2-6 陽菜ちゃんの優しさ
試験も終わり、課題提出もあと少しの頃。
いよいよ講義が終わって、
陽菜ちゃんと一緒に学食へ向かっていた。
「斎宮さん、今日も白身魚のフライにする?」
「……はい。優しい味が好きです」
「他のも食べていいんだよ?
斎宮さんって“優しい味”の人だけどさ!」
陽菜ちゃんはいつものように笑って、
影が軽く揺れた。
その揺れ方は、
風に揺れる草みたいで、
見ているとなんだか安心する。
でも──
その日は、ほんの少しだけ違った。
陽菜ちゃんの影が、
いつもより“薄く”見えた。
揺れ方は軽いのに、
影の輪郭が少しだけ
細くなっているような気がした。
なんだかざわざわする。
「……陽菜ちゃん、疲れてますか?」
思わず聞いてしまった。
陽菜ちゃんは一瞬だけ驚いた顔をして、
すぐに笑った。
「えっ、なんでわかったの?
やば、斎宮さんって観察力あるよね」
「……観察、というか……影が……」
言いかけて、口をつぐんだ。
影の話は、普通の人には通じない。
陽菜ちゃんは気づかないまま、
トレーを持って席に向かった。
私はその影をもう一度見た。
やっぱり、薄い。
揺れ方は軽いのに、
影の“重さ”が少しだけ足りない。
それはなんていうか──
何かに追い立てられているみたいな。
食べながら、
陽菜ちゃんはいつものように明るく話していた。
「斎宮さんってさ、
ほんと落ち着いてるよね〜。
私、声大きいし、
すぐテンション上がるし、
なんかうるさいでしょ?」
「……うるさくないです。
陽菜ちゃんの影、軽くて……」
また言いかけて、やめた。
普通の女の子、普通の女の子…!
陽菜ちゃんは笑っていたけれど、
その笑顔の奥に、“影の揺らぎ”があった。
結構揺らいでしまっている。
気のせいかもしれない。
気のせいじゃないかもしれない。
でも気のせいじゃないとしても、
なんて声をかければいいのか、
どうすればいいのかわからなかった。
力になりたいけど、どうすればいいのか。
帰り道。
陽菜ちゃんが駅のほうへ歩いていくとき、
ふと足を止めた。
「斎宮さん。
……あのね、ちょっと言いづらいんだけど」
陽菜ちゃんの声が、
いつもより少しだけ小さかった。
影が、
風に揺れる草みたいじゃなくて、
水面に小石が落ちたみたいに揺れた。
痛い!
「私ね、
最近ちょっと家がうるさくてさ。
弟が受験でピリピリしてて、
お母さんもずっとイライラしてて……
なんか、家にいると疲れちゃうんだよね」
影が薄かった理由が、
その瞬間わかった。
陽菜ちゃんは、
家の“揺れすぎる影”の中で生きている。
たぶん、慢性的にご家族みんなの影が揺れてるんだ。
だから、
大学では明るく揺れる。
軽く揺れる。
風みたいに揺れる。
そもそも“揺れてるのが当たり前”なんだ。
揺れないようにしている、とかは当然なくて、
しかも最近は
揺れすぎる家から逃げてきているんだ。
胸の奥がぎゅっとした。
「本当に力になりたい」と思った。
でも──
言葉が出なかった。
「……っ」
喉の奥で何かがつまって、
声にならない。
ただ、
陽菜ちゃんのほうを見ただけだった。
目だけが、
まっすぐ陽菜ちゃんに向いただけだった。
何もできない。私。
叔父さん、お母さん、どうしたらいいの。
助けて。助けたいの。
陽菜ちゃんは一瞬だけ驚いて、
すぐにへにゃっと笑った。
「斎宮さんは、かわいいなあもう!
その顔してくれるだけで十分だよ。
またお昼一緒に食べよ?」
陽菜ちゃん。
優しい陽菜ちゃん。
私は、 やっと小さくうなずいた。
「……うん。
一緒に白身魚フライ定食、
食べたい。」
私にはそんなことしか言えなかったのに、
陽菜ちゃんは嬉しそうに笑った。
その笑顔は、
さっきより少しだけ強かった。
陽菜ちゃんと別れてから、
私はスマホを開いた。
遼叔父さんとのトーク画面を開いて、
少し迷ってから入力した。
『叔父さん。
おしゃべりって
どうすれば上手になりますか。』
送信。
すぐに既読がついて、 返信が来た。
『イヴ。
気づけたのは、いいことだ。
たくさん、色んな人と話してごらん。
失敗したっていいから。』
『優しい言葉は、
どうすれば自分からかけてあげられますか。』
送信。
またすぐに既読がついて、 返信が来た。
『自分がかけてもらって嬉しかった言葉を、
その時の状況と一緒にしっかり覚えておくこと、かな。
いつか、他の誰かに伝えるべきときが来るから
経験させてもらえているんだと、俺は思う。
イヴからの感じ的に、
陽菜ちゃんに何かあったかな?
大丈夫そうか?』
胸の奥がじんわり温かくなる。
叔父さんは、 いつも“私の状況”と“私の影”を見てくれる。
『はい。大丈夫です』
陽菜ちゃんの影と
陽菜ちゃんの置かれている状況を知ったことで、
私は初めて影の揺れる“原因”について強く意識した。
誰かの影を整えようとすると、
その揺れは、 私の影も揺さぶりにくる。
今まで見ようともしなかった。
教えてくれる人もいなかった。
私も気づかなかった。
たくさん話そう。
たくさん、覚えておこう。
この日のことは、私にとって
大きなターニングポイントになった。
―――斎宮さんって“優しい味”の人だもん!




