2-5 遼叔父さんからの相談
大学生活で初めての夏休みが近づいてきた頃、
私は大学の空気にも少し慣れてきて
陽菜ちゃんとお昼を一緒に食べる日も増えた。
でも──
影が揺れすぎている人たちの中にいると、
まだ息が浅くなる。
そんな日の夕方。
スマホが震えた。
遼叔父さんからだった。
『イヴ。
少し相談があるんだ。
今日時間あるか?』
遼叔父さんからの相談。
…絶対ちゃんとしたい。
自分の気持ちがあまりにも即答で、
自分でも少しおかしい。
「相談って……なんだろう」
私は返信した。
『あります。
どこに行けばいいですか?』
すぐ既読がついて、
『ジェムノットの事務所に来られるか?
店じゃなくて裏のほうだ。
疲れてたら無理しなくていい』
ジェムノットの事務所。
あの静けさの空間の、さらに奥。
遼叔父さんの大事な場所なんじゃないだろうか。
私は少し迷ったけれど、
行きたい気持ちのほうが強かった。
『行きます』
送信。
その日は講義が午前で終わっていたので、
陽菜ちゃんとお昼を食べた後、
すぐにジェムノットに向かった。
大通りから1本中に入るジェムノット。
夜は静かな雰囲気だったけど、
昼間だとまた少し違う雰囲気があった。
夜の静けさとは違う、
陽炎が立ち上っているような雰囲気。
まるでこの世じゃないみたい、っていうのかな。
こういう感じ。
もちろん、ちゃんと現実に存在してるんだけど。
少し急いで歩いたせいか汗ばんでしまった。
恥ずかしい。
店の入り口と違って裏口にはインターホンがあるので、
汗を拭きながらインターホンを鳴らす。
事務所の扉を開けると、
遼叔父さんが机に向かって何か書いていた。
「イヴ。
いらっしゃい、来てくれてありがとう」
その声だけで、
胸の奥がじんわり温かくなる。
顔を見るのは3か月ぶりくらいだろうか。
「今日は暑いですね。
相談って……なんですか?」
陽菜ちゃんに習っている、脱コミュ障レッスン1。
“会話の初めは天気の話題が無難だよ!”
作戦を実行します、陽菜先生。
…遼叔父さん、私は成長しているのです。
あ、ドヤ顔になってしまってるかもしれない。
遼叔父さんは少しだけ目をぱちくりさせた。
その仕草は、いつもよりほんの少しだけ“人間らしい”気がした。
「いっちょ前に天気の話なんて差し込んできたな。
冷たいものでもどうだ?」
なるほど…
暑い中歩いてきた人が暑いですねって
話せば、冷たいものを振る舞うのは親しき仲の礼儀ですね。
「いただきます。」
冷蔵庫から氷と麦茶を出しながら、
遼叔父さんは「相談がなあ~…」と、
なんだか少し面倒くさそうに話し始めてくれた。
「麦茶で悪いんだけど。
…お前のお母さんから、俺に連絡があってな。」
「……お母さん?」
遼叔父さん、
冷たい麦茶、最高です。
「最近のイヴの影が、
少し揺れてる気がするって」
胸の奥がきゅっと縮む。
「揺れて……ます…か?
なんて、遼叔父さんにとぼけてもダメですよね。
ごめんなさい」
遼叔父さんも私と同じ麦茶を飲んでいる。
飲み込む時、私にはない喉ぼとけが動く。
目が追ってしまう。
「俺は“成長の揺れ”だと思ってる。
陽菜ちゃんのこともあるし、
大学生活も始まったしな」
叔父さんは、
私の影を一度だけ見た。
その視線は、
観察ではなく“確認”。
「それでな。
夏休み、二人で京都に帰ってこいという話だったんだが…」
「……京都に?」
「お母さんが、
俺とイヴの顔を見たいって言ってた。
俺も久しぶりに両親…
イヴから見ればじいさんとばあさんだな、
の顔を見るついでだと思えば、
1泊帰省くらいはいいなと思っている」
胸の奥がざわつく。
懐かしさと、怖さと、安心と、全部が混ざる。
「……帰ったほうがいいですか?」
「イヴが、
どうしても帰りたくないなら
帰らなくていいとも思うが。
ただ、俺は“帰っておくのがいい”と思う」
命令じゃない。
押しつけじゃない。
選ばせる余地を残してくれる。
その優しさが、胸の奥に静かに染み込む。
「……帰りたいです。帰ります。」
「そうか。
じゃあ、予定を一緒に考えよう」
叔父さんは机の上の紙を広げた。
そこには、
京都までの交通手段、
日程案、
必要な荷物、
大学の予定との兼ね合いが丁寧に書かれていた。
「イヴが無理しない日程にしよう。
陽菜ちゃんとの約束もあるだろうし、
大学の課題もあるだろう?」
「……はい」
私は紙を見ながら、
胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
遼叔父さんは、
私の生活を奪わずに、
でも支えてくれる。
「お母さんに
揺れてる影を見られるのは怖くないか?」
「怖いです。
…でも、その怖いって思う気持ちが
影を揺らすから……」
「流石、手慣れたもんだ」
私は紙を見ながら、
夏休み中帰ったら、
たぶん神事や神楽の予定でいっぱいになるだろうと
容易に想像がついた。
夏休み中、
一人暮らしの大学生活の忙しさを、
少しは手放せるのかなって
陽菜ちゃんとどこかへ出かけられるかなって
思ってたんだけどな。
少しさみしい気分になった。
でも、遼叔父さんとの京都帰省だ。
胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
叔父さんは、
私の生活を奪わないまま支えてくれる。
その距離は、私にはとても安心だった。
帰り際。
事務所の扉に手をかけたとき、
ふと口が動いた。
「叔父さん……
陽菜ちゃんに、
叔父さんの話をしてもいいですか?」
叔父さんは少しだけ驚いた顔をした。
でもすぐに柔らかく笑った。
「イヴが話したいなら話せばいい。
ただし、ジェムノットのことは
言わないでいてもらえるか?」
「……はい。
言いません」
言わない。 絶対に言わない。
ジェムノットは、
遼叔父さんの“特別な場所”だから。
陽菜ちゃんには陽菜ちゃんの世界がある。
ジェムノットは、
かなり大人の世界。たぶん混ざらないほうがいい。
遼叔父さんは、
なんでもかんでも私に甘いんじゃない。
本当に、遼叔父さんの距離感は安心する。
「帰り道、気をつけてな。
またおいで」
「はい」
事務所を出ると、
夕方の風が少し冷たかった。
京都に帰る。
そう決めた私の整った影が、私についてくる。
決断ひとつひとつが、
私の影の形を少しづつ変えていくのかな、と
この時の私はそんなことを考えていた。




