009話 「レイムンド参上!」
「ルシア様っ! このレイムンド様が参上したからには、もう大丈……って、なんか力強いぞっ!?」
「あれぇ? なんであんたがここにいるのよ。」
レイとブラッディが交差した、まさにその真横の壁が派手に粉砕された。
そこから飛び込んできたのは、愛用のロングソードを軽やかに構えた変態――もといレイムンドと、巨漢のヘブンを真っ向から押し返す長男アーリウスお兄様だった。
「お前、誰だっけ?」
「アーリウス=リィ・ウィリアスだよ。そちらこそ、名乗るほどの名前はあるのかい?」
お兄様とヘブンが、殺気を纏った瞳で互いの出方を窺い合う。
「俺はヘブンだ。おめえ、そんな頼りない短剣一本で俺様の大剣とやり合う気か? この俺様が振り回す一撃には、隙なんてもんはねえぜ!」
「確かに、短剣のリーチは剣に比べて短い。だが、その分機動性は圧倒的に高い。一歩懐に潜り込むことさえできれば、強力なカウンターを叩き込むことも容易い。――さて、リーチの長い大剣と、懐の深い短剣。どちらが先に致命傷を負うかな?」
静かに微笑みながら、お兄様がその小さな短剣に魔力を込める。
パッと音を立てて纏わりついた炎は、鮮烈な深紅の色から、より高温度を示す青へと劇的に姿を変えていった。
「おしゃべりはそこまでだ、いくぜぇ!!」
相変わらず、巨体に似合わないヘブンの速度は尋常ではない。
その圧倒的な機動性と大剣のリーチ、そして一撃の破壊力を組み合わせた猛攻に、先ほどまで警備兵たちは誰も近づくことすらできなかった。
一方のレイムンドはといえば。
「おらおらおらぁあ!!」
「ちょっ!? はやっ……そんなに全力で、すぐにバテちゃうよぉ!?」
「だからこそ、一瞬で仕留めたいのさぁあ!! オラァッ!!」
普段のふざけた態度が嘘のように、レイムンドの剣筋は洗練され、容赦がない。
ブラッディの鋭い突きを紙一重でかわし、逆に圧倒的な連撃で押し込んでいく。
よく見ると、レイムンドは魔力を使った強化の気配すら見せず、純粋な肉体と洗練された剣術だけで戦っていた。
――そう、魔法なしで、あのブラッディを圧倒していたのだ。
「……やはり、私よりもレイムンドさんの方が実力は上ですね」
先ほどまで満身創痍だったはずのレイが、いつの間にかすっくと立ち上がり、静かに呟いた。
「レイムンドさんっ! 私も加勢します!」
「っ!? 了解だ、レイ殿!」
直後、レイの身体が常人の動体視力では追えないほどの神速で弾け、戦いの渦中へと飛び込んでいく。
先ほどレイの戦闘力の一端は見たが、あのレイムンドが私より上と評するのだから伊達ではない。かつて魔力弾を浴びて泡を吹いていた変態の姿が、いまや頼もしい最強の壁に見えるから不思議だった。
さっきまでは恐怖怯え、言うことを聞かなかったも大分動くようになってきた。
すると警備兵が駆け寄ってくる。
「ルシアお嬢様、こちらへ。」
「あ、ありがとう」
俺は広間の奥へ下がりながら、ブラッディの方向に目を向けた。
「ちょっとぉ、それって卑怯よぉ!」
「多勢に無勢、褒め言葉として受け取っておく!」
正面から凄まじい圧で押し込むレイムンドに対し、死角から容赦ない奇襲を浴びせるレイ。
二人の完璧な連携の前に、ブラッディは完全に防戦一方へと追い詰められていた。
「元第三騎士団団長レイムンド=ラプス・シートンに、元Aランクの冒険者レイ=カステル……。流石のブラッディでも、この二人が相手では荷が重いか。――おい、下がりなさい」
「ボスっ! ですが、まだ――」
「いいから、退け」
ずっと背後で戦況を見守っていた仮面の男――ボスが冷徹に命じ、ブラッディは悔しそうに歯噛みしながらも戦線を離脱する。
レイがすかさず追撃を仕掛けようとしたが、レイムンドがスッと前に出てそれを制した。
――待て、待て待て。
レイムンドさんが元第三騎士団団長で、そしてレイさんが元Aランク冒険者?
なんだそれは。
その瞬間、お兄様の方から金属同士がぶつかり合った、甲高い音が響いた。
慌ててそちらに目を向ける。
そこには短剣でヘブンの圧倒的質量である大剣を受け止めているお兄様の姿があった。
「そんなに躱してばかりじゃ、いつまで経っても俺に傷一つつけられねえぞっ、お坊ちゃんよぉ!!」
狂喜の笑みを浮かべたヘブンが、一旦距離を取った。
その瞬間、床を抉り飛ばすほどの踏み込みとともに大剣を振り下ろす。
轟音。巻き起こる強烈な風圧だけで、周囲の空気がびりびりと震える。
常人であれば、その殺気と圧力だけで立っていることすらかなわないだろう。
「――躱しているわけではない。君の致命的な隙が出てくるのを、ずっと待っていただけさ」
対するアーリウスお兄様は、乱れることのない美しい身のこなしで、その紙一重の死線をすり抜けていく。
無駄な動きが一切ない。まるで水面を滑る木の葉のように、ヘブンの猛攻の嵐をいなしていく。
だが、それはただ逃げ回っているわけではない。お兄様の冷徹な瞳は、巨漢の全身をくまなく捉え続けていた。
――大剣はその圧倒的な質量と破壊力ゆえに、一度軌道を定めて振るえば、必ず極小の構造上の隙が生まれる。特に、振り終わりの硬直、そして重心が前のめりになる瞬間。そこを突けばいい。
「おらぁ、どうしたぁ! 守りに入ってんじゃねえよっ!」
「……終わりだ」
ヘブンが最後の勝負とばかりに、全身の筋肉を膨らませ、両手で把持した大剣を頭上から垂直に叩き落とす。すべてを両断するような、避けられない一撃。
――その瞬間、世界がスローモーションに落ちた。
お兄様の足裏が、大理石の床を鋭く蹴り飛ばす。
「なっ――!?」
ヘブンの視界から、捉えていたはずの標的がふっと消えた。回避ではない。
大剣の巨大な身幅が作る死角、そのわずか数十センチの空間を縫うようにして、お兄様が懐へと完全に滑り込んだのだ。
距離が近すぎて、長大な大剣はもはや何の役にも立たない。
ヘブンが焦燥の色を浮かべ、左拳で殴りかかろうと腕を引いたその刹那――。
「――黄昏の牙」
お兄様の唇から、呪文が紡ぎ出された。
右手に握られた無骨な短剣が、眩いほどの超高熱を帯びた青い炎へと爆発的に姿を変える。
それはただの魔術ではない。極限まで圧縮された高密度な魔力が、物理的な熱量を纏って実体化したものだ。
ザシュッと、肉を断つ音すら置き去りにするほどの神速。
短剣の切っ先が、ヘブンの堅固な肉体を紙細工のように貫き、その腹部深くまで突き刺さった。
「が、はっ……!?」
巨漢の喉から、気泡を含んだ血が漏れる。
お兄様は冷やかに微笑むと、その短剣を突き刺したまま、手首をわずかに捻った。
「――爆ぜろ」
瞬間。
突き刺さった短剣の切っ先から、膨大な青き炎がヘブンの体内へと直接流れ込み、内側から爆発的に解き放たれた。
「ガァァアアアッ――!!!」
体内の内臓を直接焼き焦がすような激痛。ヘブンの巨体が文字通りくの字に折れ曲がり、凄まじい衝撃波を伴って背後の壁へと盛大に叩きつけられた。
パキパキと、分厚い石造りの壁が蜘蛛の巣状に粉砕され、盛大な土煙が周囲を包み込む。
青い炎を霧散させ、お兄様はまるでゴミを見るような冷ややかな視線を、崩れ落ちる巨漢へと向けたのだった。
――はずだった。
「俺の僅かな隙を見逃さず、腹に短剣をブッ刺したところまでは評価してやるが……甘いな」
炎がスッと霧散する。
ヘブンは自分の腹に突き刺さった短剣をゆっくりと引き抜こうとした。
「嘘だろ……っ」
お兄様の背中が、まるで化け物でも見たかのように、わずかに硬直したのが見えた。
その時だった。
誰もが凍りついた極限の静寂を破るように、カツ、と乾いた足音が響く。
――いつの間にそこにいたのか。
誰も気付かなかった。気配すら、殺気すらなかった。
戦場の中、崩れた瓦礫の上に佇んでいたのは、この空気に似合わぬほど整った服を纏った、一人の初老の老人だった。腰に差した一本の刀。それ以外には、ただの穏やかな老人にしか見えない。
「ここまで侵入を許すとは……儂の能力不足じゃのう」
老人は目を細め、やれやれといった風に首を振る。
だが、その一歩が踏み出された瞬間、会場の空気が文字通り凍りついた。
そこに居るだけで息苦しくなるような、圧倒的な魔気が空間を支配する。
魔力分解領域のせいで魔力を使えないはずの空間で、老人の身体から溢れ出たのは、この場にいた誰もが凌駕する底知れぬ魔力だった。
刹那。
世界からすべての音が消え去った。
老人が、腰の刀の柄にそっと手を掛けた――と思った次の瞬間。
抜刀。
それは目視すら不可能な神速の居合い。
だが、放たれたのはただの速度ではない。空間そのものを断ち割るような力を持ったその一閃が、ヘブンの首元を正確に捉えていた。
「――っ!? お、おいおい……聞いてねえよ、こんな化け物のじいさんは……っ!」
ヘブンの喉から、引き攣った悲鳴が漏れる。
致命的な死の予感に、あの狂気的な顔が歪む。一歩間違えば、あの瞬間に首が胴体から綺麗に切り落とされていたのは明白だった。
圧倒的な絶望と、底知れぬ実力差。
その異様な光景を目の当たりにし、これまで余裕を崩さなかった仮面の男――ボスが、初めて動きを止めた。
「……ほう」
「ブラッディ、退却だ」
「っ!? え、ちょっと待ってボス、いいの!?」
ヘブンの敗北に気を取られていたブラッディが、驚愕の声を上げる。
「ぼ、ボス!? 俺をここに置いてくんすか!?」
「ああ。お前なら、その気になれば自力で脱出できるだろ。じゃあな」
ボスと呼ばれた男は足元に魔法陣を展開し、ブラッディの腕を掴むと、振り返ることなく光の中に溶け込んでいく。
「待てぇぇええええっ!!」
ヘブンの絶叫も虚しく、二人の姿は完全に消え去っていた。
レイムンドが追いかけるようにして空間を斬り払うように剣を振るってみたが、すでに転移魔法の残滓すら残っていない。完全に逃げられた。
レイが、その場に置き去りにされ、地面に這いつくばるヘブンへと冷ややかな足取りで歩み寄る。
「おや、おや。仲間には綺麗さっぱり見捨てられてしまったようですね、ヘブンさん?」
「……うるせえ、勝負はついてねえぞクソババア!」
その瞬間。
レイの周囲の空気が、氷点下にまで急降下した。
そして、これまで飄々としていたレイムンドの表情筋が、恐怖で引きつるほどにおかしな歪み方をする。
「……今、なんと?」
「あ、いや……その……なんでもありません……」
凄まじい殺気を纏ったレイを前に、屈強なヘブンですら小さく震え上がる。
するとヘブンの目の前で刀を向けている老人に、アーリウスお兄様が歩み寄った。
「これはグラント殿。お助け頂き、ありがとうございます。」
「礼を言われる程の事はしておらんさ。もう少し早く来れればよかったんじゃが、少し足止めを食らっての。」
そう言う老人に、俺はどこかで見たことのあるような違和感を覚えていた。
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あの後続々と応援が駆け付けたことによって、突如として始まった貴族の夜会における襲撃事件は、あっさり幕を閉じた。
のちに聞いた話によれば、本館の方にも三下のそれに近い黒い装束を着た集団が数百人ほど押し寄せており、アーリウスお兄様やレイムンドたちがすぐに駆けつけられなかったのは、その足止めが原因だったらしい。
幸い、パーティーに出席していた貴族達に死者は出ず、負傷者も警備兵の一部に留まった。
だが、この大々的な事件は瞬く間に近隣領地や王都へと伝わり、貴族社会に大きな混乱をもたらすことになった。
捕らえられた百名ほどの末端のような者たちは、王都の地下牢へと送られ、現在厳重な尋問を受けているという。
ヘブンはどうなったかといえば――我がウィリアス公爵家の地下施設にて、レイムンド自らがたっぷり時間をかけて取り調べを行うことになったらしい。
あの変態が笑顔で地下へ消えていく背中を思い出すだけで、背筋が凍るような悪寒が走る。
すべての事情を参謀のルークさんから聞き終え、もう限界だと言わんばかりに自分の部屋のベッドへと直行した。
もちろん、扉の周りはレイ率いる精鋭の護衛隊が見張っているそうだ。
この扉の向こうにも、もしかしたらあの変態が控えているかもしれない――そう考えると少し眠気が吹き飛びそうになったが、襲い来る極上の睡魔と疲労の前には無力だった。
すべてを忘れ、俺はふかふかの羽毛布団の中に沈み込むようにして、深い眠りへと落ちていったのだった。
障壁を張るだけで終わってしまった、主人公ちゃん。これから頑張ってほしい!




