだ次の日は、まるまる一日動けなかった。
夜に上の道で何かが鳴ると、次の日、村の人がその場所を教えてくれる。鳴った跡は土が黒くえぐれるから、道の入り口からでも見えるのだ。僕は、並べた小石と、前に踏んだところをたどって、そこから先は一歩ずつ新しく踏んで、鳴った場所にいちばん近いところまで行って、そこに石を積む。一つ鳴った辺りには、まだ鳴っていないものが埋まっていることが多いからだ。ここから先には近づくな、という目印の石だ。
入り口で「入るな」と言うだけでは足りない。上の道は、戦の前は峠の手前へ抜ける近道だった。知らない荷運びは、近いと聞いて入ってくる。入り口で止められても、少し先の曲がりまでなら大丈夫だろうと思って、その先で踏む。春に死んだ村の人も、去年の秋に踏まれた場所を掘り返そうとして、そのそばで死んだ。
だから、場所ごとに石が要る。ここまでは踏まれた、ここから先は分からない、と道の上で言えるのは石だけだ。石が一つ増えるたびに、村の人の言い方が一つ増える。子どもがそれを覚えて、よその人に言える。
怖い。毎回、足が震える。一歩出したら、死ぬかもしれない。
それでも、積む。
僕が「たぶん」と言ったせいで、この道に伏せ火が埋まったのだ。だから、僕が積む。
*
上の道の入り口のほうで、子どもの大きな声がしたのは、それからしばらくたった昼のことだった。
行ってみると、見たことのない荷運びの男が、上の道の入り口に立っていた。背中に大きな荷を背負っていた。川の下のほうから上ってきたらしかった。
「こっちを行けば、峠下まで近いって、下の村で聞いたんだがな」
男は道の奥を指さしていた。上の道は、戦の前は峠の手前へ抜ける近道だったのだと、あとで見張りの男が教えてくれた。
男の前に、村の子どもが一人、両手を広げて立っていた。あの日、三つ目の曲がりの言い方を、声に出して覚えていた子だった。
「入っちゃだめ! 上の道の、三つ目の曲がりの右。石が積んであるから、近づいちゃだめなんだよ!」
男は笑った。
「石が、どうしたって」
「石があるところは、踏んだら死ぬの!」
子どもはどかなかった。男はしばらく子どもの顔を見て、それから道の奥の石に目をやった。そして肩をすくめて、戸口のほうへ戻っていった。遠回りでも、いつもの道を行くことにしたらしい。
その夜、上の道の奥で、どん、と一つ鳴った。
次の日、見張りの男に連れられて、道の入り口から奥をのぞいた。鳴った跡は、あの男が指さしていた道の先の、二つ目の曲がりの手前だった。
「あの子が止められたのは、あんたの石があったからだ」
見張りの男は、黒くえぐれた土のほうを見たまま、そう言った。
あの男があのまま入っていたら。
僕が積んだ石で、誰かが一人、死なずに済んだ。
石を積んだのは僕だ。でも、あの男を止めたのは、あの子の声だった。村の人たちが、口で言って、口で返して、覚えてきた言い方だった。
その日、僕は、鳴った場所のそばに、七つ目の石を積みに行った。
上の道の入り口まで戻ってくると、杖の音が、道の小石に当たりながら、こつ、こつ、と近づいてきた。
「おじさん、石、いくつになった?」
「今日ので、七つ」
「ふうん。あと、いくつ?」
ゾナは、入り口に僕と並んで、奥に積んだばかりの石を見ていた。それから、前と同じことを聞いた。
「おじさん、これ、いつ終わるの」
この土の下に、あといくつ伏せ火が埋まっているのか、この国の誰も知らない。作らせた僕も知らない。
分かっているのは一つだけだ。あの日、見張りの男に「次に鳴ったら、また僕が積みに行きます」と言った。一度は破ったその約束を、今度は守る。
だから僕は、あの壇の上で千人に言ったのと、同じ言葉を返す。
「——分かりません」
※上の道に積んでございます石は、村の方が置かれたものです。数は、まだ増えます。
※最後まで読んでくださって、ありがとうございました。評価と感想で教えていただけると、次を書く力になります。
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